秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

93回秀樹杉松坂めぐり(2018-10-16)牛坂、金比羅坂、忠弥坂、お茶の水坂、建部坂、富士見坂、油坂、明神男坂、明神女坂。~北野神社(牛天神)、金毘羅宮、昭和一高、桜蔭学園、元町公園、丸橋忠弥、源頼朝、順天堂大学、神田明神、明神甘酒、太田姫稲荷神社(一口稲荷神社:いもあらいいなりじんじゃ)。

 今日は前回の神田駿河台神田川を界に北に接する文京区本郷界隈の7坂と千代田区外神田の2坂を巡ってきました。千代田区内の坂は、今日の2坂(神田明神男女坂)で終わりとなります。今日は、牛天神、源頼朝金比羅さま、丸橋忠弥、神田明神、明神甘酒などが登場します。終了後、前回紹介した「太田姫稲荷神社」(一口稲荷)へ寄って写真を撮ってきました。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹

 

地下鉄大江戸線飯田橋(スタート)

 

牛坂(うしざか)(#743)

 ~別名:潮見坂(しおみざか)、鮫干坂(さめほしざか)、蠣殻坂(かきがらざか)

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 文京区春日1丁目。小石川後楽園の西方にある牛天神(北野神社)の 西側から北側に回り込む道。坂下は北に,途中から東に上る。90m。急坂。L字型に曲がる。

 坂の曲がり角付近に文京区が設置した標識がある。

→「牛坂 うしざか 北野神社(牛天神)の北側の坂で,古くは潮見坂(しおみざか)・蠣殻坂(かきがらざか)・鮫干坂(さめほしざか)など海に関連する坂名でも呼ばれていた。中世は,今の大曲あたりまで入江であったと考えられる。牛坂とは,牛天神の境内に牛石と呼ばれる大石があり,それが坂名の由来といわれる。(牛石はもと牛坂下にあった)『江戸志』に,源頼朝の東国経営のとき,小石川の入江に舟をとめ,老松につないでなぎを待つ。その間,夢に管神(菅原道真)が,牛に乗り衣冠を正して現われ,ふしぎなお告げをした。夢さめると牛に似た石があった。牛石これなり とある。 文京区教育委員会 昭和57年2月」

 

北野神社(牛天神)

 文京区春日1丁目。願いが叶う撫で岩発祥の神社。境内にある牛の形をした岩を撫でると願いが叶う。

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 ↑「 撫で岩 源頼朝が撫でた石です .......」。詳細は、上掲の「牛坂」の標識をお読みください。

 

牛天神 北野神社       / 北野神社

   願いが叶う「撫で岩(ねがい牛)」発祥の地

鎌倉時代源頼朝が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。以来、境内にある牛の形をした岩境内のご案内:「ねがい牛」)を撫でると願いが叶うといいます。(北野神社HP http:// ushitenjin.jp)

 

金比羅(こんぴらざか)(#744)

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 文京区本郷1丁目。金刀比羅宮の北側を東に登る。桜蔭学園の北側。南西に上る。100m。急坂。ほぼ直線。標識なし

 坂名は 近くの金刀比羅宮東京分社に因む。安政のころの絵図によれば,このあたりには青山大膳の上屋敷松平讃岐の中屋敷が並んでいた。松平家讃岐の金毘羅さまを庭の一隅に祀っていたもので,明治以降大いに繁盛した。この坂も屋敷跡の町家作りのなかでできた新坂である。たまたま金毘羅神社の傍らであったので,この名の坂名となっていわば認知されている。(「今昔東京の坂」より)

 参考文献:「今昔東京の坂」岡崎清記 日本交通公社刊 1981 

 

讃岐金刀比羅宮(さぬきことひらぐう) 東京分社

 文京区本郷1丁目。金運アップのパワースポットとしても有名。

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忠弥坂(ちゅうやざか)(#745)

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 文京区本郷1丁目。昭和一高桜蔭中高校の間から,ゆるく曲がりながら西に下り,宝生能楽堂横を通って 白山通りに出る坂。坂上は東北東に,坂下は東に上る。150m。かなり急坂。

