秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(第40回=2018-4-23 品川区戸越)~ 清水坂、宮前坂、八幡坂、三井坂、平和坂。~ 八幡神社、行慶寺、戸越公園、文庫の森、戸越小、戸越銀座、戸越銀座温泉。

  区切りのよい40回目の坂めぐりは、品川区戸越へ行ってきました。本文で紹介しましたが、「戸越(とごし)」の由来は、「江戸越えの村」なそうです。戸越銀座も有名で、3つの商店街からなる、全長約1.3kmにわたる関東有数の長さの商店街。その戸越銀座に「戸越銀座温泉」があったので、前回の板橋区志村の「前野原温泉 さやの湯処」に続いて、今日も坂めぐり終了後に「戸越銀座温泉」に浸かってきました。

 さて、東京都23区内の坂めぐりは、今日の5坂で、ついに432坂の多きに達し、残りは僅少となりました。区切りのいい今回の40回で終了することも考えたが、板橋区西台の9坂を歩いて、41回・441坂で締めることにしました。「よい回数・よい坂数」ですね。整形外科医に「歩くのはいいことだが、歩きすぎないように。変形性膝関節症と加齢も考慮して…」と言われておりますので、この辺が止める潮時かも。

 体系だった「坂めぐり」は次回で完結します。ですが、「坂歩き」自体は機会ががあればします。何処かへ出掛けた折に、そこに名前のついた坂(道)があれば、当然歩いて写真を撮ることになるでしょう。つまり、計画を立てていくつかの坂をめぐる「坂めぐり」はあと1回できっぱり終止符を打ちます。

 単発の、偶然的な「坂歩き」は、機会があれば避ける必要はありません。坂は無数にありますが、まだ歩いていない「名前のついた坂」も分散的に存在します。この「名前のついた坂(道)」に遭遇した場合は、「坂歩き」として『秀樹杉松』に書き込み、このブログに投稿します。  / Atelier秀樹

  

<坂めぐりの写真>

 

都営浅草線「戸越」下車

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清水坂

 品川戸越2丁目と3丁目の間。第二京浜国道から戸越銀座商店街を100mほど東に入ったところから,南に上る坂。「戸越」の地名は、この辺りが江戸越えの村だったことを由来としており、『江戸越えて 清水の上の 成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし』という古歌も残っている。この歌の「清水」をとって「清水坂」という名が付けられたと考えられている。(品川区HPより)

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宮前坂

 品川区戸越2丁目。戸越銀座商店街の中央部から,行慶寺や八幡神社の西を通る坂。坂上に品川区が設置した標識が建っている。この通りは,付近にある行慶寺戸越八幡神社に向かう道で,宮前通りと呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。

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八幡坂

 品川区戸越2丁目。戸越八幡神社の東側を通る坂。坂上に品川区が設置した標識が建っている。

この坂は,戸越銀座通りから戸越八幡神社脇を抜ける坂である。そのために八幡神社にちなんでこの名称がつけられたものである。 

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八幡神社

 当神社は大永6年(1526年)に行永法師という諸国を行脚していた僧が、村内の藪清水池水源地に誉田別命応神天皇八幡神)の神体が出現したのを見つけたので、草庵を作りまたそこに京都石清水八幡宮から分霊を勧請して共に祀ったのが始まりであるといわれている。人々が祈願するとたちまちにかなうといわれていたので、成就庵と呼ばれた。

 又、古歌に『江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸のとけぬ日はなし』とあり、これが戸越の地名のはじまりとも伝えられている。その後文禄元年(1593年)に、近隣にある別当寺だった行慶寺の開山・念誉によって成就庵のところに八幡神社を建立してご神体を阿弥陀如来と共に祀ったといわれている。その後、元禄元年に現在地に移転された。別当明治時代神仏分離令により廃止された。(jinjamemo.com  & togoshihachiman.jp)

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行慶寺

 行慶寺(ぎょうけいじ)は、東京都品川区戸越2丁目にある寺院。当寺院の由来は、行永法師という僧が大永年間(1521年1527年)に「成就庵」という庵を建てて、人々を教化していたことに始まる。その教えは近隣にも広がり、多くの人から崇拝を受けていた。その後、江戸幕府が開かれ寛永十一年に幕府より現在の地に土地を与えられ、元禄元年に現在地に寺を建立した。(ウイキペディア)

