秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第76回=2018-9-5)  ~世田谷区池尻・代沢、目黒区駒場・大橋・青葉台 ~富士見坂(世田谷区池尻/代沢)、松見坂、富士見坂(目黒区青葉台)、大坂、蛇坂、相の坂、上村坂。~駒場学園高、筑波大駒場高、都立駒場高、菅刈小学校、菅刈公園、西郷山公園、都立第一商高。

 おとといに続き、世田谷の2坂と隣の目黒区の5坂を巡って来ました。台風の影響で風が強かったが、台風一過の秋の晴天でした。同じ日に2つの「富士見坂」という組み合わせは初めてでした。東大駒場キャンパスから南の「淡島通」には、駒場高、筑波大駒場高、駒場学園などがひしめいていました。まさに「駒場尽くし」の感。

 目黒区の青葉台には、菅刈小学校、菅刈公園など「菅刈(すげかり)づくし」。目黒区HPによれば、古くは、現在の目黒区の西半分と世田谷区の東半分にかけての地域を「菅苅荘」「菅苅庄」と呼んだそうです。今では隣り合う二つの区に分かれているが、大化の改新以降は同じ菅刈庄内。今日、菅刈の名は目黒、世田谷両区の中で、この菅刈小学校と、菅刈住区の二つに見られるだけになった由。 / Atelier秀樹

 

京王井の頭線「池ノ上」(スタート)

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富士見坂(世田谷区) (#636)

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 世田谷区池尻4丁目と代沢1丁目の間。駒場学園高等学校のすぐ南の西に下る坂。駒場学園高等学校のすぐ南の西に下る坂。駒場学園高等学校のすぐ南の西に下る坂。緩やか。僅かに右に曲がりながら上る。標識なし。由来他:淡島通りの富士見坂を下ると北沢川があり・・・とある。(「ふるさと世田谷を語る」より)

 

駒場学園高校(左)と筑波大駒場高校(右)

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都立駒場高校

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松見坂(まつみざか) (#637)

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 別名:駒場(こまばざか)。目黒区大橋2丁目と駒場1丁目の間。都道423号(淡島通り)と山手通りが交わる“松見坂”交差点から西へ。西に向かって上り。170m。170m。ほぼ直線。

 坂下に東京都が設置した石の標識が建っている。

→「松見坂 まつみざか この坂から,「道玄物見の松」(土賊の道玄がその松に登って 往来の人を見下ろし,手下に命じて 衣服や携帯品を掠奪したために その名がついた) がよく見えたので,松見坂と呼ばれるようになったといわれる。また,坂の途中に「松見地蔵」があったので 坂の名になったという説もある。昔は,この坂の北西には,駒場野と呼ばれる 広大な原野があったが,今はその面影もない。昭和五十八年三月 東京都」 

 

富士見坂(目黒区) (#638)

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 目黒区青葉台4丁目(玉川通り)。山手通りの“松見坂”交差点から東に上る坂。松見坂と向かい合う。東に上る。150m。緩やか。交通量の多い,直線の幹線道路。標識なし。

 参考文献:平成「富士見坂」事情(坂学会HP)

 

<編注>

 ①と③の富士見坂は1kmぐらいしか離れていません。この辺りから富士山がよく見えたんでしょう。目黒区の「富士見坂」は、あいにく工事中でした。

 

大坂(おおさか) (#639)

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 目黒区青葉台4丁目。立体交差している玉川通りと山手通りを結ぶ比較的狭い道。(旧・厚木街道)。東に上る。160m。やや急な坂。途中,浅く“く”の字に曲がる。

 坂上玉川通りとの分岐点に,目黒区が設置した標識がある。

→「大坂  おおさか O-SAKA   厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった四十八坂のうち, 急坂で一番大きな坂であったので, 大坂とよぶようになったといわれる。 この坂標識の北側の坂が旧道で,南側の坂が新道である。平成十三年七月 目黒区教育委員会会」

 参考文献:「坂道ウォーキングのすすめ」目黒区刊 (2010)

 

蛇坂(へびざか) (#640)

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 目黒区青葉台3丁目。菅刈小学校北西100m先の階段坂。最初ほぼ直角に西方向に曲がり、湾曲しながら北東方向に上る。150m。急坂。最初ほぼ直角に西方向に曲がり、坂より階段となりまた急な坂となる。標識なし。

 50年前は、ジメジメした樹下の道で、蛇の棲家だったから、その名がついた。(「郷土目黒」より)

 <編注>曲がりくねった長い急坂でした。

 

相の坂(あいのさか) (#641)

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 別名:合の坂(あいのさか)。目黒区青葉台3丁目。菅刈小学校の西側を北(玉川通り方向)に向かう坂。車が1台 ようやく通れるぐらいの 狭い道。坂下は北東に,途中から北に向って上り。180m。かなり急坂。左に弧を描いて上る。

 坂下に目黒区が設置した標識がある。

→「相ノ坂 あいのさか 大坂(玉川通り)と 新道坂(駒沢通り)の間(あい) にある坂なので「あいの坂」とよばれるようになった。昭和58年3月 目黒区教育委員会

 参考文献:目黒区HP「目黒区内の名のある坂道と由来」

 

菅刈小学校(すげかりしょうがっこう)

 「相の坂」に隣接。

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菅刈公園(すげかりこうえん)

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西郷山公園(さいごうやまこうえん)

 幕末は豊後国藩主・中川氏の抱え屋敷。明治時代は西郷隆盛実弟・従道の別邸。

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都立第一商高

 旧山手通りを挟んで「上村坂」と向かい合う。

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上村坂(かみむらざか) (#642)

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 目黒区青葉台1丁目。旧山手通りのエジプト大使館西側から 南の目黒川方面に下る坂。坂下は北北東に,坂上は北に上る。180m。急坂。弧を描いて左に曲がりながら上る。

 坂下の交差点に,目黒区が設置した標識がある。

→「上村坂  かみむらざか KAMIMURA-ZAKA  上村坂という名前の由来は,明治時代の軍人で海軍大将・男爵にまで進んだ上村彦之丞(かみむらひこのじょう)の邸宅が,この坂の上にあったためといわれている。目黒区教育委員会 平成十七年七月」

 

東急東横線代官山駅(ゴール)

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 <編注>

 坂名および坂の解説は「坂学会/東京23区の坂」 http://sakagakkai.orgに依拠。坂名の直後の(#〇〇)は「秀樹杉松坂めぐり」の累積坂数。今日の76回目の7坂で、合計642となりました。なお写真撮影はAtelier秀樹。

 

 『秀樹杉松』97巻2670号 2018-9-5  /  hideki-sansho.hatenablog.com #310