 坂上近くの桜蔭学園と宝生会館の間付近に,文京区が設置した標識がある。

→「忠弥坂 ちゅうやざか 本郷1-2と6の間 坂の上あたりに 丸橋忠弥の槍の道場があって,忠弥が慶安事件で捕えられた場所にも近いということで,この名がつけられた。道場のあった場所については諸説がある。“慶安事件”は,忠弥が由井正雪とともに,慶安4年(1651)江戸幕府の転覆を企てて 失敗におわった 当時の一大事件であった。忠弥の名は,浄瑠璃や歌舞伎の登場人物としても 有名である。 東京都文京区教育委員会 平成元年3月」

 坂の上に 丸橋忠弥の槍の道場があったのでこの名がついた。(標識より)

 

昭和一高(左)桜蔭学園(右)

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お茶の水坂(おちゃのみずざか)(#746)

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 文京区本郷1丁目。JR水道橋駅から 神田川の北岸沿い (= 中央線の線路沿い)に 東に上る。東南東に上る。190m。やや急な坂。ほぼ直線。坂上近く(昭和第一高校の南)に,文京区が設置した標識がある。

→「お茶の水坂 おちゃのみずざか この神田川の外堀工事は 元和年間(1615-1626)に行われた。それ以前に,ここにあった高林寺(現 向丘2丁目)の境内に湧水がありお茶の水”として将軍に献上したことから,「お茶の水」の地名がおこった。『御府内備考』によれば「御茶之水は聖堂の西にあり,この井名水にして御茶の水に召し上げられしと・・・・」とある。この坂は神田川(仙台堀)に沿って,お茶の水の上の坂で「お茶の水坂」という。坂の下の神田川に,かつて神田上水の大樋(水道橋)が懸けられていたが,明治34年(1901)取りはずされた。

 お茶の水橋低きに見ゆる水のいろ/寒む夜はふけてわれは行くなり 島木赤彦 (1876-1926)   文京区教育委員会 平成9年3月」

 神田川に沿って,お茶の水に上る坂なので「お茶の水坂」という。(標識より)。命名時期:江戸時代

 

建部坂(たてべざか)(#747)

 ~別名:初音坂(はつねざか)

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 文京区本郷1丁目と2丁目の間。外堀通りから元町公園東を北に入る。北に向かって上る。80m。やや急坂。直線。坂の中ほど,元町公園前に文京区が設置した標識がある。

 →「建部坂 たけべざか (初音坂)    文京区本郷1丁目と2丁目の間。 『新撰東京名所図会』に「富士見坂の北(注・西)にある坂建部坂といふ。幕士建部氏の邸地あり 因て此名に呼び做(な)せり」とある。嘉永3年(1850)の『江戸切絵図』で近江屋坂を見ると,建部坂の上り口 西側一帯(現在の元町公園)に 建部氏の屋敷が見える。直参,1400石で,880坪(約2900㎡)であった。『御府内考』に次のような記事がある。建部六右衛門様御屋舗(やしき)は,河岸通りまであり,河岸の方はがけになっている。がけ上は庭で土地が高く,見晴らしが良い。がけ一帯にやぶが茂り,年々鶯の初音早く,年によっては 12月の内でも鳴くので,自然と 初音の森 といわれるようになった。明和9年(1772)丸山菊坂より出火の節,やぶが焼けてしまったが,今でも初音の森と言っている。 初音の森の近くで,一名初音坂ともいわれた。 文京区教育委員会 平成14年3月」

 かつて建部氏の邸地があったため この呼び名になった。(標識より)

<編注>坂名「建部坂」は標識では「たけべ」、坂学会HPでは「たてべ」となっているが、教育委員会標識の「たけべ」が正しいかも。

 

元町公園

 「建部坂」の西。

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富士見坂(ふじみざか)(本郷)(#748)

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 文京区本郷2丁目。順天堂大学11号館(センチュリータワー)の西脇から,北の水道局本郷給水所付近まで。北に向って上る。75m。急な坂。直線の短い坂。標識なし。江戸時代は周囲に高い建物もなく,坂の西横方向に富士山が見えたのであろう。(「ぶんきょうの坂道」より)

 参考文献:「ぶんきょうの坂道」文京ふるさと歴史館 平成20(2008)年改訂版

 命名時期:明治時代

 <編注> 「富士見坂」はここにもありました。

 

油坂(あぶらざか)(#749)

 ~別名:揚場坂(あげばざか)

