秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』へようこそ!

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 『秀樹杉松』は、2013年7月に創刊した『Atelier秀樹ノート』を改題した、不定期刊の雑誌です。5年余りにわたって、いろんな事を書きなぐっています。一昨年 (2018年)8月から、紙印刷をやめて、

ブログ『秀樹杉松(ひできさんしょう) hideki-sansho.hatenablog.com

として投稿し、ブログ投稿は #500を超えています。(2019年5月現在)  

雑誌ですから取り上げる主題は万般にわたりますが、メインコンテンツは「坂めぐり」「親川記」(しんせんき/川歩き)の2つです。どちらも足を使った“アウトドア”で、坂道と川を相手の、いわば自然との対話・触れ合いです。

 

坂めぐり

 → 坂めぐり

 

東京23区内の坂歩きを2017年11月から始めたました。坂歩きにとどまらず、当然に周辺の寺社、公園、学校、名勝旧跡なども立ち寄りました。1年1ヶ月かけて総計「118回・876坂」を歩きまわり、2018年12月23日に終了しました。歩くだけでなく、写真もいっぱい撮り、記事とともにブログ『秀樹杉松』に満載してあります。上記の矢印のついた青い文字 坂めぐりをリックすると、「坂めぐり」の記事がまとめて表示されます。(新しいものから順に)

  

親川記(しんせんき)

 → 親川記

 

タイトルは「川に親しむ」の意です。5年前に、都内の37の中小河川を歩きました。川と橋はもとより、流域の佇まいにも触れました。川縁は新緑や紅葉の木々に覆われ、美しい季節の草花に彩られます鴨、亀、鯉(3K)ともお友達になりました。矢印をつけた青文字 親川記 をクリックすると、川歩きの記事が出てきます。(新しいものから順に)

 

◉「坂めぐり」「親川記」『秀樹杉松』の力作(のつもり)ですので、“おすすめ”です。アクセスをお待ちしております。

もちろん「坂めぐり」「親川記」という二つの「紀行」以外にも、

他のカテゴリーの記事、

読書、クラシック音楽プロ野球、大相撲、ウォーキング、うたごえ、文化芸能、政治、カレントトピッス、坂研究、自然、山歩き ....など、盛り沢山です。アクセスをお待ちしております。

カテゴリー名をクリックすると、そも関係記事が出てきます。なお、「読書」については、著者からもアクセスできるようにしてあります。

 

>この『秀樹杉松』へようこそ は、トップ記事に固定してありますので、いつも真っ先に表示されます。通常の記事は、下へスクロールすると出てきます。/ Atelier秀樹

 

 『秀樹杉松』98巻2699号 2018-10-10  /  hideki-sansho.hatenablog.com #339

福山英樹の半生 (2) 遊びの風景  

 

編集注記

 12年前の2007年(平成19年)3月に『子供の頃の想い出』を書き、その中に【第四部】イズナ事件 を収めました。自分史執筆が一段落した2014年(平成26年)に、かねてから考えていた「イズナ事件」の小説化に着手し、『Atelier秀樹ノート』(『秀樹杉松』の改題前誌 )第8巻の特別付録として、「小説・イズナ事件」を書きました。

 

 その「前編:福山英樹の半生」は書き上げあげましたが、「後編」は冒頭の18行のみで断筆しました。こうして、「小説・イズナ事件」の執筆、すなわち「イズナ事件」の小説化は、断念のやむなきに至りました。今から5年前のことです。

 幸い「福山英樹の半生」(ダイジェスト版)は完成しているので、何回かに分けて、本ブログにアップすることにしました。本稿はその第2回に当たります、お読みいただければ嬉しいです。/ Atelier秀樹

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f:id:hideki-sansho:20190825102856j:plain(写真:Atelier秀樹)

 

福山秀樹の半生 (2) 遊びの風景

 

<裸とオシッコ> 

 冒頭の場面で、英樹が「道路に寝転がった」と書いたが、当時の田舎道は工事用のトラックがたまに通るぐらいで、普段は子供らの遊び場でもあった。今は田舎でも自家用車、トラックなどが頻繁に通るので、道路で遊ぶことはないだろうが。

 

 夏の暑い日に外で遊ぶときは、子供たちはみんな裸(真っ裸)であった。おしっこが出たくなってもすぐに用を足せるし、何しろ着るものが汗でぬれる心配もなかった。今思えば、着るものがないので裸で居るより仕方がなかったのかも知れない。

