秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

<坂めぐり>完結記念特集(第50回=最終、2018-5-16/17)【前編】杉並区上井草の「上井草碁盤坂」 ~四宮坂・こども坂・北向き坂・すみれ坂・広坂・お見合い坂・秀五郎坂・長坂・ころころ坂・桜坂・茅坂・道灌坂・馬場坂・たぬき坂・西坂・縄文坂(計16坂)+下井草「稲荷坂」(合計17坂)

『秀樹杉松』<坂めぐり>の最終回(第50回)は、【前編】【後編】の2号に分けて投稿します。【前編】は、杉並区上井草の「上井草碁盤坂」(計16坂)と、下井草の「稲荷坂」の17坂めぐり編です。【後編】は、太田道灌の史跡や井草周辺の名勝・公園めぐりを一括収録しました。

 2週間前の『秀樹杉松』でお知らせした通り、<坂めぐり>は5月15日/16日の第50回で終了しました。半年かけてちょうど500坂を巡りましたが、5月分の写真アップの容量が尽きたため、ブログ投稿は月替わりの今日6月1日まで持ち越しました。不手際をお詫びします。

 “終わり良ければすべて良し”とか言いますが、締めくくりとなる本号の【前編】と次号の【後編】がそれに適うかどうか。 

 ちなみに、我が家の紫陽花も<坂めぐり>完結を祝うかのごとく、咲き始めました。/ Atelier秀樹

 

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 さて、最終回となる今回の50回目は17坂を歩きました。16坂は東京杉並区の「上井草碁盤坂」です。杉並区内の坂には標識が無く、従って地図にも載っていないので、全然知りませんでした。坂学会/東京23区の坂(sakagakkai.org)でその存在を知り、<坂めぐり>最終回に選びました 

 上井草は1~4丁目ですが、件の「上井草碁盤坂」は2~4丁目内に16の坂があります。16の坂はほぼ平行に南北に走っていますが、全部が見事な直線。坂と坂の間隔は地図の縮尺で換算したら、平均80m。坂と坂をつなぐ横道も直線です。まさに「碁盤坂」そのものです。碁盤坂誕生の経緯については、以下の引用をぜひご覧ください。歴史的な価値ある財産だと思います。

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【井荻土地区画整理事業

 善福寺を含む旧井荻村は、地元の篤農家出身の内田秀五郎村長(1876-1975)のリーダーシップのもと1925年(大正14年)から1935年(昭和10年)まで10年の歳月をかけて総面積8.4平方キロの区画整理事業を完成した。それまで満足に整備された道路がないため悪天候の際には通行に支障を来す程であったが、完成後は各街区を約2,000坪とする碁盤目状の整然とした町並みが形成された。(Wikipedia「善福寺」

 

【かみいぐさ碁盤坂】

 上井草商店街付近には、見通しのよい一直線の坂道がいくつも平行に並んでいます。坂が多いのは、武蔵野台地の中程を通る標高50mの等高線が、この辺りにも関わっているためです。

 一方、道が広くてまっすぐなのは、むかし上井草が「井荻村」という名の近郊農村だった頃に、村長の内田秀五郎がおこなった区画整理事業によるもの。農業振興のためには道路整備が急務と考えた秀五郎は、昭和10年にこの事業を完成させました。10年がかりの事業でした。

 自然が造り出した起伏豊かな地形と、碁盤の目のように整然とした道路網が織りなす景観は、この地域を特徴づけるものです。上井草周辺を歩いて、この地域の歴史・ 風土を確かめてくださいね。(kami-igusa.com) 

 

上井草碁盤坂 (かみいぐさ ごばんざか) の名称について

  (kami-igusa.com 上井草商店振興組合公式 webサイト

 上井草の道路が整然としているのは、旧井荻村村長・内田秀五郎の成し遂げた区画整理事業によります。当商店街では「まちづくり上井草」(杉並区認定のテーマ型まちづくり協議会)とともに検討を重ね、この景観に「碁盤坂(ごばんざか)」の愛称を付けることにしました。

