坂めぐり(27回=18/2/11): 不動坂、幽霊坂、与楽寺坂、上の坂、東覚寺坂、ポプラ坂、八幡坂、江戸坂…。与楽寺、東覚寺、赤紙仁王尊、蜀山人狂歌碑。ポプラ俱楽部、八幡神社、田端文士村記念館…。
東京北区田端の坂を歩いてきました。田端駅南口を出たらいきなり、不動坂の階段が歓迎してくれました。今日の坂めぐりの特徴は、以下の5つにまとめてみました。
1)神社やお寺の近くに坂が多く、4つの坂は寺社名を冠していました。
2)田端周辺には芥川龍之介、室生犀星、菊池寛などの文士が住んでいました。
3)田端駅前には「田端文士村記念館」がありました。
4)ポプラ坂という洒落た坂がありましたが、明治41年にできたポプラ倶楽部(テニスコート)に因むそうです。跡地に田端保育園ができたので、保育園前の坂をポプラ坂というそうです。
5)今日のハイライトはやはり、東覚寺の「赤紙仁王尊」と「蜀山人狂歌碑」でしょう。東覚寺にはこのほかにも仏像も多かったので、写真をいっぱい撮ってきました。ご覧ください。 / Atelier秀樹
<坂めぐりコース>
(田端駅)~不動坂~幽霊坂~与楽寺~与楽寺坂~上の坂~東覚寺坂~東覚寺~田端八幡神社~ポプラ坂~八幡坂~(上田端)八幡神社~大龍寺~江戸坂~田端文士村記念館~(田端駅)
<坂、寺社などの説明と写真>
不動坂
田端駅南口の改札口出てすぐが、階段状の坂道でした。
幽霊坂
与楽寺の脇の道をゆくと幽霊坂。坂名の由来は不明なそうですが、何となく出そうな感じでした。
与楽寺
与楽寺坂
上の坂 (かみのさか)
東覚寺坂(とうかくじさか)
東覚寺
谷中七福神の一つ。
東覚寺「赤紙仁王尊」
体の悪い部分に赤紙を張って祈願すれば治癒する、病気平癒の御利益を求める人が訪れるそうです。
東覚寺の仏像
前もって調べていたので、なんとか探せた。本堂の右手前に竹を模した石塔がある。文化14年に建立したもので、蜀山人(しょくさんじん)=大田南畝(おおたなんぽ)の狂歌が彫られている。
むらすずめ さわく ち声も もも声も つるの林の 鶴の一声
=群雀 騒ぐ 千声も 百声も 鶴の林の 鶴の一声
幕府の言論統制を皮肉ったものとして、親しまれている。
文字が彫られている側。↑
裏側です。
田端八幡神社
ポプラ坂
坂名由来の「ポプラ倶楽部は」明治41年ごろ、洋画家小池放庵が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場となった。大正2年に田端に越してきた芥川龍之介は、ポプラ倶楽部のことを手紙に書いているそうです。
八幡坂(八幡坂通り)
大龍寺
江戸坂
田端駅近くの坂で、直角に折れ曲がっている。坂の内側に田端文士記念館がある。
田端文士村記念館
明治中期までは田端は閑静な農村だったが、明治22年に上野に東京美術学校ができてから姿が変わった。美術学校を目指す人、学ぶ人、卒業生たちが、上野と台地続きで便がよかった田端に住むようになり、<芸術村>のようになったそうです。大正3年に芥川龍之介、5年に室生犀星が田端に移り住み、やがて菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎、土屋文明らも住み、大正から昭和初期にかけて、田端は<文士村>になった。(記念館の資料から)
なお、館名は「文士村」だが、館発行の説明資料では「文士芸術村」となっています。なるほど、小説家・歌人・詩人などの「文士」だけでなく、画家・陶芸家・彫刻家などの「芸術家」の所蔵資料もあるからでしょう。
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『秀樹杉松』91巻2550号 18/2/11 #blog<hideki-sansho>190
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