 

 おしっこと言えば、こんなことを覚えている。砂をかき集めて砂山を作り、頂上に肘で窪みをつけ、そこに立ち小便したものだ。その部分がおしっこで固まるので取り出すとお茶碗みたいな形をしている。その中に草の葉っぱをちぎって入れ、「さあ、どうぞ召し上がれ」と差し出した。

 

 今から思えば不潔だが、当時は楽しい飯事(ままごと)遊びであった。飯事といえば、スカンポの茎を切り刻んで入れたものだ。スカンポは良く覚えており、大人になってから山に行ったときは摘んで口にいれ、昔の味を思い出して噛みしめる。

 

<スキー、スケート> 

 東北地方だったので、冬は雪が多く寒かった。スキーは竹を何本か針金でつなぎ、曲げた先端に縄をつけ、その縄を両手で引っ張りながら滑ったものだ。竹製なので、竹ズキーと呼んでいいだろう。この竹ズキーでよく遊んだが、丘を滑っているときに、木の切り株にひっかかって体が飛ばされて肩を脱臼した。

 このケガをきっかけに、スキーをぴたりとやめた。雪国出身なのに、大人になってからも冬山スキーを楽しむことが出来なかったのは、この負傷によるものであった。

 

 スケートも自家製で、簡単にいえば、下駄の歯を取っ払って針金を付けたみたい

なものだったので、下駄スケート針金スケートとでも言えそうだ。英樹はこのス

ケートで凍結した路上を滑って遊んだが、本式のスケートははいたことがない。大

きくなってからも、スケート場に足を運ばなかった。滑れないからである。

 この様に、冬のスポーツ何一つ出来なかったのは、以上の事情によるものだ.

 

 <和服(着物)> 

 ところで、当時の子供らの服装は、洋服ではなく和服(着物)であった。これも変な話だが、おかげで、大小の用足しにはすごく便利であった (勿論ノーパン)。

 ある時、英樹が高い樹にのぼって蝉を捕ろうとし、落下して大怪我をした。地上に落ちるまでの1・2秒間か、着物が落下傘のように開き、恐怖の中ではあったが「これが落下傘か」と瞬間頭にひらめいたことを今でも覚えている。

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『秀樹杉松』109巻2915号 2019.8.25/ hideki-sansho.hatenablog.com #555

(短編小説)福山英樹の半生 ~ある男の自分史から~(1)

 

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(写真:Atelier秀樹)

 

 宮沢賢治の童話・短編小説を読んで、様々な感動を覚え、自分の子供の頃を改めて思い起こしています。

 古希を迎えた私は「自分史」の執筆を思い立ち、「子供の頃の想い出」を書き、続いて「青春の追憶」「定年後のわが人生」「わが山歩記」「WALK=歩く」「クラシック音楽への憧れ」「孫物語」などを書きあげました。

 また、「親水記」(都内の川歩記) 、「坂めぐり」( 23区内坂歩記) も、本ブログ「秀樹杉松」に投稿しています。

 一連の自分史執筆を終了した数年後に、

「福山英樹の半生」(自分史のダイジェスト版) を、短編小説風に認めました。

 今回宮沢賢治の童話・短編小説を読んだのが刺激となったのでしょうか、自分史のダイジェスト版を本ブログにアップ(何回かの連載で)しようという気持ちになりました。その一部を紹介します。関心のある方は、チラッとでもお読みいただければ幸甚です。

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  福山英樹の半生 (1)

     

 <第1章> 仲良しグループ

 

 「あーあ、つまんないなー」。

 福山英樹は、家の前の道路に寝転がったまま、背伸びしてつぶやいた。きのうまで一緒に遊んでくれた、1つ歳上の男友達(4人)が国民学校に入学したので、突然一人ぼっちになってしまったからだ。

 5人は仲のよい友達だったので、4人が学校から帰って来るまで、1人残された英樹は寂しい時間をもてあましていた。

 

 放課後みんなが学校から帰ってくると、再会を喜び合ったものである。同じ年齢の男は集落には居なかったので、1級上の彼らは同情して、私を同級生扱いしてくれた。それがどれだけ嬉しかったか、今でも鮮明に覚えている。

 

 英樹(ヒデ)の遊び友達は、同じ集落に住む六助 (ロク)、弥志郎 (シロー) 、右太郎 (ユウタローイシタ)と、少し離れた家の竹彦(タケシ) の4人であった。子供たちはみんな短い愛称で呼ばれていた。タケシ以外は4人とも苗字は「福山」であった。