 日ごろ見慣れた地元の景観をあらためてひとつの資産と捉えて大切にし、商店街振興の上でも役立てて行きたいと願っています。七夕まつりで吊るされる提灯の片面には「上井草」の文字、反面には「碁盤坂(ごばんざか)」の文字が入ります。

 タウン誌「荻窪百点」2011/7/1発行号に、「上井草碁盤坂」と題して、この愛称誕生の背景と、新たに開催される「七夕まつり」を紹介する記事が掲載されます。(kami-igusa.jp

 

上井草碁盤坂  | まちづくり上井草(kami-igusa.jp

 上井草を含む杉並区西北部一帯の整然とした道路網は、旧井荻村村長・内田秀五郎の手がけた区画整理事業(昭和10年完了)によるものです。この事業は耕地整理の名目で実施されましたが、碁盤の目状の区割は以後急速に進んだ宅地化の受け皿となりました。その結果誕生したのが、現在の上井草一帯等に広がる等質な住宅都市空間です。旧井草川に関わる50m崖線沿いの起伏が、付近の地形と街区に変化を与える数少ない要素の一つとなっています。

 内田秀五郎の事業から数えて既に70年余り、私たちは自分たちがむしろ例外的な景観の内に暮らしていることにようやく気づきました。おのずと見慣れたこの特徴的な景観をあらためてひとつの地域資産と捉え、まちづくり・商店街振興・地域文化の創造にも積極的に活かすべきではないか。そう考えて始まった取り組が「かみいぐさ碁盤坂プロジェクト」です。

 まちづくり上井草が立案した名称公募の結果にもとづき、上井草商店街より発行された「かみいぐさ碁盤坂マップ」(6000部)は、幸いにも大好評を博しました。このマップは、上井草商店街のほか、スポーツセンター、ちひろ美術館などでも配布していただき、商店街掲示板やスポーツセンターロビーには拡大ポスターを掲示するなどして、その定着につとめてきました。雑誌媒体を中心に、一部マスコミでもすでに紹介された実績があります。

 この間、住民や来街者からの少なからぬご要望もあり、まちづくり上井草では各坂道に名称の表示柱を設置する計画を立て、都内各所の坂道の名称表記の実際を見学するなどしてきました。その作業を通じて最初の設置箇所に選ばれた「すみれ坂」北東詰めに、木製の表示柱*が平成24年4月6日に設置されました。(kamiigusa.jp/gobanzaka.html) 

 

井荻村=上井草村+下井草村+上荻窪村+下荻窪村(明治22年)。

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<坂めぐり最終回>【前編】

 上井草碁盤坂めぐり

 

西武新宿線井荻駅(スタート)

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四宮坂(しのみやざか)

 杉並区上井草2丁目。坂の西側に“四宮森公園”がある。標識無し。坂名は、坂途中にある四宮森公園に因む。(「かみいぐさMAP」による)。“上井草碁盤坂”の一つ。2011年に上井草地区の碁盤目のような通りの坂名を公募し、16の坂の名前を決めて地図を発行した。

 <>この下線をつけた文章は、次項の「こども坂」から「縄文坂」までの、『上井草碁盤坂』16全部に共通する文章ですので、以下は重複を避け割愛します。

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こども坂

 杉並区上井草2丁目。坂の東側に杉並区立“四宮森児童館”がある。坂上には“四宮集会所”が見える。標識無し。坂名は、坂下沿いにある児童館に因む。

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北向き坂

 杉並区上井草2丁目。“四宮公園前”交差点から北に上る坂。標識無し。坂名は、北斗七星が美しいことに因む。

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すみれ坂

 杉並区上井草2丁目。坂下西側に“井草向山公園”がある。坂を上りきった所の東側に小さな「すみれ坂」と木製の標識がある。(註=今回はこの標識を見落としました)

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広坂(ひろさか)

 杉並区上井草2丁目。坂下右に井草向山公園がある。坂を上った所の左に「山本接骨院」がある。標識無し。坂名は、幅広い坂道に因む。幅は約5m。

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お見合い坂

 杉並区上井草2丁目。四宮公園から1ブロック西を北に上る坂。坂下に“穂高リネンサプライ”の建物がある。標識無し。坂名は、お互いに向こうから来る人が遠望できることに因む。 

