『江戸の坂 東京の坂』の著者:横関英一氏のプロフィールは、前回、ちくま学芸文庫版の表紙の写真で紹介したとおり、あの真山青果の研究助手だったんですね。そして、江戸研究、時代考証に打ち込んだ。真山青果の名作の背後には、横関氏の存在があったのでしょう。
横関氏なら、小説家になっても大成したことでしょう。文章が素晴らしいです。この読書メモは、できるだけ著者の文章、表現をいかすよ心掛けてはいますが、「読書ノート」ですので、当然に省略箇所や文章の短縮などがあります。関心のある方は、どうぞ原本をお読みいただければ。 / Atelier秀樹
<形のおもしろい坂>
雁木坂(がんぎざか)という坂がある。石を組んだだんだんの坂である。極めて急坂のために、階段になっている。江戸の昔から、今なお雁木坂と知られているのは、赤坂嶺南坂町から麻布谷町へ下る雁木坂、麻生飯倉二丁目から六丁目へ上る雁木坂の二つ。雁木坂は江戸の昔から、そのままの形をしているのでおもしろい。今、これらの石段の坂を上ったりしていると、江戸の昔のいろいろなことが思い出されてくる。とにかく、なつかしい坂である。
麻布飯倉の「雁木坂」
撮影:Atelier秀樹(2017.11.25 第3回秀樹杉松坂めぐり)
梯子坂(はしござか)という坂も、同様に石段の坂である。東大久保二丁目の裏道にある。石段の急坂で、梯子を上る感じがする。形ももちろんおもしおいが、梯子坂とい名前が気に入った。
七曲坂(ななまがりざか)、地方へ行くと、こんな坂はたくさんあるが、東京には珍しい。下落合一丁目を南北にうねうねと七回も曲折するというので七曲坂と呼ばれた。とくに、この坂を上るときの感じは、とても嬉しく、東京都内には珍しい坂である。江戸時代には、ここは紅葉の名所であった。秋の陽光を受けて輝く紅葉を眺めながら七曲を下って行く気持は、さぞ愉快であったろうと考える。
下落合の「七曲坂」
撮影:Atelier秀樹(2017.12.13第13回秀樹杉松坂めぐり)
長坂。これはただ長いというだけのことで、何の変哲もないと言えばそれまでのことだが、坂の形の一変態であり、古い昔から、この名を持った坂が、日本中いたるところにあったという事実を知っていてもよいと思う。赤坂という坂に次いで多いのがこの長坂。江戸の長坂は麻布にあるのが、ただ一つの長坂である、古くは「長坂」と書いたが、享保のころかあら「永坂」と書くようになった。そのころから、江戸の長坂に限って、永坂が幅をきかせてきて、とうとうこの地名も麻布永坂町となってしまった。
麻布の「永坂」
撮影:Atelier秀樹(2017.11.25第3回秀樹杉松坂めぐり)
以上のほか、変わった形の坂としては、前に説明した薬研坂、相生坂、夫婦坂、鼓坂のように、二つの坂の合体したものや、屏風坂、切通坂、鍋割坂、胸突坂などがある。
江戸を離れて地方へ行くと、もっと形のおもしろい坂にぶつかる。たとえば、長野県の渋温泉に近い波坂(なめつつざか)、石川県の金沢に近い六曲坂(むまがりざか)、京都の鞍馬の九折(つづらおり)坂、日光のいろは坂、三陸の釜石に近い四十八坂、その他、急な坂の高坂(こうさか)、二つ重なって見える二重坂……などがる。
『秀樹杉松』101巻2754号 2018-12-20/hideki-sansho.hatenablog.com #394