 

 シローは体が大きく、誰よりも相撲が強かった。息子が大相撲に入り、幕内力士にまで上がったと聞いたが、シローの子ならさもありなんと納得したものだ。

 ロクも体が丈夫で、何よりも喧嘩早くて威張りたがり屋であった。ロクとシローはいとこ同士であったが、父親が兄だった関係上、ロクの方が幅をきかせていた。

 二人の父親は、集落を取り仕切っていた「大家の福山」の弟で、大家の子分・走狗として威張っており、その子供たちも(特にロクは)強がっていた。

  

 このように、体も大きく1級上のロクやシローには、ヒデはとても頭が上がらなかったが、「勉強ではまけないよ」という確固たる自信があった。

 

 イシタは面白い男で、あわて者でもあったが、名前は「右太郎」(ゆうたろう)といった。ある時、試験の答案に「石太郎」(いしたろう)と書いて、先生に笑われた。

 それ以来イシタが通称となった。イシタはひょうきん者で、ふざけたり冗談を言ってみんなを笑わせた。だから、右を石と書いたのは、うっかり間違えたのではなくわざと「石」と書いたのではないかとも思われた。

 

 まだある。イシタが友達の家に遊びに行ったとき、そこのお母さんから「お母さん今何してるの?」ときかれた。普通なら「今日は田んぼに行った」とか「さっき畑の草とりしていた」などと答えるが、「便所でおしっこしていたよ」と答えた。一見”正確な返答”の様だが、この辺におどけ者らしい彼の本領が発揮されている。

 当時近所で知らない人はいない程、有名な逸話ではある。当時の田舎では、よその家が何してるか、つまり農作業の進み具合をお互いに聞いたり、教えあったりしたものである。だから、子供に聞くのはふつうであった。

 

 竹彦タケシと呼ばれたのは、タケヒコは田舎のズーズー弁ではタケコなので、短縮形のタケシが愛称になった。(英樹のヒデも、発音通りだとシデであった)。タケシは、家が少し離れていることもあり、遊びの常連ではなかった。苗字は福山ではなく高田といい、”大家一派”からは少し距離をおいていた。人柄も温厚で、シロー、ロク、イシタの三人にくらべて存在感は薄かった。

 

 <友の死>  

   1級上にはもう一人の友がいた。しかし、一緒に遊んだ記憶はほとんどない。家が離れていたことにもよるが、彼自身あまり遊ばない子供だったのではないか。いや、遊ぶ時間がなかったのかもしれない。当時のいわゆる“小作農”で家が貧しい上に、父親が飲んだくれで働かなかったため、彼は小さい頃から働かされていたのだ。

 

 彼、平川勝マサル)は一家を支える労働力にされて、学校も休みがちであった。確か中学2年の時に不登校が続いたため、学校側が親と話し合った結果、何日間か通学した。しかし、学校へ行っても片隅で一人しょんぼりしていた。すぐに不登校に戻り、母親と農作業に従事したが、可哀想なことに、彼は自ら命を絶った

 近年イジメによる中学生の自殺が社会問題になっているが、これは貧しい寒村の小さな集落で発生した悲しい物語である。(続く

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『秀樹杉松』109巻2914号 2019.8.24/ hideki-sansho.hatenablog.com #554

宮沢賢治『フランドン農学校の豚』を読んで、感動し、衝撃を受けました。「家畜撲殺同意調印法」~誰でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾書には家畜の調印を要する、いう布告。豚は「死」を知っている?!

 

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 最近宮沢賢治に興味を抱いて、少し作品を読んでいます。それまでは「雨ニモ負ケズ」以外は詳しくは知りませんでしたが、『新編銀河鉄道の夜』『新編風の又三郎』(ともに「新潮文庫」)で、賢治の童話(短編小説)を読んで、感動しています。宮沢賢治は、盛岡高等農林(現・岩手大学農学部)を卒業して、波乱の生涯を送り37歳の若さで世を去りましたが、詩人・童話作家として日本文学史上に燦然と輝いております。

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東日本勢(八戸学院光星、仙台育英、作新学院、関東一)ベスト8に散る ~熱戦の甲子園

 

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1世紀の歴史を刻んだ高校野球。九州・四国・中国・北海道勢が珍しく姿を消し、一番面白いと言われるベスト8に、東北・関東勢が進出しました。珍しい現象でしょうが、私にはとっては面白い展開でした。

