秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第69回=2018-8-13=品川区大崎・西品川・南品川・東大井)~峰原坂・百反坂・ゼームス坂・ゆうれい坂・仙台坂・旧仙台坂(くらやみ坂)。~目黒川・大崎橋。大崎警察署・立正大学(品川キャンパス)・りんかい線・エトワール女子高・仙台坂トンネル・仙台坂公園・海晏寺・泊舩寺・ジュネーブ平和通り。

 品川区の6坂を巡ってきました。仙台坂と旧仙台坂(くらやみ坂)がありました。新旧併存いいですね。国際的な色合いの「ゼームス坂」があり、青物横丁駅前はジュネーブ平和通り」でした。暑さ対策と歩き過ぎ防止の観点から、普段あまり利用しないりんかい線に乗って、大崎駅から大井町駅まで移動しました。(たった一駅なので、いつもなら歩くのですが)

 早朝6時前に自宅出発、昼前の11時半ごろ帰宅しました。どうぞご覧ください。Atelier秀樹

 

山手線「大崎駅」(スタート)

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目黒川 / 大崎橋

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大崎警察署

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立正大学(品川キャンパス)

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峰原坂(みねはらざか) (#604)

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 品川区大崎3丁目と4丁目の間。山手通りの“大崎警察署前”交差点から南に入り,立正大学の南端付近まで。南南西に向かって上る。やや急坂。ほぼ直線。坂下の大崎警察署横と,坂上立正高校(大学?)前に,品川区が設置した標識が建っている。

 →「峰原坂 Mineharazaka Slope  峰原という地名は,江戸時代の谷山村(やつやまむら)(飛地)内の字名であった。現在の大崎三・四丁目付近にあたり,坂名はこの地名からとったものである。 なお谷山村の本村は西五反田二・三丁目の目黒川沿にあった。 東京都品川区教育委員会

 

百反坂(ひゃくたんざか) (#605)

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 品川区大崎2丁目~西品川3丁目 の間。JR山手線が大崎駅の南西(編注:南東?)で横須賀線東海道新幹線と交差するが,その手前を 西に向かう,通称“百反通り”と呼ばれる 長い坂道。西に向かって上り。360m。緩やか。わずかに左右に屈曲。坂下付近に,品川区が設置した標識が建っている。

 →「百反坂 Hyakutan Slope  この,現在「ひゃくたんざか」と呼ばれている坂は,古くは「ひゃくだんさか」と呼ばれていた。このあたりは,目黒川に向かって傾斜している台地の端にあたり,その傾斜が段々になっていることから名づけられたという。「百」とは,「数が多いこと」を意味することばで,「段々が多いこと」から「百段」になり,のちに「百反」に転化したもとと考えられている。 東京都品川区教育委員会

 由来他:昔この坂は階段であったため“百段坂”と呼ばれていたが,その後路面が平坦になり 坂名が“百反坂”となって残ったものといわれる。(品川区HPより)

 

 <編注>

 歩く距離を減らすため、山手線「大崎駅」から「りんかい線」で1駅隣の「大井町駅」へ移動。普段滅多に乗らない「りんかい線」に乗ってみようとの気持ちも込めて。

 

りんかい線

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 東京臨海副都心での東京五輪開催を見越した新線。「臨海副都心」として1996 年に新木場~東京テレポート間で開業。2002年「りんかい線」の愛称の使用を開始。同時に路線名をりんかい線に改称。2002年12月、天王洲~大崎の全線区間開通(JR埼京線と相互乗り入れ)。

 

大井町駅

 りんかい線で大崎駅〜大井町駅(1駅)へ

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ゼームス坂 (#606)

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 別名:浅間坂(せんげんざか)。品川区南品川5丁目と6丁目の間。大井町駅の100m東の“ゼームス坂上”交差点から北東に入ると“ゼームス坂通り”商店街。大きな街路樹が繁って気持ちがよい坂道。南西に向かって上る。410m。緩やか。ほぼ直線。坂上と坂下に,品川区が設置した標識が建っている。坂下には古いタイプ(白い角柱型)の標識,坂上には新しいタイプ(黒い角柱を斜めに切り落とした形)の標識。

 

 →「ゼームス坂 Zemusu(James)zaka-Slope    もとは浅間(せんげん)坂と呼ばれ,かなり急な坂でした。片側は切り落としになっていて,崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。明治時代,この坂の途中に英国人の J・M・ゼームスが住んでいたことから,ゼームズ坂と呼ばれるようになりました。 品川区教育委員会

 由来他:かつては非常に急な坂だったが,明治時代,坂下付近に住んでいた英国人 J・M・ゼームスが,私財を投じて緩やかな坂に改修した。それ以来この坂は「ゼームス坂」と呼ばれるようになった。J・M・ゼームスは,幕末にジャーデン=マディソン商会の長崎支社の社員として来日し,明治5年(1872)に海軍省に入って測量調査や航海術の指導を行った。(品川区HPより)

 

