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 大川周明 『日本二千六百年史』 を読む(下)

 「東亜新秩序の建設」「世界維新の実現」を訴えた    /  Atelier秀樹

 

<『日本二千六百年史』について>

 戦前戦時を思想的にリードした本で、非常に難しい専門書であり、新書版で293ページという大著作である。数10万冊のベストセラーとなったそうだが、当時の国民の読書力は高かったんですね。

 

 <紀元二千六百年>

 神武天皇即位紀元皇紀)2600年に当たるということで、昭和15年(1940年)は皇紀二千六百年であると騒がれた。間もなく国民学校に入学し、日本は2600年も前に建国された「神の国・皇国」である、などと叩き込まれた。

 <国家の記念行事>

 Wikipediaによると、1940年(昭和15年)11月10日、宮城前広場において、天皇皇后臨席の下、内閣主催の「紀元二千六百年記念行事」が開催された。式典に合わせて「皇紀2600年奉祝曲」が作曲された。

 <奉祝歌「紀元2600年」>(作詞:増田好生、作曲:森義八郎)

1 金鵄(きんし)輝く 日本の / 栄(はえ)ある光 身に受けて / 今こそ祝え この明(あした) / 紀元は二千六百年 / ああ 1億の胸はなる

 

 <本書の構成と概要>

 第一章(序論)から第三十章(世界維新に直面する日本)からなる膨大な著作。全体は通覧に等しかったが、(第一章)序論、(第二章)日本民族及び日本国家、(第三章)日本国家の建設、(第二十九章)明治維新、(第三十章)世界維新に直面する日本、は詳しく読みました。本項は研究書ではなくブログですので、ごく一部のみを書き書き留めます。

 <訂正削除を命じられた文章>

 どの部分を削除されたのか、「官憲の弾圧」の内容に関心があるので調べてみた。全体は当時の思想をリードしてベストセラーになった歴史書だけに、削除・箇所は思ったよりも少ない。著者は学者・大学教授だったので、軍人や政治家などとは若干異なり、歴史に関する客観的な見方や叙述も散見される。それが好ましくないとチェックされたと思われる箇所が多い。つまり、幹の部分は当然擁護されたが、枝葉に検閲の手が及んだと見られる。(下線が削除部分

→「吾国の古典は、吾日本民族が、八重に棚引く叢雲を押し分け、高天原よりこの国に天降れる事を記している。そは吾らの先祖が、その発祥の地を忘れ去りしを示すものにして、・・」(第三章:日本国家の建設)

→「当時の皇室は、最高族長なる点に於いてはもとより特異なる地位を国家に於いて有していたが、その一族たる点に於いては、他部族と同じく私領を有し、かつその私領の増加に腐心し、後には皇室と人民とが、権利を競うの状態に陥った。」「部族の相談処たりしものを改めて政府を組織し、・・・」「従来天皇族をはじめ、・・・」(第五章:大化改新

→「奈良朝時代には実に仏教が政弊の禍根となった。そは皇室並びに貴族が、過度に仏教を尊崇せるが故である。(第八章:平安遷都)」 

→(院政について)「その弊害の最大なりしは、在位の天子と譲位の天子との感情の隔離であった。けだし在位の天子は、名義を以ってすれば、四海に君臨して万機を総覧すべきものなるに拘らず、一切の政務あげて上皇または法皇の親裁に出るを見て、之を快しと感じ賜わざる、・・・」(第十章:源氏と平氏

→「国力疲弊の時に当たりて、なおかつ如是の冗費を功徳の為に惜しまなかったを見ても、当時の人民が上下おしなべていかに利己的迷信に囚われていたかを知ることが出来る。」(第十三章:宗教改革者としての道元禅師)

→「幾許もなくして天皇エルバを脱せるナポレオンの如く、密かに隠岐を出て伯耆に渡らせられ、・・・」(第十五章:建武中興)

→「されば徳川氏の政治は、少なくともその原則に於いて、決して飽くまで之を非とすべきものではない。」(第二十七章:崩壊すべかりし封建制度

→「フランス革命はナポレオンの専制によって成った。ロシア革命はレーニン及びスターリンの専制によって成りつつある。しかして明治維新は、実にその専制者を明治天皇に於いて得た。」(第二十九章:明治維新

→(日清日露の両役に関する記述)「妻子を飢え泣かせた者、老親を後に残して屍を異境に曝せる者は、実に幾十万を算した。戦争の悲惨は平民のみ之をよく知る。」

→「平民は戦争に疲れ果てたる上に悪税を存続せられ、富豪は特別なる眷顧(ケンコ=ひいき)を受ける。」

→「時は大正七年八月、シベリア出征軍総司令官が、威儀堂々として桃山御殿に明治天皇の神霊を拝し、まさに出征に上らんとせる丁度その日に、全国各地に米騒動の勃発を見、日本軍隊は外敵に向かって研ぎ来たれる鋭き剣を同胞に向かって揮い、貴重なる弾丸を同胞に向かって放たねばならなかった。これを日清・日露の戦時に見よ。国民は君国の大事に当たりて一切の飢餓を甘んじて耐え忍んだのではないか。」(以上三つは第三十章:世界維新に直面する日本)

 

 ◉以上の例は全部ではないが、削除訂正を求められた文章の傾向と内容の概略は見て取れる。皆さんはどうお感じになられましたか?この本が書かれたのは、太平洋戦争勃発の二年前の昭和十四年、「紀元二千六百年」の前年です。著者が一番言いたいと思われるのは、最終章「世界維新に直面する日本」の末尾に書かれている、次の文章でしょうか。引用します。

→「日本は、積年の禍根を断てとの大御心に添い奉り、東亜新秩序の建設を実現するために、獅子奮迅の努力を長期にわたりて持続する覚悟を抱かねばならぬ。東亜新秩序の確立は、やがて全アジア復興の魁(さきがけ)である。全アジア復興は、取りも直さず世界維新の実現である。建国以来二千六百年、日本は未だ嘗てかくの如き雄渾森厳なる舞台にたったことはない。吾らは内外一切の艱難辛苦を克服して、この神聖なる任務を果たさねばならぬ。」

 

                                                    (秀樹杉松 87巻/2477号) 2017.11.10   #blog 118