秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

鳥谷選手が2000安打

<註記>

ブログ投稿の月別制限容量に達したので、今月は3週間休載すると宣言しました(9月7日)。だがよく調べたらどうやら、写真投稿の容量だけが対象で、記事・文章だけならOKらしいようです。本当かどうか試す意味も込めて、文章のみでブログ執筆を再開します。

 

虎の鉄人・鳥谷選手が二千安打を達成

 阪神鳥谷敬内野手が、9月8日に2000安打を達成した。プロ野球史上50人目の快挙。翌日、ニッカン(日刊スポーツ)を早速買い求めた。1面から3面までが鳥谷二千安打特集だ。それにふさわしいニュースなことは間違いない。鳥谷選手は小生も大好きで、彼の早大時代から応援している。以下、「ニッカン」の記事をネタに書くことにする。

 

 1面の見出しは、日本人最速タイ2000、虎の鉄人50人目など、とド派手。2・3面は「鉄人2000秘話」① 西武ファンだった。入団決め手は「土」。同② 人の3倍練習した。怒るところがない。同③ メジャー契約断り、家族との生活優先。3面は同④ 腰、肋骨、尾骨骨折。止められない限り。

 早大時代の監督だった野村徹氏がニッカンに寄稿しているが、それによると、プロ8球団から声をかけられた鳥谷が阪神を選んだ理由は「土のグラウンドでやりたかった」からで、人工芝ならバウンドも合わせやすく守備は楽。でも「まだ未熟だから向上していきたい」と。3番鳥谷がチームを引っ張り、早大が東京6大学リーグで4連覇。その時の2番打者が青木選手。その二人が同じ年に200安打を打った。

 名遊撃手で鳴らし阪神監督を務めた吉田義男氏は「遊撃の守備力だけなら私の方がうまいだろうが、攻守の総合力では、鳥谷が阪神でNo.1の内野手にのし上がった」。阪神金本監督は、「今季はバットがスムーズに出ている。去年成績がダウンして、今季が勝負の年になってくるけど、その勝負に見事に勝った」

 

 以下は、日刊スポーツに寄せた、鳥谷選手の特別手記から。

 →長い契約を結ばせてもらっていなければ、去年「もう、いいかな」と野球を止めようとしたかもしれません。でも、子供と約束したんです。「パパ、もう1回テギュラー取るから」って。子供が5人います。小学3年生でラグビーをやっている次男が去年、先発を外されました。練習態度を注意したら、「パパだってレギュラーじゃないじゃん。適当にやってるの?」と言い返されて…。「わかった。じゃあパパも頑張るから」と。だから必死です。

→本音を言えば、毎朝起きる度に野球をやめたいと思います。この仕事は毎日子供と一緒にいれない。娘の新体操の発表会に出られないし、父親参観でも他の子はパパと一緒に物作りしているのに、うちだけおばあちゃんとだったり….

 →早大時代からメジャーへの憧れがありました。14年オフに海外FA権を行使し、メジャー契約の話もいただいた。でも最後は阪神でもう一度優勝したい、と強く思ったんです。それからは「日本で適当にやって終わった、と思われるのは嫌い」がモチベーションになりました。なぜこんなに辛い練習をしなきゃいけないんだと思う時もあるけど、家族を食べさせないといけない。

 →中学3年生の時、野球をやめようとしました。右打ちから左打ちに転向したのに全然打てなくて。あの時、父が「野球を続けてくれ」と言ってくれて今がある。本気でプロを目指す覚悟を決めたのは大学生になってからです。僕と弟二人の学費を捻出するために母親が働き始めて、僕と同じ聖望学園で野球をしていた一番下の弟が病気で野球ができなくなって、「これは途中でやめられない。プロに行くしかない」と。

 →2000安打のボールは家族にプレゼントしようと思います。今は一人の父親として、苦しかった昨年を経験して、子供に何を見せて行くか、を考えるようになりました。もう野球をやめても後悔はないー。そう思える日まで頑張ります。

 

○鳥谷選手はについてこれまで知らなかったことも、以上の記事や特別手記でよくわかりました。野球熱心だけでなく、家族思いが強くて立派ですね。小生の見るところ、いやプロ野球界の嘱望でもある、将来の「鳥谷阪神タイガース監督」

                          (秀樹杉松 84巻/2416号)