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 文京区本郷2丁目。外堀通りから 順天堂大学の建物の間を通る。坂上西側に水道歴史館。北北西に上る。75m。急坂。直線。

 坂の途中に文京区が設置した標識がある。

→「油坂 (あぶらざか) (揚場坂=あげばざか) 本郷2-15と2-2    この坂は,油坂または揚場坂と呼ばれている。坂上の左側は本郷給水所公苑である。『油坂,元町1丁目と東竹町辺の間を 南に下る坂あり,油坂と呼ぶ』(新撰東京名所図会)とあるが,その名の起りは不明である。この坂は別名『揚場坂』といわれているが,その意味は,神田川の堀端に舟をつけて,荷物の揚げおろしをするため,町内地主方が,お上に願って場所を借りた 荷あげ場であった。この荷揚場に通ずる坂道を 揚場坂道を呼んだのが のちに『揚場坂』と言われるようになった。

 『揚場坂と申し,里俗に近辺には無御座候得共,町内,持場揚場御茶の水河岸内に有之候に付,右揚場坂道を他所の者,揚場坂と唱候儀も有之趣に御座候』 (御府内考 より))    文京区教育委員会 昭和62年3月」

 坂名の由来は不明。

 

順天堂大学

 「油坂」は順天堂大学の構内を通る。

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明神男坂(みょうじんおとこざか)(#750)

 ~別名:明神石坂(みょうじんいしざか)

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 千代田区外神田2丁目。神田明神の東側を上る石段神田明神社務所の裏にあたる。西に向かって上り。35m。急な石段。階段。

 階段上に千代田区が設置した標識がある。

→「明神男坂 みょうじんおとこざか この坂を明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。『神田文化史』には「天保の初年 当時神田の町火消『い』『よ』『は』『萬』の四組が 石坂を明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は,安房上総辺から 江戸へやってくる漁船の目標になったという話や,坂からの眺めが良いため 毎年一月と七月の二十六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。 平成八年三月 千代田区教育委員会

 神田明神の東にあるこの坂は 急な長い石段で「男坂,南側の短い石段は「女坂」と呼ばれる。

 

明神女坂(みょうじんおんなざか)(#751)

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 千代田区外神田2丁目。神田明神の南側を上る石段。明神男坂から60mほど南に平行する。西北西に向かって上り。25m。急な石段。階段。途中で“く”の字に曲がる。標識なし。

 明神男坂とペアになる坂なので,この坂名で呼ばれる。“女坂”は“男坂”よりも傾斜が緩いのが一般的だが,ここではむしろ女坂の方が傾斜がきつい

 参考文献:「千代田の坂」千代田区観光協会ホームページ

 <編注

 男女両坂ともきつい階段坂です。男坂は一直線だが、女坂は途中で曲がります。

 

神田明神

 千代田区神田2丁目。正式名称「神田神社」。祭神は「平将門」。

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明神甘酒

 坂めぐりを終わって、神田明神入り口の甘酒茶屋(天野屋)で「明神甘酒」頂いてきました。米と糀のみを使用する伝統的な甘みで、1846年創業の老舗。400円で美味しかったです。

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太田姫稲荷神社一口稲荷神社:いもあらいいなりじんじゃ)

 前号で文章だけを掲載したので、二日遅れで写真をアップします。今日の坂めぐり終了後、場所が近いので立ち寄って写真を撮ってきました。前号の記事をご参照ください。

 →(要約)太田道灌の娘が重い疱瘡に罹った際、京都一口神社を勧請して江戸城本丸に創建。後に江戸城鬼門へ移し、家康入府後、神田駿河台裏側の大坂(今の淡路坂)へ遷座、坂は一口坂(いもあらいざか)と呼ばれ、神田駿河台の鎮守となった。昭和6年、総武線延伸工事の際に現在地(千代田区神田駿河台1-2-3)へ遷座。 

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JR御茶ノ水(ゴール)

 

<編注>坂名と坂解説は、

「坂学会/東京23区の坂」sakagakkai.org に依拠。

  坂名の直後の(#)は『秀樹杉松』坂めぐりの通算合計坂数。写真撮影はAtelier秀樹。

 

『秀樹杉松』99巻2704号 2018-10-16/  hideki-sansho.hatenablog.com #344