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<坂研究>まねごと~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~(6)坂の修繕と堀坂 / 急坂を意味する坂名〜高坂、胸突坂、男坂、団子坂、炭団坂、梯子坂。

<坂研究>まねごと(6)をお届けします。 / Atelier秀樹

 

1)坂の修理と堀坂 

 江戸の坂が今日までもその名と形を保ってきたのには、数年ごとに、その坂路の大普請、大修復を繰り返してきたことを忘れてはならない。

<坂修理の“持ち”>

 坂の修理には、その“持ち”というものが定まっていて、それによって坂の崩壊を防いできた。町方持ち武家方持ち寺方持ちとか、大名の一手持ちとかいうように、その持ちが決まっていた。大きな坂などでは、その坂に面している屋敷または寺院のある場合、その屋敷が武家なら武家と寺方が分担せねばならない。寺の門前町などの坂は寺と町方と分担する。その坂の付近に大名の屋敷だけしかない場合は、大名の一手持ちとなる。

<自分の名前を坂名に>

 坂でも道路でも、大火、地震、大暴風雨の後には破損は免れない。これを直ちに修復しておかなければ、ついには崩壊してしまう。誰かが修復しなければならない。新しくできた坂などに、坂名を書いた木や石の杭を見受けることがある。由緒ある坂名と坂路とが忘れられようとするのを防ぐためのものならまだよい。ところが、新しく自分の名をつけた坂名を書きつけた杭を、坂のそばに建てられるのは大変目障りになる。

<掘坂>

 小石川餌差町に堀坂という小さな坂がある。古くは宮内坂と呼ばれた。掘り宮内の屋敷があったからである。それがのちに源三坂とも呼ばれるようになった。名主の源三がこの坂に住んでいて、、多くの民衆の便宜のために努力したからである。この坂は右の二つの呼び名を持っていたが、文政の頃から「堀坂」とも呼ぶようになったのである。文政5年頃、坂普請が出来上がると、坂の上下二ヶ所に「堀坂」と刻銘した石標、自ら掘邸で作って建てたのである。

<人名のついた坂名>

 人名のついた坂の名は、その坂に関係の深い人の徳望、叡智、武勇、親切などに憧れて、民衆が自然に声を合わせて、その坂の名にその人々の名を呼んだのであって、自分で自分の名を、自分の屋敷のそばの坂に命名したのではないのである。

             (以上、『江戸の坂東京の坂』p.049~p.051から)

 

2)急坂を意味する坂名

 昔から坂の名は一般には、長い坂だから長坂、大きい坂だから大坂、と簡単に名付けられた。この伝で行くと、急な坂は急坂と名付ければよいはずだが、急な坂に限って、単なる急坂という固有名詞の坂は江戸時代には見当たらない。とくに江戸っ子は、そんななのつけ方はしないようだ。

 <高坂、胸突坂、男坂

 江戸時代の坂で急坂を意味する坂名として一番多いのは高坂で、次は胸突坂である。胸突坂は急坂を登って行く時の格好から名付けたものらしく、なかなか表現がうまい。地方の坂には、這坂(はいざか)または髭摺坂(ひげすりざか)があるが、これも急坂を上る時の形容で、胸突坂と同様にうまい坂名だと思う。急坂を上って行くときに、胸を突くという形容もうまいが、手足をついて四つんばいに這って行く形や、あごひげを坂に擦り付けながら急坂を上って行く形容もよい。地方の坂には、坂を下って行くときの急坂の形容として「尻こすり坂」というものもあり、これもなかなか面白い。

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  胸突坂(文京区)

   第13回秀樹杉松坂めぐり(2017.12.13)、写真撮影:Atelier秀樹

 

 <江戸っ子は、上りは男坂、下りは女坂>

 江戸には上る時の坂名、胸突坂だけで、下る時の坂名はない江戸っ子は坂を下る前に急坂を避けている。川柳にも「男坂おりかけて見てよしにする」などと本音をはいている。そこで、もう一つの急坂には男坂も加えるべきだと思う。往きにはなんとか男坂を上ったが、帰りには男坂をやめて、女坂(緩やかな坂)を下りて行くというのである。「下り坂帰りに見れば情けなし」、「男ざかりの女坂ゆく」などの句もある。

 <団子坂>(だんござか)

 本郷に団子坂という急坂がある。昔この坂のそばで団子を売る店があって繁盛したので、この坂を団子坂といったのだと説明されている。。団子坂という名の坂は、江戸時代には三、四カ所あった。みな急坂で、とにかく転びやすい坂であった。「よく転ぶはずさ芸子はお坂なり」「転ぶはず大きな坂の近所也」などと江戸川柳が言っているように、大きな坂は転びやすかった。昔の坂は、今日のようにコンクリートアスファルトの坂ではない。土と砂利とで固まっている坂路は上等の方で、ほとんどの坂がでこぼこの、それこそお於多福(おたふく)であった。団子坂というのは、足場が悪くて転びやすく、転ぶと団子のように転がるという他愛もないことから名付けられたらしい。

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          団子坂文京区

               第23回秀樹杉松坂めぐり(2017.1.15)、写真撮影:Atelier秀樹

 

炭団坂>(たどんざか)

 これと全く同じ意味を持った坂に、炭団( たどんざか)がある。これはもっと悪い結果になる坂で、雨上がりに、ここで転ぶ人の形容からきた名であろう。転んだ後で炭団になる、転んで泥だらけになってしまうという坂名である。

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  炭団(文京区)

   第104回秀樹杉松坂めぐり(2018.11.13)、写真撮影:Atelier秀樹

 

<梯子坂(はしござか)、立爪坂>

 梯子坂もその形から言って、すでに急坂を意味している。立爪坂という坂も急坂を意味するように思われる。立爪というのは、「爪立ちする」「爪先で歩く」という意味で、急坂を上って行く姿勢と考えたい。

 <その他>

 以上のほか、急坂と思われる坂名には、次のようなものがある。

 雁木坂、屏風坂、胸副坂、早坂、転び坂、辷(すべり)坂、猿滑坂、車返し坂、尻たれ坂、手這坂、三分坂……。

                                            (以上、『江戸の坂 東京の坂』p.052~p.055から)

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『秀樹杉松』101巻2757号 2018-12-24/hideki-sansho.hatenablog.com #397