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三井坂

 品川区戸越2丁目と豊町1丁目の間。戸越銀座通りから戸越小学校に向かう坂。坂上の民家の塀に, 昭和2年11月に建てられた「三井坂」の小さな石標がある。

この辺一帯は,かつて三井農園・三井文庫があったところで,坂の名称はそれに由来する。(品川区HPより)

 このあたり一帯(約3万坪)は,明治時代に三井家の所有となり,能楽堂を備えた三井別邸や 三井(戸越)農園などが設けられた。坂の上一体は “三井山” と呼ばれ,その入口になる坂に「三井坂」と名付けられた という。

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平和坂

 品川区西品川2丁目。戸越銀座商店街の東端付近から南に上る坂。坂下の戸越銀座商店街との角に,金属製の私設の標識がある。平和坂は旧県道,むかしはこの地で六つの道が合流していたので六道坂とよばれていたそうですが,大正十年に大改修が行われ現在の坂名に改められました。平和坂の由来は,改修当時,東京上野で開催されていた平和博覧会からとったそうです。

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文庫の森 

 文庫の森(ぶんこのもり)は、東京都品川区豊町にある品川区立歴史と防災を兼ね備えた公園である。 国文学研究資料館跡地(旧三井文庫が、池や樹木など元からある環境資源をいかして、日常の憩いの場所となる公園「文庫の森」になった。 敷地は災害に強いまちづくりの観点から広域避難場所に位置づけられた戸越公園一帯」の一部であり、園内のオープンスペースは大地震時に発生する延焼火災などの危険から避難した方の身の安全を確保する避難場所としての機能を持つ。(ja.wikipedia.org)

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戸越小学校

 三井さんのやしきと戸越公園

 戸越公園を中心に戸越小学校、戸越体育館、大崎高校、国文学資料館のあたり一帯は、明治23年から昭和7年まで、三井合名会社社長さんの屋敷でした。元は江戸時代に細川越中守の屋敷として造られたもので、その広い庭は、森や山、谷川や滝などを上手に配置して、まるで東海道五十三次の景色のようにしてありました。

 学校誕生のころ

 昭和9年6月28日午前10時、待ち望んでいた開校式が校庭で始まりました。児童数は、宮前・大間窪・杜松・大原の4つの小学校から集まった975名でした。
戸越小学校の自然環境がたいへん美しかったことは、開校の日の朝日新聞にも、写真入りで東京一の学校と紹介されたほどでした。(戸越小学校HP

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戸越公園

 江戸時代、肥後国(熊本)藩主細川家の下屋敷の庭園跡を利用して造られた、区を代表する公園です。池を中心に渓谷や滝、築山などの配置の中を一周する回遊式庭園で、薬医門(正門)、冠木門(東門)等、大名庭園の面影をとどめています。 樹木はウメ、サクラ、シャクナゲイチョウなど、四季折々の花木が美しい公園として、区民に親しまれています。(品川区HP)

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笠森稲荷神社  /  末広稲荷神社

 戸越2-9-19                   戸越2ー1ー22

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戸越銀座

 戸越銀座(とごしぎんざ)は東京都品川区豊町および、戸越、平塚にまたがる戸越銀座通りに沿った商店街で、3つの商店街からなっている。 全長約1.3kmにわたる関東有数の長さの商店街である。なおメディアなどでは、日本一長い商店街であると紹介されることもあるが、実際は大阪・天神橋筋商店街の約2.6kmが最長とされる(Wikipedia) 

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戸越銀座温泉

 平成19年4月にリニューアルオープン。温泉銭湯に生まれ変わりました。 現代的なデザインと昔ながらの銭湯文化の融合を図り「21世紀型のお風呂のスタイル」 を目指しました。是非ご利用ください。(shinagawa1010.jp)

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都営浅草線「戸越」(ゴール)

 

 <編集註> 坂名の解説・由来等は、sakagakkai.orgに拠りました。

 

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     『秀樹杉松』93巻2593号  2018-4-23,  #blog<hideki-sansho>233 

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