秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

宮沢賢治『フランドン農学校の豚』を読んで、感動し、衝撃を受けました。「家畜撲殺同意調印法」~誰でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾書には家畜の調印を要する、いう布告。豚は「死」を知っている?!

 

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 最近宮沢賢治に興味を抱いて、少し作品を読んでいます。それまでは「雨ニモ負ケズ」以外は詳しくは知りませんでしたが、『新編銀河鉄道の夜』『新編風の又三郎』(ともに「新潮文庫」)で、賢治の童話(短編小説)を読んで、感動しています。宮沢賢治は、盛岡高等農林(現・岩手大学農学部)を卒業して、波乱の生涯を送り37歳の若さで世を去りましたが、詩人・童話作家として日本文学史上に燦然と輝いております。

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 宮沢賢治は盛岡高等農林(旧制)を卒業し、卒業後は花巻農学校の教員もやっています。わたしは本ブログ「秀樹杉松」7月28日号で賢治の「ビジテリアン大祭」をとりあげました。その中で、動物を食べるのは可哀想だというビジテリアン(菜食主義者)に対して「豚などが死という高等な観念を持ってない」との反論を展開しているのを紹介しました。

 

 今回は宮沢賢治新編風の又三郎所収のフランドン農学校の豚読書メモです。いわば「豚研究」の第2弾です。

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 東北の農村で生まれ育った自分は、子供の頃は毎日、鶏、馬、牛、犬、猫、豚に親しんだ暮らしでした。今でも鮮明に覚えております。

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は豚舎に放し飼いで、毎日だだ食わせるだけでどんどん肥っていく、実に手間のかからない家畜でした。一言で言えば、「丸々と肥って、いつでもブーブーと鼻を鳴らしながら近寄ってくる、愛嬌のある可愛い動物」でした。

  今回はが主人公の小説で、「家畜撲殺同意調印法」という聞いたことのないテーマが絡んでいるのに、正直衝撃を受けました。これこそ、賢治童話のハイライトといってもよいのでは? 編者(天沢退二郎氏)は作品解説で、フランドン農学校の豚」は「屈指のパセティックな、完成度の高い力編と書いています。以下は「フランドン農学校の豚」からのごく一部の抜粋ですが、農学校の校長先生と殺される豚の会話を、ぜひお読みください。/ Atelier秀樹

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 (前略)

 さてはずんずん肥り、何べんも寝たりおきたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、まいにち来ては鋭い眼で、じっとその生体量を、計算しては帰って行った。「も少しきちんと窓をしめて、部屋中暗くしなくては、脂がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろ飼育をやってもよかろうな、毎日亜麻仁を少しずつやって置いてくれないか。」 

 教師は若い水色の、上着の助手に斯う云った。豚はこれをすっかり聴いた。そして又大へんいやになった。(中略)

 

 ところが、丁度その豚の、殺される前の月になって、一つの布告がその国の、王から発令されていた。それは家畜撲殺同意調印法といい、誰でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾書には家畜の調印を要すると、こういう布告だったのだ。

 

 さあそこでその頃は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強いられて、証文にペタリと印を押したもんだ。ごくとしよりの馬などは、わざわざ蹄鉄を外されて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな印をぱたっと証書に押したのだ。

 

 フランドンのヨークシャイヤ(註:この小説の豚)も又活版刷りに出来ているその死亡証書を見た。見たというのは、或る日のこと、フランドン農学校の校長が、大きな黄いろの紙を持ち、豚のところにやってきた。は語学も余程進んでいたのだし、又実際豚の舌は柔らかで素質も充分あったのでごく流暢な人間語で、静かに校長に挨拶した

「校長さん、いい天気でございます。」

 

 校長はその黄いろな証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、苦笑いして斯う云った。「うんまあ、天気はいいね。」

 豚は何だか、この詞が、耳にはいって、それから喉につかえたのだ。おまけに校長がじろじろと豚のからだを見ることは全くあの畜産の、教師とおんなじことなのだ。豚はかなしく耳を伏せた。そしてこわごわ斯う云った。

私はどうも、この頃は、気がふさいで仕方ありません。」

 

 「ふん。気がふさぐ。そうかい。もう世の中がいやになったかい。そういうわけでもないのかい。」豚があんまり陰気な顔したものだから校長は急いで取り消しました。それから農学校長と、豚とはしばらくしいんとしてにらみ合ったまま立っていた。ただ一言も言わないでじいっと立って居ったのだった。

 そのうちにとうとう校長は今日は証書をあきらめて、「とにかくよく休んでおいで。あんまり動き回らんでね。」 例の黄いろな大きな証書を小わきにかいこんだまま、向こうの方へ行ってしまう。(中略)

 

 そのあとの豚の煩悶さ、(承諾書というのは、何の承諾書だろう、何を一体しろと云うのだ。やる前の日には、なんにも飼料をやっちゃいけない、やる前の日って何だろう。一体何をされるんだろう。どこか遠くへ売られるのか。ああこれはつらいつらい。) 豚の頭の割れそうな、ことはこの日も同じだ。その晩豚はあんまりに神経が興奮し過ぎてよく眠ることができなかった。(中略)

 

  その煩悶の最中に校長が又やって来た。入り口でばたばた雪を落として、それから例のあいまいな苦笑をしながら前に立つ。「どうだい。今日は気分がいいかい」 「はい、ありがとうございます。」 「いいのかい。大変結構だ。たべ物は美味しいかい。」「ありがとうございます。大へんに結構でございます。」 「そうかい。それはいいね、ところで実は今日はお前と、内内相談に来たのだがね、どうだ頭ははっきりかい。」