 

私は東京都民ですから、とうぜん東京勢(東東京・西東京)を応援しますが、東北出身なので、東北勢も応援します。二箇所の応援ができるのは「ふるさと」のある人の“特権”でしょう。特に、長い歴史にも関わらず、優勝旗が東北地方に行ってないこともあり、今夏は八戸学院光星仙台育英に熱い応援を送りました。

 

結果は熱戦の果て、東北・関東、つまり東日本勢が揃って、今日(18日)のベスト8戦に敗れ、猛暑の甲子園に散りました。残念無念ではありますが、死力尽くして頑張った東日本健児に、心からの拍手を送り、見事な健闘をたたえます。夢をありがとう!

 

今日の最終戦は、東京都民の私が応援した東東京代表関東一高が、準々決勝で大阪代表の履正社に敗れました。

熱戦を終えた直後の関東一高の選手・監督の、思い切り戦い抜いた、そしてすごく無念そうなな姿を伝える、NHKテレビ画面の一部をご覧ください。

(撮影:Atelier秀樹)

 

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『秀樹杉松』109巻2912号 2019.8.1618/ hideki-sansho.hatenablog.com #552

8月15日 ~1)戦没者追悼式で「反省」を述べられた天皇。片や「加害」「反省」を避けた塩梅辛酸騒狸。~2)銀次主将のサヨナラ打で、東北楽天が首位ソフトバンクに一矢。

 

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きのう8月15日はお盆でしたが、なんと言っても敗戦/終戦記念日

全国戦没者追悼式が行われ、天皇深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍がくりかえされぬことを切に願」うと述べられました。共感を覚えました。

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長嶋真美先生のピアノ名演奏「サマータイム&サマーサンバ(ソーナイス)」に堪能!。滝口亮介先生の鍵盤ハーモニカとの合奏、とても素敵でした。

 

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3日前の8月13日、東京練馬区の「勤労福祉会館」で、ピアニスト・音楽家

長嶋真美先生主宰の「ふらっと b おんがくたいむ」(歌声広場) と、長嶋真美・滝口亮介両先生指導の「ふらっと b ハーモニー」(合唱教室) が、続けて開かれ、私はその両方に参加しました。

 

「ふらっと b おんがくたいむ」の会場は「勤労福祉会館」と「えーる」の2ヶ所ですが、今日の会場(勤労福祉会館)のときは、みんなの歌声に加えて、長嶋真美先生のピアノ演奏プレゼントが恒例となっております。

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 この日の長嶋真美先生のピアノ演奏

サマータイムサマーサンバ(ソーナイス)」でした。(私は曲名を忘れたので、今日メールで教えていただきました)。ジャズでしょうか、迫力ある名演奏でした。この後続いて開かれる「ふらっと b ハーモニー」の滝口亮介先生も同席されて、お得意の鍵盤ハーモニカ演奏が加わり、両先生の息のあった合奏を聴かせていただきました。

 

拙文はこれで終わりとし、写真をご覧ください。

 

サマータイムサマーサンバ(ソーナイス)」

長嶋真美先生のピアノ演奏

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滝口亮介先生の鍵盤ハーモニカ演奏

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長嶋真美・滝口亮介 両先生の合奏

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8月は滝口先生のお誕生日なので、みんなで「ハッピバースデートゥユー」を歌い、おめでとうのお手紙を差し上げました。


お二人の名演奏を聴いて、

ブログ「秀樹杉松」に書くことを急に思いつきました。演奏中に席を立ってカメラを持ち出しての撮影は、雰囲気を壊す感じで申し訳ありませんでしたが、どうしても写真をブログにアップしたいという一念でした。

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(写真撮影:Atelier秀樹)

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『秀樹杉松』109巻2910号 2019.8.15/ hideki-sansho.hatenablog.com #550

「ともしび合唱団」第17回定期演奏会(2019.8.11光が丘)は、素晴らしかったです。特に、♪アムール川の波、♪収穫の歌、♪フィンランディア は超最高でした! そして「第二部 みんなで歌おう」もすごい盛り上がりでした。

 

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音楽文化集団ともしび結成50周年、うたごえ喫茶65年

「ともしび合唱団第17回定期演奏会が、きょう東京練馬区光が丘IMAホールで開かれました。合唱の真似事をしている私は、大いなる期待をもって演奏を聴きに行ってきました。とっても素晴らしかったです!

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