秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(34回=18/3/15=大田区池上)~此経難持坂(しきょうなんじざか)、おんな坂、大坊坂、朗氏坂、妙見坂、紅葉坂、車坂、めぐみ坂、貴船坂、蓬莱坂、潮見坂。~東急池上線、呑川、池上本門寺、朗子会館、朗峰会館、力道山之碑、池上梅園、本門寺公園、、、

 今日は大田区池上に行ってきました。池上といえば「池上本門寺」。本門寺境内だけでもいくつかの名前のついた坂があった。その近辺も含めて11坂道を巡りました。

 本門寺近辺の池上梅園、本門寺公園なども覗き、更には、本門寺に眠る「力道山之碑」も見てきました。力道山墓所は偶然見つけた。プロレスの力道山は知られているが、力士時代のことを少し書き添えておきました。お読みください。

 今日のハイライトは「池上本願寺ですが、境内がやたらと広く建物が多いのに度肝を抜かれました。どこからどこまでが本門寺関係なのか、勉強不足の私にはよくわかりませんでした。「池上梅園」もお寺のものかと思いきや、大田区立でした。帰宅しての写真整理も非常に大変でした。もちろん全部の撮影は摂っていませんが。

 今日の坂の圧巻は何と言っても、池上本門寺の正面を登る「此経難持坂」(しきょうなんじざか)でしょう。96の石段は大変で、「おんな坂」を登る人も多く見かけました。それと、妙見堂へ登る「妙見坂」でした。石段の数は数えなかったが、上り下りには疲れました。それにしても、今日は暑くて風が強かったですね。 / Atelier秀樹

 

 

<坂めぐりのコースと写真>

 

東急池上線「池上」下車

 この線は滅多に乗らないので、電車の写真を撮りました。

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本門寺への参道

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呑川(のみかわ)

 池上本門寺の手前で「呑川」に出会いました。何年か前の「川歩き」を思い出したので、霊山橋からパチリ。

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此経難持坂(しきょうなんじざか)

 池上本門寺の正面を登る坂で、この石段は、慶長年間加藤清正の寄進によるものと伝えられる。法華経宝塔品の詩句九十六文字にちなんで石段を96段とし、詩句の文頭の文字「此経難持」をとって坂名とした。なお、石段は元禄年間に回収されたといわれる。

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おんな坂

 「此経難持坂」の横をジグザグに登る坂(写真の白い石段)です。2002年4月1日開通の真新しい坂のようです。

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仁王門

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五重の塔

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大坊坂

 『新編武蔵風土記稿』に「大坊坂方丈の右の坂なり、大坊へ行く道なればこの名あり。」と記されている。本門寺山内西隅の石段坂で、坂下に大坊と呼ばれる本行寺がある。立派な坂でした。

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大坊本行寺

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池上本門多宝塔寺日蓮聖人御荼毘所)

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日蓮大聖人説法像

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朗子会館

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朗子坂

 日蓮聖人の弟子日朗聖人は、祖師入滅後ささやかな草案をつくり山上の日蓮上人廟所へ、毎日この坂を上って参詣したといわれる。坂下に「史蹟朗氏坂」という石碑が建っている。

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朗峰会館

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妙見堂

 『大日本名所図会』には「妙見堂、妙見坂の上にあり、妙見大菩薩を安置す。寛文四年甲辰七月紀伊頼宣卿の造立せし所なり」とある。

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妙見坂

 坂名は妙見堂に因む。本門寺に寄進された妙見菩薩立像は、のちに壇林の守護鎮守として、坂上のお堂に移されたと伝えられる。

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力道山之碑

 力道山(1924~1963)二所ノ関部屋に入門し、1940年5月初場所。46年11月場所に入幕し、入幕2場所目の47年6月に、前頭8枚目で9勝1敗の星をあげ、横綱羽黒山大関前田山、同東富士ら3人と相星になり、この場所から設けられた優勝決定戦に出場した(優勝は羽黒山)。49年5月場所に関脇に昇進するが、50年9月場所前に突然、自ら髷(まげ)を切り廃業。後にプロレスに転向、「空手チョップの力道山」として活躍。1963年死去。墓所池上本門寺

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紅葉坂

 『新編武蔵風土記稿』には「紅葉坂、方丈の左の坂なり、裏門へ通う坂なり」と記されている。坂付近にはモミジの樹が多いことから、この名がついたのであろう。

 坂下で交差する道を北に行くと、西側に松濤園という庭園があり都の旧跡に指定されている「西郷、勝両雄会見の処」という記念碑がある。(残念ながら、松涛園は見落としました)

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車坂

 『新編武蔵風土記稿』に、「車坂、経蔵の背後の坂なり」とあり、また、「池上長栄山本門寺図」天明元年(一七八一)には、車坂が描かれている。昔からある古い坂道。

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めぐみ坂

 現在、坂の西側にめぐみ教会がるため、めぐみ坂と呼ばれることが多いようである。かつては、昭和4年までこの地にあった料亭「あけぼの楼」にちなみ「あけぼの坂」とも、古くは「相の坂」とも呼ばれた。坂途中の左側にめぐみ教会、めぐみ幼稚園がある。

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貴船坂

 坂名の由来となった貴船明神(神狐の石像)は。、東之院(池上一丁目七番)に昔、本門寺の鬼門除けとしておかれていたが、神仏分離令で同寺院と分離され、近くの太田神社(中央六丁目三番)に合祀されたと伝えられる。

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汐見坂

 かつて、この坂から大森の海や白帆・海苔ひびなどがよく見えたため、汐見坂と呼ばれた。また、この坂道は池上本門寺への旧池上道の近道でもあった。

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蓬莱坂

 坂名の由来は、坂近くににある稲荷社に因むという。江戸時代、三代将軍家光の頃、稲荷社の境内でめづらしい黒い鶴が捕らえられ、これを将軍家に献上したところ、吉兆であると喜ばれたそうです。「蓬莱」とはその吉兆を象徴した名であり、そこから現在の坂名がつけられたようです。

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池上梅園

 写真をいっぱい摂ってきたのですが、いくつかはアップできませんでした。よくこういう事が起きるので、困っています。(せっかく撮影したのに)

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本門寺公園

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上小学校

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 帰宅は池上駅から

 

   <註>坂名などの解説は、tokyosaka.sakura.ne.jp  、大田区HPどに拠りました。

 

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              『秀樹杉松』92巻2568号  18-3-15   # blog <hideki-sansho> 208

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