はあ。」豚は声がかすれてしまう。

 

実はね、この世界に生きるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持ちでも、又私のような、中産階級でも、それからごくつまらない乞食でもね。」 

はあ、」豚は声が喉につまって、はっきり返事ができなかった。

 

また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリアでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣(かげろう)ののごときはあしたに生まれ、夕べに死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬにきまってる。」

はあ。」豚は声がかすれて、返事もできなかった。

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 「そこで実は相談だがね、私たちの学校では、お前を今日まで養ってきた。大したこともなかったが、学校としては出来るだけ、ずいぶん大事にしたはずだ。お前たちの仲間もあちこちに、ずいぶんあるし又私も、まあよく知っているのだが、でそう云っちゃ可笑しいが、まあ私の処ぐらい、待遇のよい処はない。」

はあ。」豚は返事しようと思ったが、その前にたべたものが、みんな喉へつかえててどうしても声が出て来なかった。

 

 「でね、実は相談だがね、お前がもしも少しでも、そのようなことが、ありがたいと云う気がしたら、ほんの小さな頼みだが承知しては貰えまいか。」 

はあ。」豚は声がかすれて、返事がどうしてもできなかった。

 

 「それはほんの小さなことだ。ここに斯(こ)う云う紙がある、この紙に斯う書いてある。

死亡承諾書、私儀永々御恩義の次第に有之(これあり)候儘(まま)、御都合により、何時(いつ)にても死亡仕(つかまつ)るべく候 年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校校長殿

とこれだけのことだがね、」 校長はもう云い出したので、一瀉千里にまくしかけた。

 

 「つまりお前はどうせ死ななけぁいかないからその死ぬときは潔く、いつでも死にますと斯う云うことで、一向何でもないことさ。死ななくてもいいうちは、一向死ぬことも要らないよ。ここの処へただちょっとお前の前肢の爪印を、一つ押しておいてもらいたい。それだけのことだ。」

 

 豚は眉を寄せて、突きつけられた証書を、じっとしばらく眺めていた。校長のいう通りなら、何でもないがつくづくと証文の文句を読んでみると、全く大変に恐かった。とうとう豚はこらえかねてまるで鳴き声でこう云った。

何時(いつ)にてもということは、今日でもということですか。」

まあそうだ。けれども今日だなんて、そんなことは決してないよ。(中略)

 

死亡をするということは私が一人で死ぬのですか。」豚は又金切り声で斯うきいた。「うん、すっかりそうでもないな。」

いやです、いやです。そんならいやです。どうしてもいやです。」 豚は泣いて叫んだ

いやかい。それでは仕方ない。お前もあんまり恩知らずだ。犬猫にさえ劣ったやつだ。」 校長はぶんぶん怒り、顔を真っ赤にしてしまい証書をポケットに手早くしまい、大股に小屋を出て行った。

 

どうせ犬猫になんかには、はじめから劣っていますよう。わあ」 豚はあんまり口惜しさや、悲しさが一時にこみあげて、もうあらんかぎり泣き出した。けれども半日ほど泣いたら、二晩も眠らなかった疲れが、一ぺんにどっと出てきたのでつい泣きながら寝込んでしまう。その睡りの中でも豚は、何べんも何べんもおびえ、手足をぶるっと動かした。(中略)

 

 間もなく農学校長が、大へんあわててやって来た。豚は身体の置き場もなく鼻で敷藁を掘ったのだ。「おおい、いよいよ急がなきゃならないよ。先頃の死亡承諾書ね、あいつへ今日はどうしても、爪印を押してもらいたい。別に大した事じゃない。押して呉れ。」 

いやですいやです。」豚は泣く

 

 「厭だ? おい。あんまり勝手を云うんじゃない。その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。これからだって毎日麦のふすま二升亜麻仁二合と玉蜀黍の、粉五合ずつやるんだぞ、さあいい加減に判をつけ、さあつかないか。」 なるほど斯う怒り出してみると、校長なんというものは、実際恐いものなんだ。豚はすっかりおびえて了い、

 

つきます。つきます」と、かすれた声で云ったのだ。「よろしい、では。」と校長は、やっとのことに機嫌を直し、手早くあの死亡承諾書の、黄いろな紙を取り出して、豚の前にひろげたのだ。

 

どこへつけばいいんですか。」豚は泣きながら尋ねた

ここへ。お前の名前の下へ。」 校長はじっと眼鏡越しに、豚の小さな目を見て云った。豚は口をびくびく横に曲げ、短い前の右肢を、きくっと挙げてそれからピタリと印をおす

うはん。よろしい。これでいい。」校長は紙を引っぱって、よくその判を調べてから、機嫌を直してこう云った。

 

 戸口で待っていたらしくあの意地悪い畜産の教師がいきなりやって来た。「いかがです。うまく行きましたか。」 「うん。まあできた。ではこれは、あなたにあげて置きますから。ええ、飼育は何日ぐらいかね、」 「さあいずれ様子を見まして、鳥やあひるなどですと、きっと間違いなく肥りますが、斯ういう神経過敏な豚は、或いは強制飼育ではうまくいかないかもしれません。(後略)

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(写真撮影:Atelier秀樹)

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『秀樹杉松』109巻2913号 2019.8.22/ hideki-sansho.hatenablog.com #553