 坂の中ほどにある“三越ゼームス坂マンション”の庭に,次のような石碑が建っている。

 →「ゼームス邸跡地について  此の処は南品川英国人ジョン・M・ジェームス邸跡地である。M.ジェームスは慶応二年(1863年)二十八歳の時来日した。そして坂本竜馬等とも知り合い後に日本海軍創設に貢献し明治五年海軍省雇入れ、以降幾多の変遷を経て住まいを此の地に構え隣人に慕われつつ明治四十一年七十歳にて没した。墓は身延山本堂裏山に在り「日本帝国勲二等英国人甲比丹ゼームス之墓」と刻まれている。その頃のジェームス在りし日を偲ぶ庭の欅も品川区の保存指定樹として樹齢百数十年の姿そのままに苔むす石垣と共に昔の面影を今に止めている。昭和三十八年十月」

 命名時期:明治時代

 

ゆうれい坂 (#607)

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 別名:ニコニコ坂(にこにこざか)。品川区南品川5丁目。“ゼームス坂”の途中,品川特別支援学校の向い側から南東に狭い道に入り,ジグザグに曲がる坂。南西に向かって上る。南西に向かって上る。80m。急な坂。ジグザグに曲がる狭い道。標識なし。

 由来他:道幅が狭く、途中でかぎ型に曲がる。かつては道の両側に大きな樹木がしげっていて、うす暗く寂しい場所だったために、この名称がついたといわれている。(品川区HPより)

 <編注>ゆうれい坂」の別名が「ニコニコ坂」とは面白い。由来を知りたいですね

 

仙台坂(せんだいざか) (#608)

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 品川区南品川5丁目。第一京浜国道を青物横丁で分岐して,大井町駅に向かう道路。南西に向かって上る。330m。緩やかな坂。僅かに“く”の字に曲がる。坂上に品川区が設置した標識が建っている。標識は古いタイプの白い金属柱。

 →「仙台坂  (せんだいざか)   この坂の南方,海晏寺(南品川五丁目)と 泊船寺(東大井四丁目)との間にある坂の名。のちに この坂の方が道幅が広がり,交通量が多くなったため,坂の名が移転したものという。 東京都品川区教育委員会

 由来他:坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことや,坂上に仙台味噌の工場があったため,この坂名になった。(品川区HPより)

 命名時期:江戸時代。参考文献:品川区HP「仙台坂」

 

エトワール女子高

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仙台坂公園

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旧仙台坂くらやみ坂(#609)

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別名:くらやみ坂。品川区東大井4丁目と南品川5丁目の間。大井町駅から都道420号線で東に向かい,池上通りを過ぎてから 第一京浜国道にぶつかるまでの間。途中 約100メートルは,車道部分のみトンネルになっている。坂上で交差する 池上通りを北東に曲がると仙台坂,更に 大井町駅に近くを北東に曲がるとゼームズ坂。西に向かって上り。150m。直線。

 坂下の泊舩寺前と,坂上の Villa仙台坂の前に,品川区が設置した標識が建っている。

 →「旧仙台坂 (くらやみ坂) Kyu-Sendaizaka-Slope (Kurayamizaka-Slope)   江戸時代(1603~1867)に,この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから,東大井四丁目と南品川五丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。しかし,現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために,その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり,こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。 品川区教育委員会

 由来他:第一京浜国道から分岐して大井町駅に向かう道路が「仙台坂」と呼ばれるようになり,もとの仙台坂が「旧仙台坂」(または「くらやみ坂」)と呼ばれるようになった。(標識より)

 


旧仙台坂(くらやみ坂)トンネル

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海晏寺(かいあんじ)

 東京都品川区南品川五丁目にある曹洞宗の寺院。建長3年( 1251年)開山。本尊は聖観音菩薩、山号は補陀落山。(Wlikipedia)

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泊舩寺(はくせんじ)

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 品川区東大井4丁目。永徳2年(1382年)海中より出現した阿弥陀如来を本尊として、大庵龍光が開創したとされる寺。松尾芭蕉とも親交があったことから、境内に牛耕庵泊船堂・芭蕉)を建てたと伝えられています。(品川区HP)   

 

ジュネーブ平和通り

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<編注>ゴールの「青物横丁駅」についたら、「ジュネーブ平和通り」の標識があった。写真を撮ってきたので、早速ネットで調べた。

 →「ジュネーヴ平和通り(延長720m)| 品川区

 寺の梵鐘(ぼんしょう)を通じて品川区と友好都市提携を結んだジュネーヴ(スイス)から、”Avenue de la Paix”(フランス語で「平和通り」)の標識が送られた。この通りは都道だが、同市と交流のある地元の方々の要望により名付けられた。」(品川区HP

   

京急本線「青物横丁駅(ゴール)  

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<編注>

坂名と坂説明は「坂学会/東京23区の坂」に依拠。写真はAtelier秀樹撮影。坂名の直後の(#〇〇)は、『秀樹杉松』坂めぐりの累積坂数。(今日で609坂)

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    『秀樹杉松』96巻2650号 2018-8-13  / hideki-sansho.hatenablog.com 290

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