『秀樹杉松』坂めぐり(第82回=2018-9-23=新宿区愛住町・富久町・四谷)~暗坂(暗闇坂)、自証院坂、禿坂、安保坂、茗荷坂。~自証院、富久小、正女学園、東長寺、源慶寺、正応寺、法雲寺、浄運寺、東京医科大。
新宿区内の坂が残っているので、今日行ってきました。坂めぐりを始めた当初は、一日に10坂以上を3〜4時間もかけて歩きましたが、最近は1桁の坂数を2〜3時間で終えるようにしています。なるたけ早朝に出かけて、昼前に帰宅。一日がかりではなく、半日で終わるように心がけています。
新宿区は港区、文京区と並んで坂数が断然多く、残っている坂も少なくないので、何回か行くことになります。今日の圧巻は、暗坂=暗闇坂=くらやみざか と、「くらやみ坂」のある昔の四谷北寺町(今の愛住町)でしょう。 / Atelier秀樹
①暗坂 (暗闇坂)(くらやみざか)
/ 別名:くらがり坂 (#669)
新宿区愛住町。靖国通りの“住吉町”と“富久町”交差点のほぼ中間を南東にカーブしながら上り,更に南に上る。坂下は南東に,途中大きく湾曲して,坂上は南に向かって上る。120m。急坂。大きく湾曲しながら上る。
坂上と坂途中の階段上に 新宿区が設置した標識がある。
→「暗坂 くらやみざか (暗闇坂) 四谷北寺町へ出る道で,坂の左右に樹木が繁って暗かったためこの名がついた(『再校江戸砂子』)。 別名「くらがり坂」ともいう。 (『江戸名勝志』)。 江戸時代,坂上一帯は多くの寺院が並び,四谷北寺町と呼ばれていた。 平成十八年二月 新宿区教育委員会」
命名時期:江戸時代
<編注 1>
坂名がややこしい。「くらやみざか」の漢字に「暗坂」と「暗闇坂」の二つが充てられ、しかも、別名が「くらがり坂」とくる。相当に暗かったんでしょうね。さらに紛らわしいことに、次回行く予定の同じ新宿区の須賀町(愛住町から800mぐらい)に「闇坂(くらやみざか)」があるからたまらない。「くらやみ」に「暗」「暗闇」「闇」の3つの漢字があてられている。
<編注2>上記の標識に出てくる「四谷北寺町」は、今の愛住町。お寺が集結している。正応寺、法雲寺、浄運寺、…。寺町で左右に樹木が茂っていたら、確かに「くらやみ坂」ですね。
正応寺(左)、法雲寺(中)、浄雲寺(右)〜四谷北寺町/愛住町〜
新宿区愛住町は、昔の四谷北寺町。今でもお寺が集中している。明治4年に四谷愛住町、明治44年に愛住町となった。
②自証院坂(じしょういんざか)(#670)
新宿区富久町。富久小学校の前から成女学園の前を通って靖国通りに下る坂。北西に上る。85m。急坂。直線の短い坂。標識なし。
由来他:坂名は坂上にある寺・自証院(尾張藩主徳川光友の夫人の母(=徳川家光の側室)の菩提を弔うために創建された)に因む。靖国通りから成女学園高・中学校の東脇を自証院の前へ上る坂。江戸の切り絵図では自証院の敷地は広大なもの(1万坪余)であった。この坂道は今でこそ公道であるが,かつては寺の参道であった,坂名は新坂としてつけられた名である。明治10年前後の地図には道として記録されていない。(「東京の坂風情」より)
命名時期:明治以降。
自証院
新宿富久町。天台宗鎮護山。徳川家光側室「自証院」を弔うために創建。
富久小学校
新宿区富久町。「自証院坂」の東にある。
成女学園中学校・成女高校
新宿区富久町。「自証院坂」の東にある。
③安保坂(あぼざか)(#671)
新宿区富久町。靖国通りの“富久町”交差点と“富久町西”交差点の間。直線。
坂上に東京都が設置した金属の標識がある。
→「安保坂 あぼざか この道路は,昭和十九年七月に都道と認定されたもので,坂名がついたのもきわめて新しい。その時の東京都告示には「牛込区市ヶ谷富久町及四谷区四谷四丁目,花園町地内に於て (中略) 市道の路線を認定し之が区域を決定し其の供用を開始す」とある。坂名の安保は,この地に 男爵安保清種海軍大将が住んでいたことに由来する。 東京都」
命名時期:1944(昭和19)年
④茗荷坂(みょうがざか)(#672)
新宿区四谷4丁目と富久町の間。靖国通り“富久町西”交差点から 外苑西通りを南に入ってすぐ,東長寺と源慶寺の間の道。西北西に向かって上る。100m。緩やか。わずかに左に曲がりながら上る。
坂下に新宿区が設置した標識がある。
→「茗荷坂 みょうがざか 江戸時代後期まで,この坂下は源慶寺と東長寺に沿って,市谷村の茗荷畑であったためこう呼ばれた。 平成三年一月 東京都新宿区教育委員会」
命名時期:江戸時代
東長寺 (左) 新宿区四谷4丁目。曹洞宗萬亀山。「茗荷坂」の南にある。
源慶寺(右) 新宿区富久町。浄土真宗東本願寺派。「茗荷坂」の北にある。
⑤禿坂(かむろざか)
別名:蜘蛛切坂(くもきりざか)(#673)
新宿区富久町。高層マンション(ローレルコート新宿タワー)付近から東京医科大学の手前付近まで。西北西に上る坂。260m。緩やか。坂下側は少し左に曲がりながら上り,坂上側はほぼ直線。
坂下に新宿区が設置した標識がある。
→「禿坂 かむろざか 昔,この坂下の自証院の横に小さな池があり,水遊びに来る禿頭(おかっぱを短く切り揃えたような髪形)の童たちの姿が見られたことから,禿坂と呼ばれるようになった。 平成十五年三月 新宿区教育委員会」
<編注>別名の「蜘蛛切坂」は渡辺綱の土蜘蛛退治の伝説による。
(坂道散歩app.m-cocolog.)
新宿区新宿6丁目。「禿坂」を上った先の北側にある。
<編注>坂名および坂の説明は、
「坂学会/東京23区の坂 sakagakkai.org」に依拠。
坂名の直後の(#〇〇)の数字は、『秀樹杉松』坂めぐりのこれまでの通算坂数。今日の82回で通算673坂を巡りました。
写真撮影は、Atelier秀樹。
『秀樹杉松』98巻2685号 2018-9-23 / hideki-sansho.hatenablog.com #325