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◉1865年フィンランドに生まれた。
9歳でピアノの手ほどきを受けたが、15歳の時から軍楽隊長にヴァイオリンの奏法を習い、25歳まで続けた。独学で作曲法を研究、かたわらヘルシンキ大学に入学して法律を学ぶと同時にヘルシンキの音楽院にも入学した。
◉2年後、奨学金を得てベルリンに赴き、ベッカーについて対位法を専攻、またフックスに作曲法と器楽法を学んだ。さらにウィーンに移ってゴルドマルクの門下生ともなった。1892年、業成って故郷に帰り、昔の彼の母校で教鞭をとった。
◉愛国心の結晶ともいうべき「フィンランディア」(1899)は国民讃歌に制定され、フィンランド国家はその功績を賞して終生年金を贈った。
◉7つの交響曲のほか、いくつかの交響詩、器楽曲、歌曲など、作品の数は少なくないが、いずれも独特の香りと味をもっている。
◉1957年9月20日、92歳の高齢で、世界の人々から惜しまれつつ亡くなった。フィンランドは国葬の礼をつくして、この偉大な大音楽家を葬送した。
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<写真=Atelier 秀樹>
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『秀樹杉松』140巻4135号2023.5.5
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