秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第71回=2018-8-17=品川区荏原・平塚・西五反田・東五反田・北品川)~桐ヶ谷坂・相生坂・大正坂・八ツ山の坂・御殿山の坂。 〜新桐ヶ谷橋・宝塔寺・雉子神社・清泉女子大・目黒川・五反田橋・居木橋・ゲートシティ大崎。

『秀樹杉松』坂巡り 第71回 / 2018-8-17 / 東京品川区 

 坂めぐりの70回記念号を投稿したばかりですが、71回目品川区へ行き、桐ヶ谷坂など5坂を巡って来ました。今日は猛暑にはならないようなので。例によって、坂近辺の寺社・学校・川・橋などにも寄ってきました。品川区も今回で終了になりそうです。

 新宿駅で山手線品川方面に乗り換えようとしたら、「渋谷駅で不審物発見のため山手線運転中止」。駅員の案内で、新宿から都営地下鉄大江戸線に乗り換え、さらに大門で都営浅草線に乗り、戸越駅で下車。予想もしなかった電車トラブルで、坂巡りスタートが1時間以上も遅れた。   / Atelier秀樹

 

戸越駅都営地下鉄浅草線)とごしえき(スタート)

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新桐ヶ谷橋(しんきりがやばし)

 東急池上線の跨線道。

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桐ヶ谷坂(きりがやざか)  (#614)

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 品川区荏原1丁目と平塚2丁目の間から西五反田7丁目まで。中原街道の首都高目黒線の荏原ランプ付近から,中原街道第二京浜国道との合流点まで。南西に上る。350m。緩やか。直線。坂の標識はないが,坂上に「桐ヶ谷坂上」というバス停がある。

 由来他:坂名は,昔このあたりを「桐ヶ谷村」といったところからきている。 旧中原街道にあって,かつては西五反田6・7丁目あたりから南西の平塚方面に向かって上る坂だったが,現在は区画整理によって2代目の新街道(現在の中原街道)ができ,坂名も移った。(品川区ホームページより)

 

目黒川(めぐろがわ)

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五反田橋(ごたんだばし)

 目黒川に架かる桜田通(西五反田)。

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 ②相生坂(あいおいざか)(#615)

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 別名=雉子の宮坂(きじのみやざか)。品川区東五反田1丁目と5丁目の間。JR五反田駅から 中原街道を北東に向かう長い坂。(中原街道桜田通り,旧鎌倉街道)。北東に向かって上る。500m。緩やかな坂。ほぼ直線。坂下の五反田駅近くに,品川区が設置した標識が建っている。

 →「相生坂  Aioi Slope  相生坂の名称は,古く江戸時代から呼ばれていた。その由来は,御殿山方面から宝塔寺東五反田1丁目)前を通る道と,この坂のある中原街道が,雉子神社(東五反田1丁目)の手前で合流していたことにもとずくとされる。昔は急坂で険しいものであったが,だんだんと道路整備がされて現在のようになった。別名を 雉子の宮坂とも言う。品川区教育委員会」 

 由来他=この坂のある中原街道と御殿山方面からの道とがY字型に合流していたため。(標識より)

 

塔寺ほうとうじ)

 品川区東五反田1丁目にある天台宗寺院。「相生坂」(桜田通)の東南。

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雉子神社(きじじんじゃ)

 品川区東五反田1丁目。創建は文明年間(1469年 - 1487年)と言われている。村民の霊夢により大鳥明神を祀っていた。江戸時代に入り、慶長年間になり三代将軍・徳川家光鷹狩りに来た時、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを稀なめでたいしるしとして、家光から「以後雉子宮と称すべし」との言葉があり、「雉子ノ宮」と改称した。(Wikipedia

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大正坂(たいしょうざか)(#616)

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 品川区東五反田3丁目。清泉女子大の北側。寿昌寺と本立寺の間を抜ける狭い路地の途中の階段。西に向かって上り。6m。急な階段。ごく短い階段。17段。坂上に石標が建っている。私設の標識らしい。

 →「大正坂 昭和四十八年十一月二十日」

坂名の由来などは不明。

 

清泉女子大

 東五反田3丁目。「大正坂」の南側。

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八ツ山の坂(やつやまのさか) (#617)

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品川区北品川6丁目~5丁目 の間。第一京浜国道の“新八ツ山橋”から 西に回り込み五反田駅に向かう道路が,御殿山を越えたところ。一帯は ソニーの本拠地で,両側にソニーの建物が多数並んでいる。東南東に上る坂。480m。緩やか。ごく緩く逆S字状に曲がる。

 坂途中に品川区が設置した標識が建っている。

 →「八ツ山の坂 Yatsuyama-Slope   このあたりは武蔵野台地の突端にあたる丘陵で,海岸に突き出た洲が八つあったところから 八ツ山と呼ばれた。この地にある坂のために,いつしか八ツ山の坂という名がつけられた。この道は,もと三間道路と呼ばれ,道幅は三間(約6m)で,あたりには人家も少なく,夜はさびしい通りであったという。東京都品川区教育委員会」 

 由来他:品川宿のはずれ,芝高輪との境に位置する丘は「八ツ山」と呼ばれた。この地に八つのがあったので「八ツ山」と名づけたという説や,八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説、この地がかつての谷山(やつやま)の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説があるが,いずれも定説ではない。この山は江戸期に道路整備や目黒川の洪水復旧,護岸整備のために切り崩され平地となってしまった。(品川区HPより)

  

御殿山の坂(ごてんやまのさか) (#618)

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 品川区北品川4丁目と5丁目の間。山手通りから御殿山に上る狭い坂道が“御殿山の坂”。(中原街道,旧鎌倉街道)(JR山手線は品川駅から大崎駅に向かって U字型に大きくカーブして,その内側の高台が“御殿山”と呼ばれる)。坂下は北東に,途中から北北東に向かって上る坂150m。かなり急な坂。“く”の字に曲がる。

 坂上に品川区が設置した標識が建っている。

 →「御殿山の坂  gotenyama-no slope   このあたりは,江戸時代に将軍が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があった場所で,御殿山と呼ばれている。もとは急な坂であったが,何回かの修理でゆるやかになった。 品川区教育委員会

 由来他:江戸時代この辺は徳川藩の御料地であり、御殿山と呼ばれていたのでこの名になった。(品川区HPより)

 

<編注>

御殿山=徳川家康江戸城に入ってからは、御殿山城は「品川御殿」と呼ばれ、歴代将軍鷹狩りの休息所として、又幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていたほか、桜の名所として有名であった。(Wikipedia

 

目黒川 (めぐろがわ)

 春は桜で有名な目黒川。

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木橋(いるきばし)

 恥ずかしながら「いぎばし」と読んでました。

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ゲートシティ大崎 / Gate City Ohsaki

 品川区大崎1丁目の大崎東口周辺にある再開発施設である。大崎東口第2地区市街地再開発組合により設立された。(ウィキぺディア

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   気のせいか、大崎駅周辺には活気と熱気が満ちていました。

 

大崎駅(ゴール)

 

 <編注>

 坂名と坂解説は「坂学会/東京23区の坂」に依拠。写真撮影はAtelier秀樹。坂名の直後の(#〇〇)は『秀樹杉松』坂めぐりの累積坂数。今日の第71回で合計618坂を歩き巡りました。

 

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『秀樹杉松』96巻2652号 2018-8-17  /  hideki-sansho.hatenablog.com #292

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