坂めぐり(36回:2018-4-5:目黒区)~谷畑坂、睦坂、蜀江坂、兵庫坂、寺郷の坂、鉄飛坂、鶯坂。~自由が丘駅、女神通、すずかけ通、自由ヶ丘学園、学園通、カトレア通、自由通、卯の花・藤の花、東京工業大学、大岡山駅。
前号の都立大学駅周辺の「柿の木坂」等に続き、今日はすぐ近くの自由が丘駅周辺の谷畑坂等に行ってきました。前回は「柿の木坂/八雲の地名」が中心でしたが、今回は「自由ヶ丘」がメーンテーマです。
前回私は、自由通は「いい名前ですね」と書きました。今日は自由ヶ丘学園を訪ね、「自由ヶ丘学園」に由来するといわれる「自由が丘駅」、「自由が丘(町名)」「自由通」を見てきました。
前回指摘した通り、近辺には「○○通」が多いので、少し撮影してきました。 / Atelier秀樹
<坂めぐりの写真>
女神通
すずかけ通
谷畑坂(やばたざか)
旧衾(ふすま)村の字「谷畑」にあることから谷畑坂と呼ばれた。この坂下はかつて湿地で鷺草が自生していた。
自由ヶ丘学園(高校)
手塚岸衛が自由主義教育を掲げ、1930年(昭和5年)に創立。同時に町名及び駅名が自由ヶ丘(現自由が丘)と改称される。校名「自由ヶ丘」の由来は、創設者の手塚岸衛の教育目標である自由主義教育を具現化したものである。
◉私は学生時代の一時期、「自由ヶ丘駅」の二つ隣の「尾山台駅」近くに住んでいた関係もあり、毎日「自由ヶ丘駅」を通過していました。当時から「自由ヶ丘」という地名と駅名に一種の”誇り”を感じていましたが、まさか「自由ヶ丘学園」に由来した名称だとは。今回の坂めぐりの下調べ(事前のお勉強)で、初めて知りました。坂巡りはいろんなことを教えてくれます。
ところで、大学から程遠い自由が丘の方面に引っ越したのは、もちろん「自由を求めて」ではなく、「低家賃の部屋を求めて」でした。3千円の3畳間(一畳千円)を見つけたからでした。60年以上も後に「坂めぐり」で懐かしい場所を訪れようとは。若き頃の思い出にちなみ、近辺の歴史を目黒区HPから引用します(少し長くなりますが)。
→ 江戸時代以来の字名「谷畑(やばた)」の名で呼ばれていたこの地に東横線が開通したのは、昭和2年8月のこと。開業した駅は、現在は隣り駅の名「九品仏(くほんぶつ)駅」と名付けられたが、それまで畑と水田と林に覆われた田園地帯であったこの辺りには、以後、にわかに商店や住宅が建ち始め、同年11月には「谷畑」の大根畑の丘の上に、私立の学園も建設された。これが、「自由ヶ丘」の地名の発端として知られる「自由ヶ丘学園」で、自由教育を旗印に手塚岸衛氏が創立したもの。
さて、その二年後の昭和4年、大井町線が大岡山から二子玉川まで延長されるに際して、「九品仏駅(くほんぶつ)」が同線上の実際の寺の表参道口に設けられることになり、先の駅名を改称する必要が起こってきた。そこで、新駅名採用に当たって熱心な要望活動を行ったのが、舞踊家石井漠氏をはじめとする先駆移住の文化人。電鉄側では既に新駅名を「衾(ふすま)駅」と内定していたが、結局、大井町線開通の直前、「自由ヶ丘」を駅名として採用することとなった。
以後、駅周辺に移住してきた人たちは郵便物に「自由ヶ丘駅前O番地」と書くようになるなど、「自由ヶ丘」は次第に地名化し、昭和7年6月、耕地整理組合の努力もあり、これが町名として正式に認可。同年10月の区制施行による町名整備を待たず、「碑衾町大字自由ヶ丘」として新地名がスタートすることとなった。
なお、町名「自由ヶ丘」が「自由が丘」に改められたのは、昭和40年1月1日の住居表示実施の際。駅名が同様に改められたのは、翌年1月のことである。(city.meguro)
学園通
自由が丘学園の東を南北に走る。
カトレア通
学園通りと自由通の間を両通りに並行。
これは卯木(ウツギ)だと思います。確か ♪卯の花の匂う垣根に...(「♪夏は来ぬ」)だったと思いますが...。素敵な花ですね!(違っていたら、ご教示ください)
睦坂(むつみざか)
この坂のある道は、昭和の初めに耕地整理によって新たに造られた道である。当時この付近に住んでいた人々が親睦を願って名付けた。
自由通
世田谷区ー目黒区ー大田区を南北に走るlong通。最初は自由ヶ丘周辺の通り名だったのでしょうが、いい名前ですからどんどん伸びた?本当に良い通り名ですね!
立源寺(りゅうげんじ)
目黒区中根にある日蓮宗の寺院。山号は長昌山。「リツゲン寺は何処ですか」と地元で訊いたら、「リュウゲン寺ならあっちです」と教えてくれました。
蜀江坂(しょっこうざか)
かつて、中根二丁目18番を西(立源寺裏)から東(呑川)に下る農道で、野良仕事の行き来に利用されていたが、昭和初期に行われた耕地整理により廃道となった坂である。(目黒区HP)
早くもフジの花が咲いてました。
兵庫坂(ひょっこざか)
中根公園は旧名主岡田邸の跡だが,坂側に兵器庫があったためと伝えられる。別名=しょっこ坂、蜀江坂(しょっこうざか)
<註>蜀江坂と兵庫坂は100mしか離れていない。どちらにも標識がない。目黒区によると、蜀江坂は昭和初期に廃道とある。兵庫坂はヒョッコ坂と読ませ、兵庫坂の別名が「しょっこ坂」「蜀江坂」となっている。蜀江坂・兵庫坂の関係微妙ですね。
中根公園
旧名主岡田邸の跡。側に兵器庫があった由。(写真撮とり漏らしました)
寺郷の坂(てらごうのさか)
この坂上には立源寺があり、かつてこの周辺を「寺郷」といった。また、この道は江戸時代、九品仏へ向かう道で、この辺りに水茶屋があったため「衾の茶屋坂」とも呼ばれていた。
鉄飛坂(てっぴざか)
「てっぴ」とは、山頂・てっぺんを意味し、それが坂名になったといわれるが、他にもポルトガル人、テッピョウスという人が住んでいたからや、鉄砲鍛冶がいたからなど諸説がある。
鶯坂(うぐいすざか)
昔このあたりは切り通しになっていて、両側に竹や杉が茂り、鶯がよく訪れて鳴いていたのでこの坂名になったといわれる。
大岡山駅前に東京工大(大岡山キャンパス)がある。東京工大といえば、最近では菅直人元首相。私は立派な政治家だと思いますが、あの東日本大震災に遭遇の際に、政権打倒を狙った塩梅辛酸らの激しい、そして理不尽とも思える攻撃を受けた。それにしても、混乱に乗じての非難中傷は酷かったですね。大震災を「千載一遇」のチャンスとばかりに、時の政府を助けるのではなく、打倒目標にした、歴史的に稀に見る醜いショーでした。
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『秀樹杉松』93巻2583号 2018-4-5, # blog<hideki-sansho> 2583
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