秀樹杉松<坂めぐりを終えて>(2)~坂が待っている~
坂が俺を待っている
ブログ写真容量が切れたため、98回(10月23日)の後一週間坂めぐりを中断して、<峠の茶屋で一服 (1) ~(7) >を起こし、坂めぐりの総括的なことを書きました。これと重複しない範囲で、<坂めぐりを終えて>の執筆を始めました。
「50回・500坂」で坂めぐり打ち切りを宣言したが、
「俺を待っている坂がいる」と考えて、20日後には”落穂拾い”と名付けて再開し、落穂拾いも7回でやめて本来の坂巡りに復帰したのでした。自分が坂を好きで巡っているだけでなく、坂(道)が「俺を待っている」という、この一種の連体感、いわば相思相愛の関係があったような気がしてならないのです。
坂めぐりを重ねるうちに坂(道)に対する愛情が、いつの間にか増幅したのでしょう。そうでもなければ、「111回833坂」はあり得なかったかも。まだ行っていない坂があるのに、そこへ足を運ばないのは失礼でもあり、<坂めぐり>を標榜することもできない。「行ったら必ず歓迎してくれるはず」と、東京23区内の坂を訪ねたのです。実際に「熱烈歓迎」をうけたのでした。
坂めぐりでいろんなことを見聞し、さまさまな事を学んだ、楽しい充実した一年でした。海に近い平坦地は例外ですが、多い、少ないはべつにしても、23区内のどこにも坂はあります。名前のついている坂はごく一部で、「名無し」坂がいっぱいです。我々はまさに「坂の中で」生活しているといってもいいでしょう。坂の集中している地域に行って見ると、急坂や階段坂も多くありました。「こんな坂の中での生活、大変だなあ」と思う一方で、「坂のある生活、羨ましいなあ」とも感じました。
名前がついて、区役所設置の坂標識が立てられている坂、これらは恵まれた坂です。名前がついていて、坂学会の坂リストには掲載されているが、坂標識がないので地元住民にもあまり知られていない坂、もあります。当然のことながら、坂名には由来が必ずあり、地域の歴史と深く結びついております。坂(道)への施策を行う区は、区民の歴史、文化、民俗などへの施策全般に力を入れているように見えます。
<秀樹杉松坂めぐり>が、単なる私的な趣味の記録にとどまらず、坂(道)に対する一般の関心の向上や、坂めぐり(歩き)する人の数が少しでも増えるのに、いささかでも寄与できるなら、これに勝る幸せはありません。
難しい理屈は抜きにして、坂歩き・坂めぐりは、アウトドアスポーツとしても、健康ウォーキングとしてもお勧めできます。あなたも如何ですか?
『秀樹杉松』100巻2735号 2018-11-23 /
111回(最終回)秀樹杉松坂めぐり(2018-11-20 練馬区石神井台/石神井町)~和田の坂。~石神井公園、三宝寺池、石神井池、三宝寺、浮島、厳島神社、石神井小、石神井図書館、石神井川、蛍橋、「坂めぐり完結編」!
「秀樹杉松」坂めぐり 完結!
1年間に111回出かけ、833坂を歩きました。納めは「和田の坂」。
雨の心配もあったが、降雨確率0・晴天の天気予報に変わったので、早朝のシルバー就業を終えたあと、朝食をすませて、
坂めぐり「最終111回・833坂」に行ってまいりました。無事に「和田の坂」を歩きましたので、完結編をお届けします。どうぞお読みください。
第1回の坂めぐりは1年前の2017年11月21日でした。ちょうど1年かけて、111回(111日)出かけ、全部で833坂を歩いたことになります。坂めぐりの納めは「和田の坂」になりましたが、遠いところにポツンとあるので、最後に回しただけです。
しかし、結果的にこれが最高だったのです。これまで一度行ったかどうかも定かでない「石神井公園」でしたが、三宝寺、三宝寺池、石神井池など、素晴らしい場所が<秀樹杉松坂めぐり>の終着地となりました。フィナーレにふさわしい、楽しく有意義な1日でした。どうぞご覧ください。
なお、三宝寺池には石神井城落城の際に豊島氏の姫、照姫が身を投げたと言う伝説があるそうです(本文参照) / Atelier秀樹
続きを読む109回秀樹杉松坂めぐり(2018-11-18 板橋区、中野区、千代田区)~岩の坂、長徳寺の坂、ゆうれい坂、丸の内坂。~縁切榎、長徳寺、中野東中、東京駅中央地下通路、TOKYO STATION CITY。
今日は板橋区の2坂、中野区の1坂、千代田区の1坂、計4つの坂を巡ってきました。もちろん電車を乗り継いで。
今日のハイライトは、東京駅地下中央通路の「丸の内坂」です。坂学会による「坂のプロフィール」お読みください。今回の調査で初めて「丸の内坂」を知りました。東北出身の私は「上野駅」への執着こそあれ、東京駅はあまり行かないので、特に近年の動向は知りませんでした。
坂めぐりのおかげで「丸の内坂」の存在だけでなく、東京駅地下の大変貌を知ることができました。坂の壁面にある案内板には
昭和55年に総武地下駅で総武線、横須賀線の直通運転が開始された時に丸の内と八重洲を結ぶこの通路が造られた、とあります。そして、通路にあるこの40mの長いスロープを「TOKYO STATION CITY ~ 東京駅が街になる」というコンセプトに合わせ、グランスタ新エリア開業を機に「丸の内坂」と命名した(2012年)、そうです。
どうぞ本文をご覧ください。そして、東京駅中央地下道に行ってみてください。まるで別世界ですから。 / Atelier秀樹
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