秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

脱「日帰り」/ アルプスへの登頂

6)脱「日帰り

 日帰りで同じ山に行くといっても自ずから限界があり、次第に山歩きの範囲が広がった。完全日帰りだけでは消化できなくなり、登山開始から2年目の1977年(昭和52)10月、雲取山(2018)から三峰山(1102)へ縦走のため、スタート地点の鴨沢に1泊(前夜泊

 

 翌年の1978年(昭和53年)、息子の11歳誕生日に、初めて「夜行日帰り」で大菩薩(2057)に登った。記録メモ(後記)によれば、7月15日の夜新宿発最終の23:55電車で翌16日の2:23に塩山到着。始発バスが出る6:25まで4時間バス停で仮眠した。真夏なのでこんな芸当ができたが、息子が覚えているかどうか。

 病気恢復した1987年元日、丹沢主稜縦走に際し、蛭ケ岳山荘に1泊した。1989年(昭和64)11月には、甲武信小屋に1泊。1990年(平成2)4月には、雁腹摺山(1857)・黒岳に登るため、金山鉱泉に前夜泊した。

 

 7)中央アルプス ~アルプスへの挑戦 ~

 1988年(昭和63)女房に誘われて、中央アルプス「宝剣岳(ほうけん 2931)に登った。駒ヶ根からバスで標高1661㍍のしらび平駅に向い、そこから標高差千㍍を8分で結ぶ駒ヶ岳ロープウエーに乗って「千畳敷」駅に到着した。千畳敷は、名の通り広大なカールだ千畳敷駅からは宝剣岳は直ぐだ。そそりたつ岩壁をクサリ場を巻いてよじ登ると山頂だ。

 初のアルプスとはいえ、ロープウエーを使っての登山。しかし、この貴重な経験と喜びは、「アルプスなんて、自分の行くところではない」と思っていた登山感に衝撃をもたらした。初めて、「行ってみようか」「もしかして、登れるかも知れない」の気持が芽生えた。アルプス以外の山とはいえ、15年間も登り続けた実績がもたらした自信みたいなものが、宝剣岳登頂を機に生まれたのかも知れない。女房との初山行でもあった宝剣岳登山は、いろんな意味で画期的だった。

 

 8)南アルプス日本アルプスの本格登山~

 父他界から半年余りを経た1990年(平成2年)8月25日~27日、南アルプス鳳凰三山薬師岳2780・観音岳2840・地蔵岳2764)に登った。夢と思っていた初めてのアルプス登山、しかも初の二泊三日。あの時の感動と感激は、生涯忘れない。単独でアルプスに登れたことは、小生の登山史に新たなページが開かれた。

 鳳凰三山に続き、勢いがついたのか、翌1991年7月25日~28日に南アルプス「甲斐駒仙丈」甲斐駒ヶ岳2966・仙丈ケ岳3033)に登った。二回目の南アルプス、しかも初めての3000㍍峰(2泊3日)。黒戸尾根からの甲斐駒登頂は大儀であったが、“登り甲斐”があった。

 強い魅力に引かれ、20日後の8月17日~19日には、三回目の南アルプス登山に富士山に次ぐ高峰・念願の北岳(3192)に登った(2泊3日)。素晴らしい高山で、初めて「ブロッケン現象」を目の当たりにして感動した。泊まった北岳山荘も整備されていた。なお、予定では北岳から「間ノ岳」「農鳥岳」への「白根三山」縦走だったが、手違いで北岳一山に終わった。しかし、考えもできなかった北岳に登れて、幸せと喜びを堪能した

 

 9)北アルプス登山

 南アルプスから、今度は北アルプスへの挑戦が始まった。第一段は、1993年(平成5年)7月29日~8月3日の「燕・槍・西穂」へのアタックだ。山小屋・温泉に4泊6日の生涯最高最大のロング登山燕岳(つばくろ2763)、槍ケ岳(3179)、大喰岳(3101)、中岳(3084)、南岳(3033)、西穂高岳(2909)、新穂高温泉など、魅力満点のコースだった。

 なだらかだが何とも形容しがたい魅力の燕岳(つばくろ)、恐い思いで登り切ったスリル満点の槍ヶ岳登頂「やった!」との実感。山仲間たちから一斉に連帯の拍手が起こり、歓声に包まれる。感動の一瞬だ。見事な展望だが、槍先のような狭く険しい山頂のため、下からどんどん登ってくる登山者に山頂を明け渡さなければならない。長居はできない。ロープウエーも使った西穂高岳。楽しみにしていた南岳から北穂高への大キレットは雨模様のため割愛せざるを得ず、北穂・奥穂への登頂はできずに終わったのは残念であったが、忘れられない思い出である。

 北アルプス第二段は、10日後の8月12日~15日の「白馬」(2932)登山だ。憧れの白馬山(しろうま)は素晴らしかった。当初予定した杓子岳、鑓ケ岳に足を伸ばせなかったのは残念だった。

 北アルプス第三段は、翌1994年(平成6年)7月17日~20日立山・剣」登山(58歳誕生日記念)だ。室堂から始まり、立山(又は立山三山)を構成する雄山(3033)、大汝山(3015)、富士ノ折山。そして、立山連峰と称される浄土山(2831)-立山別山の雄大な縦走。剣沢小屋に泊り、一服剣・前剣からいよいよ剣岳(2998)。この剣登頂は「登山」の醍醐味を知った思いだ。最後の登頂は、垂直の岩盤をクサリに掴まって登るまさに“命がけ”ともいうべき難関だった。滑落をも覚悟した必至のアタックであった。よくぞ無事に登り切れた、と感心するほかはない。

 別山乗越から雷鳥平、新室堂乗越を経て、奥大日岳(2611)に登り、地獄谷、室堂平を経て、富山県富山市へ出て宿泊した。

 北アルプス登山の締めとなったのは御岳山(木曾御岳きそおんたけ3067)だ。入山は木曽福島、下山は岐阜。富士山、白山と並び称される信仰の霊山で、遠くからの山容は荒々しく堂々とした独立峰だが、山頂はひろく、何ともいえぬ魅力がある。「ナンジャラホイ」と謡われるだけの名山だ。離山に際し「もう一度必ず来たい」と思った

 

10) 未踏峰の名山

 おかしなもので、誰もが真っ先に行く「富士山」と「穂高」(西穂には登ったが)は未登頂だ。富士山には「そのうちに」と毎年思っているが・・・。ともあれ、単独で本邦第二の高山「北岳」をはじめ、「槍」「剣」「立山」「白馬」「木曾御岳」「甲斐駒」「仙丈」「宝剣」「鳳凰三山」などの、日本アルプス名峰に単身で登れたのは生涯の至福である

   本格的な山男(山女)から見れば、「何だ、その程度か」と思われるだろうが、本人は大満足だ。自分一人でアルプス登山(一部の山域とはいえ)をやってのけたのだから、自分的には“快挙”というほかはない

 高い山はともかく、近くの低山を気楽に歩いてみたい気持は今でも持っているが、心臓を患ったり、ウォーキングに深まったりで、山行きは中断したままになっている。ウォーキングで「地球一周」(4万キロ完歩)を本年(2008)7月7日に達成したので、アル中(歩き中毒)にも一区切りつけている。どこか機会があれば「軽い山歩き」を再開してみたい、そんな心境ではある。富士登山は、未だ視界内にある。

(注)これを書いた時点では、視界内にあった富士登山だが、その後の変形性膝関節症の悪化による、人工関節置換により絶望となった。だが、5合目までバスで行く望みは完全には消えていない。(「わが山歩記」)

                      (秀樹杉松 83巻/2382号)