秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

第8回(最終回)は、今の六本木通り「笄坂」「霞坂」etc. 。幻の「笄川」を偲ぶ

この8回目が「港区内坂めぐり」の締めくくりです /  Atelier秀樹

   <遺漏の坂めぐり>

 前号の7回目が最終回のつもりでしたが、幾つか遺漏が発見されたので今日も行ってきました。この第8回目で本当の打ち上げです。最終回のつもりだった前回、場所が特定できなかった坂があったが、今回は諦めようと考えてthe endとしました。しかし何となく気にかかったので、昨日ネットなどで詳しく再調査して坂の場所が特定できたので、この際だから有終の美を飾ろうと思い、今日締めくくりの歩きに出かけました。いつもとは違う大型の地図を携帯して。

  

  <川歩きの思い出> 

 単なる「遺漏」なら見送ることも考えたのですが、私にとっては非常に大切なことが絡んでいることが判明したからです。それは3年前の「川歩き」との関連です。あの時に、渋谷区内を東に流れる川を渋谷川、一本に繋がっているのに港区内の川を「古川」と呼び、東京都建設局の正式名は「渋谷川・古川」となっているのを知った。ある頃から、繋がって流れる川は名称を一本化するようになったのに、ここだけが二つの名前を残しているのを、不思議に思ったことを思い出したのです。

   <今は暗渠の「笄川」>

 実は今日行ってきた坂の中に「笄坂(こうがいざか)」がありますが、色々調べたら、この坂名は昔あった「笄川」に由来することがわかりました。この「笄川」が、東西に流れる渋谷川・古川に北から合流していた。笄川はその後全部埋め立てられて暗渠にされ、今では見ることができないのです。

<笄川に因む外苑西通、笄坂の六本木通を歩きたい>

 今日巡り歩いた「笄坂」が「笄川」に由来することを知ったからには、どうしても今日行ってみたい、と考えたのです。地図を見たら、暗渠化された幻の川・笄川の上を通ってるのが今の外苑西通。また、「笄坂」と「霞坂」六本木通になっている。3年前の川歩きの時は、今では暗渠となって姿を消している「笄川」のことを、私は全く知らなかったのです。その笄川に因む外苑西通と、笄坂に因む六本木通をどうしても今日は歩いて見たい、と思ったのですです。

   <笄(こうがい)>

 笄坂の調査から笄川がかつて存在したことが分かっただけではなく、「笄」という言葉にも魅力を感じました。笄(こうがい)は「髪掻き」が転訛したもので、「髪挿し」が転訛した簪(かんざし)とともに、日本髪に用いられる装飾品。この川名=笄川にも魅力を感じました。坂名の由来にまつわるエピソードがある一方、甲賀と伊賀両家の屋敷にちなみ、「甲賀伊賀町」転じて、「笄ヶ町」から「笄町」になった、というダジャレのような説もあるそうです。面白いですね。

  <笄川の名残>

 現在の西麻布付近の笄川には、牛坂へと続く笄橋がかかっており、付近の町域には1967年まで「笄町」の名がついていたそうで、現在は港区立笄小学校笄公園として名称が残っている。全面的に暗渠化されている笄川が、天現寺橋脇からわずか地上に顔を出しています。これは川歩きの際に私も見ましたが、一体なんだろうと思っただけで、それ以上は調べなかった。実を言えば、天現寺橋の下に見える「笄川の顔」と笄小学校・笄公園(前回確かに見ました)の写真を、今日撮るつもりで出かけたのですが、うっかり忘れました。

   <大使館>

 今日のコースの途中に、中国大使館、ギリシャ大使館、リベリア大使館がありましたが、何事もなく平穏無事に巡り歩きました。中国大使館周辺には多くの警官がいましたが、道を尋ねたら親切に教えてくれました。有難うございました。

  <乃木大将生誕之地> 

 途中の六本木ヒルズの近くのさくら公園内に、「乃木大将生誕之地」碑があったので、カメラに収めてきました。<写真編>に納めましたので、解説文と一緒にご覧ください。

   <笄川と笄坂>

 最終回の今日の7坂のうち、標識が確認撮影できたのは「霞坂」「笄坂」の2つだけでした。何はともあれ、今は亡き?暗渠化された「笄川」に想いを寄せ今は堂々たる「六本木通」になっている「笄坂」と「霞坂」の坂標識の存在を確認・撮影できたことは、今回の坂歩きの掉尾を飾るにふさわしいものでした。

   <感謝と幸せ>

 9時から12時まで歩き通しでしたが、疲労感は全くなく、達成感だけでした。「乃木坂46」「欅坂46」の「坂道グループ」にちなんで思いついた、今度の8回に及んだ一連の「坂めぐりシリーズ」でした。それは間違いなく、「感謝と幸せの坂歩きシリーズ」でした。なお、この「秀樹杉松」も本号2501号から第89巻に入りました。ご愛読有難うございます。

 

<最終回(第8回目)の坂歩きコース>

 

都営地下鉄六本木駅)~ ① 霞坂 ~ ② 笄坂 ~ ③ 大横丁坂 ~ ④ 内田坂 ~ ⑤ 宮村坂 ~   ⑥紺屋坂 ~ ⑦ 中坂〜(六本木駅

 

<写真編>

① 霞坂

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② 笄坂

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③ 大横丁坂 (坂標識柱なし)

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乃木大将生誕之地 碑

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  乃木大将生誕の地「坂の上の雲」ゆかりの地

 六本木ヒルズのあたりには毛利家の屋敷があり、乃木はそこで誕生した。この屋敷は赤穂浪士切腹した場所でもあり、そのことが幼少期の乃木に影響を与えたと言われています。この石碑は毛利家屋敷跡の庭園内に建てられたものですが、六本木ヒルズの再開発によって平成15年に近くのさくら坂公園に移設されました。(文章はsakanouenokumo.comから。写真撮影はAtelier秀樹)

 

④ 内田坂(坂標識柱なし)

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⑤ 宮村坂(坂標識柱なし)

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⑥ 紺屋坂(芥坂)(坂標識柱なし)

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⑦ 中坂(坂標識柱なし)

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       (秀樹杉松 89巻2501号)2017.12.1  blog <hideki-sansho > #141