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秀五郎坂(ひでごろうざか)

 杉並区上井草2丁目と3丁目の間。上井草駅から南に150m,そこから南に下る坂。標識無し。坂名は、昭和10年にこの周辺の道路整備をした旧井荻村の村長の内田秀五郎に因む。

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長坂(ながさか)

 杉並区上井草3丁目。上瀬戸公園の東脇から北に上る坂。標識無し。坂名は、この周辺で一番長いとのことからに因む。 

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ころころ坂

 杉並区上井草3丁目。井草中学校の東脇の坂。正門脇に大きな桜の木がある。この坂下のそう遠くないところに「どんぐり山公園」があるが、それに因んだ名前。

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桜坂(さくらざか)

 杉並区上井草3丁目。井草中学校の西脇の坂。学校敷地内にヤマザクラ数本が目に入る。標識無し。坂名は、井草中学の西斜面にが数本植えられている事による。

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茅坂(かやざか)

 杉並区上井草3丁目。東京都水道局上井草給水所の東脇の坂。昔は茅場だったのでそうなづけられたようであるが、その様子を示すものは今は見つからない。 

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道灌坂(どうかんざか)

 杉並区上井草3丁目。三谷小学校の西側の坂。標識なし。坂途中の道灌公園(井草川遊歩道)の脇に“道灌橋之跡”の石柱がある。坂名は 今は暗渠になった井草川に架かっていた“道灌橋”に由来する。

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馬場坂(ばばざか)

 杉並区上井草3丁目。坂の西側に都立農芸高校の農場と馬術部の馬場がある。標識無し。坂名は、坂の左にある農芸高校の馬術部の馬場に由来する。 

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たぬき坂

 杉並区上井草3丁目。杉並区上井草3丁目と4丁目の間。坂の途中の右に杉並工業高校が、左に三谷公園がある。田抜けの転。杉並区でも緑の多いこの地域では、たぬきを見かけることも。

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西坂(にしざか)

 杉並区上井草4丁目。坂の西側に西山屋敷がある。(杉並区で一番深い森。区指定文化財)。西の山にかかる坂。 

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縄文坂(じょうもんざか)

 杉並区上井草4丁目。杉並工業高校の西側の坂。坂の西側に井草遺跡の標識がある。このあたりから井草式土器が出土した。別名の「どき坂」は井草遺跡から土器が出土したことによる呼称か。

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 以上16坂が『上井草碁盤坂です。

 この後、少し離れた隣町の下井草にある「稲荷坂も行ってきました。

 

稲荷坂(いなりざか)(下井草)

 杉並区下井草2丁目と3丁目の間。旧早稲田通り。妙正寺川に架かる松下橋から,旧早稲田通りを北に進み,銀杏稲荷公園の前まで。標識なし。坂上の東側,民家の路地の突き当たりにある稲荷神社(今は小さな祠があるだけ)に因んだ坂名。

 それにしても稲荷坂は多かったですね。お稲荷さんがあちこちにあるという事でしょう。今日行ったのは「銀杏稲荷神社」でした。

 <坂めぐり>ラストの記念すべき500坂目は、下井草の稲荷坂となりました

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】各坂の解説は、全て坂学会/東京23区の坂 (sakagakkai.org)に依拠しています。

 

「上井草碁盤坂」(16坂)に、下井草の「稲荷坂」を加えて、今日は17坂をめぐりました。朝8時に家を出て帰宅したのは夕方4時過ぎでした。スマホの歩行数は3万歩を記録。以上「50回500坂」をもって、『秀樹杉松』<坂めぐり>は終了します

 なお、<坂めぐり>最終回は【前編】と【後編】の二部構成です。前編は本号で終わりますが、後編が続きます。次号の【後編】は「太田道灌」旧跡など、盛りだくさんです。ぜひご覧ください。

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          『秀樹杉松』94巻 2614 号 2018-6-1,  #blog<hideki-sansho>254

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