橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』を読む(7) 「今こそ、政治的ケンカをする時だ!」
この本は4章293ページから成っていますが、今日の (7)「今こそ、政治的ケンカをする時だ」は第1章「沖縄問題に取りくむための心得」最終節です。第1章は40ページだけで、本書(293ページ)の14%にすぎません。文字通り「序章/序論」で、この先250ページも残っています。因みに、第2章は「こんな重要な沖縄だからケンカに勝てる」、第3章は「沖縄ビジョンX」、第4章は「沖縄ビジョンXを実現するためのケンカ道」です。
この調子だと何ヶ月もかかるので、今後どういう運びにするか、頭の痛いところです。せっかく書き始めたので、注目すべき著者と著書であるだけに、工夫しながらの展開になると思います。何しろ、「大阪でのケンカ」と、大阪改革の実績を踏まえた提言ですので、できるだけ多くの方に、橋下氏の著作の内容を知ってほしいと願っています。 / Atelier秀樹
続きを読む橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』を読む(6) 「東京で沖縄問題を考えよう」
今は橋下徹『』沖縄問題、解決策はこれだ!」(6) 「東京で沖縄問題を考えよう」です。
その前に、ちょっと弁解させてください。前号で私は、1951年(昭和26年)の平和条約と安保条約の締結に関して、私などは、「独立できてよかった」と思った程度で、沖縄問題には無関心でしたと書きましたが、不正確でしたので補足しす。
当時私は中学生でしたが、政治問題には関心を持っていました。「単独講和」か「全面講和」かで、国内はもとより国際的にも紛糾していたのを思い出しました。ソ連や中国などを除外して、対日講和条約(当時はそう呼んでました)を結び、日米安保条約を結ぶのは将来に禍根を残す、と野党などが叫んでいたのです。当時の私にはよく分からなかったのですが、いまにして思えば、沖縄を日本から切り離して米軍基地にする、ということも含まれていたわけですね。/ Atelier秀樹
続きを読む橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』を読む(5) 「日本政府の背信的態度が明らかとなったサンフランシスコ平和条約」
第5回は、沖縄問題の根源「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」です。68年も前のことだから、締結された事情を知っている人も少ないでしょう。私などは、「独立できてよかった」と思った程度で、沖縄には無関心でした。まして若い人は全く知らないわけですね。お読みください。 / Atelier秀樹
続きを読む橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』を読む(4)「基地問題は沖縄戦から始まっている」
34歳・関脇玉鷲が初優勝
↑ 記事と写真は 今日(2018.1.28) の朝日新聞朝刊から
貴景勝が優勝したら、いつものように「ニッカン」「スポニチ」「スポーツ報知」を買いに、コンビニに走るつもりでしたが、手元の「朝日」の記事を自分で撮影しました。
玉鷲関、おめでとう!涙が止まらない姿を見て、私も嬉しくなりました。第二子誕生の喜びも重なったんですね。横綱・大関の現状を考えると、貴景勝・玉鷲時代 の到来を期待したくなります。
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(今日の本題に入りましょう)
橋下氏の本は、説得力と迫力があるので、下手な私の文章よりは生の声(筆)をお届けします。4回目の今日は、沖縄戦のことです。どうぞお読みください。 / Atelier秀樹
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1945年(昭和20年)3月26日、米軍の慶良間(けらま)諸島上陸作戦に始まった沖縄戦は、8月14日のポツダム宣言の受託を受け、日本が敗戦処理を進める最中も戦争状態が続いており、日本軍の武装解除がなされたのは9月上旬だったと思います。
ところで、米軍の沖縄上陸作戦の主たる目的ですが、当初から米軍基地の構築と決まっていました。ですから沖縄戦の最中に、日本軍の港湾を占領したり、日本軍の飛行場を整備・修復したりしています。飛行場は、九州以北の日本爆撃のための出撃基地となりました。さらに基地拡大(住民を難民収容所に隔離し、集落や田畑、山林原野などを接収)が進められたことは、皆さんもご存知ですね。
今日にいたる沖縄の基地問題はこうして、沖縄戦からすでに始まっているわけです。こうして米軍による沖縄での軍政が着々と敷かれ、沖縄の皆さんの土地は軍用地として接収されてしまった。1946年になると、沖縄群島では、軍政地区の廃止にともない、戦前の市町村が復活し、沖縄民政府が発足します。しかし議会には立法、予算の権限が与えられておらず、実質、米軍政府に統治されるかたちでした。ひどい話ですが、こうして米軍の沖縄基地化が着実に進められていったわけです。
当時の米統合参謀本部は、この頃から沖縄という地は、グリーンランド、アイスランド、ニューファンドランド島などとともに、アメリカにとっての最重要基地と位置づけ、排他的戦略的支配の地としたのです。沖縄戦では沖縄の人々の多大な犠牲とともに、米軍もまた、多くの痛手、損害を被ったことは言うまでもありません。そうした米軍の犠牲を無駄にしないためにも、沖縄を米軍の世界戦略拠点とする必要があったし、日本の再軍備化を防ぐためにも米軍による沖縄統治が是が非でも必要だったということだと思います。
そればかりではありません。第二次世界大戦後の、アメリカとソ連のいわゆる「冷戦」が、1948年の韓国と北朝鮮という朝鮮半島の分断、49年の中華人民共和国建国、50年から始まる朝鮮戦争によって表面化し、沖縄が重要な軍事拠点として機能しました。
実際、朝鮮戦争では沖縄が米空軍の出撃地となっています。共産圏に睨みをきかせる極東地域における米軍の砦のごとく、沖縄という場所が捉えられていたことは確かでしょう。
『秀樹杉松』103巻2792号 2019.1.28/ hideki-sansho.hatenablog.com #432
<坂研究>まねごと(31)袖摺・袖振り・袖引きの坂について~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~
今回は袖摺坂、袖振坂、袖引坂です。袖もぎ、路傍神などの信仰は興味深いです。是非お読みください。 / Atelier秀樹
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