貴景勝=貴継承 ~新鋭・貴景勝の初優勝を喜ぶ~
貴景勝 = 貴乃花継承
大相撲九州場所で小結貴景勝が見事な初優勝を成し遂げたので、前号で「特報」を出しました。
見出しは、
小結貴景勝が初優勝! ~貴景勝関、貴乃花親方、おめでとうございます!
としました。ご覧のように、優勝した貴景勝だけでなく、前師匠の貴乃花さんの二人に「おめでとうございます」と見出しをつけました。
そして記事の締めは、
「貴景勝の見事な優勝は、手塩にかけて育てた貴乃花親方の“優勝”でもあります」としました。 / Atelier秀樹
貴景勝が優勝したので、早速スポーツ3紙(ニッカン、スポニチ、スポーツ報知)を買い求めました。
11月26日付スポーツ3紙の1面の写真は、次のようになっています。
ニッカン(日刊スポーツ)
スポーツ報知(報知新聞)
私の考えと同じで、貴景勝の優勝を元師匠の貴乃花親方との関係で捉えています。それは当然の見方でしょう。つまり、私の「貴景勝の優勝は貴乃花親方の優勝でもある」は、客観性を持っているということです。
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「ニッカン」の1面の記事から
苦労の22年間だった。相撲クラブの関係者や同級生からは「お前みたいなチビに何ができんねん」と鼻で笑われる日々。それでもやめなかった。「父親が本気やったから。俺を信じてくれたから」
18歳だった14年秋場所で、一哉さん(父)が昔からのファンだった
元貴乃花親方の旧貴乃花部屋に入門して4年。「偉大な師匠」という先代親方の記録より約3歳遅れながらも、年6場所制っとなった58年以降では6位となる若さで優勝。元師匠に少し近づいたようにも思えるが「全然話になりません。比べるのも申し訳ない」と謙遜した。
場所前は元師匠が日本相撲協会を退職して、貴乃花部屋の消滅で千賀の浦部屋に移るなど周囲の環境が大きく変わった。それだけに
「結果を何よりも出さないといけないと思った」と22歳ながら背追い込んだ。
その中で果たした初優勝だが笑顔はない。「嬉しいけど笑う必要はない。力士だから。次の場所は始まっている」と余韻に浸ることもなく、もう前を向いた。
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「スポーツ報知」の1面の記事を引用します。
貴乃花親方「あの子は絶対強くなりますよ」
→「小学4年の夏休みに参加した旧貴乃花部屋の相撲教室。ぶつかり稽古の順番で、部屋の弟子にぶつかった。「もう一回やってみて」と貴乃花親方から言われ、再度弟子にぶつかると、今度は親方が土俵に上がって胸を出した。10番ほど当たると次は「四股を踏んでみて」。ピンと伸びた足で力強く100回踏んだ。帰り際、一緒に来た父・佐藤一哉さん(57)に親方は声をかけた。
「あの子は絶対強くなりますよ」。
父は貴信という名前に、尊敬する平成の大横綱の名前を入れた。12年の時を経て、前師匠の言葉が現実になった。……勉強に集中する友人が多数を占める中で、6年時の卒業文集で
「将来、横綱になる」と書いた。優勝するという夢の一つは叶えたが、まだ夢の続きがある。…」
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「スポニチ」の記事を紹介します。
◉貴景勝のしこ名の由来
しこ名の「貴景勝」は、前師匠、元貴乃花親方が好きな戦国武将の上杉謙信の後を継いだ、上杉景勝から命名
<註> 私には、貴乃花の奥方の「景子」さんのお名前もちらつくのですが、、、。
◉貴景勝の優勝歴
→2014年秋場所 新序出世(しこ名「佐藤」)
2015年初場所 東序二段10 7戦全勝 序二段優勝
2016年春場所 東幕下9 7戦全勝 幕下優勝
2018年九州場所 東小結 13勝2敗 幕内優勝
◉花田光司氏愛の特別寄稿(抜粋)
→大きく羽ばたいて、小さく闘って。…翼を広げて。小さくても広げて。できれば大きな心で広げて。…願いを叶えるのは理解されるようなものではなく、切なく貴く儚いもの。…
景勝よ、ここから先からを闘え‼︎ここから先は一歩も引くな‼︎ しばし実父への感謝の気持ちに浸れ。そして、新しい鍛錬を土の上でいますぐに始めよ!(元貴乃花親方)
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『秀樹杉松』100巻2740号 2018-11-26 /