秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

[モダンガール]吉屋信子、中條(宮本)百合子、林芙美子の帝国図書館 ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (8)【最終回】 ~

f:id:hideki-sansho:20190705180258j:plainクスノキ(樟、楠)/ なんじゃもんじゃ

 

中島京子『夢見る帝国図書館の読書メモを、7回にわたってお届けしましたが、ブログ投稿は8回目の今回で終了します。(本書はまだまだ続きますが、全部書くと20回ぐらいに達するでしょう。)

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関東大地震。悲願の増築、そしてまた戦争 ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (7) ~

 

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中島京子『夢見る帝国図書館読書メモの第7回です。

今回は大正12年関東大震災と、悲願の増築ですが、またしても戦争突入で図書館の夢は吹き飛びます。本シリーズも次回で終了の運びとなりました。なおこれまで通り、なるたけ本書の文章に即した読書メモです。どうぞお読みください。

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宮沢賢治、マティラム・ミスラ、谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛  ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (6) 

 

f:id:hideki-sansho:20190704094856j:plain 写真撮影:Atelier秀樹

 

中島京子『夢見る帝国図書館読書メモの第6回です。

今回は、宮沢賢治芥川龍之介谷崎潤一郎菊池寛、インド人マティラム・ミスラが登場します。宮沢賢治は同郷・同窓ですが、勉強不足のためよくわからない部分があります。わたしは「銀河鉄道」に乗ったことがありませんので。

面白かったのは、菊池寛が大切な本を電車内に忘れたことです。ともかくお読みください。

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夢見る帝国図書館・9 図書館幻想 宮沢賢治の恋

 

われはダルケを名乗れるものと つめたく最後のわかれを交はし 閲覧室の三階り 白き砂をはるかにたどるここちにて 地下室に下り来たり かたみに湯と水とを呑めり、、、

かくてぞわれはその文に ダルケと名乗る哲人と 永久のわかれをなせるなり 

ー 宮沢賢治東京ノートより

 

図書館に心があったなら、この若い詩人のことは、どう思っていただろうか。彼は大正10年の年の初めに、故郷を飛び出して夜汽車に乗って、東京にやってきたのである。その足で彼は鶯谷国柱会を訪ね、自分は法華経とともに生涯生きていく決意をしている、下足番でもいいから使ってほしい、ここに置いてほしいと訴えるのだが、家出同然に突然やってきた青年をいきなり受け入れてくれるわけもなく、よく考えてから出直せと言われてしまう。

 

少し前に、東京帝大病院の小石川分院に入学した妹のトシの看病のために上京した時も、詩人は上野の図書館にしばしば足を運んだものだったが、今回も、ともかく赤門近くの印刷所で小さな仕事を見つけて菊坂に下宿を決めてのち、鶯谷国柱会に通う傍ら、ひどく熱心に帝国図書館にやってきた

 

詩人はまるであの近眼の樋口夏子のように熱心に本を借り出して読むのではあったが、それと同時にやはり半井桃水に恋をしていたころの夏子のような目をして、

三階の閲覧室の大きな窓から外に目をやり、物思いにふける姿も見せた。

ダルケ、あるいは我が友カムパネラ。どこまでもどこまでも一緒に行こう

 

詩人はその生涯の友と、高等農林学校の寮で同室だったのだが、友人がある事件のために退学処分になって山梨に帰ってしまってからは、もう三年もの歳月、会うことが叶わなかったのだった。会いたい。とうとう友人が東京に出てくるのだ。詩人の心は踊る。詩人は友に会ったのである。休暇を取った見習士官は図書館にやってきた。詩人は友人より少し遅れて図書館の暗い玄関をくぐり、階段を一足一足踏みしめて上がって、三階の床を踏んで汗を拭った。

 

邂逅は幻のような時間だった。三年の月日と、その間に交わされた手紙の量に比べれば、圧倒的に短い時間と言葉の中で、二人は、道が分かれたことを知った「では、いずれまた」と、友人は言った「ぼくは一人で、少し本を読んでいこう」 そう、詩人は言った。緩い半円をつけた大きな窓の木枠に身を預けて、詩人は盛岡で友人と過ごしたころを思いながら、窓の外を眺めた。

 

遠ざかっていく友人が見えた。次第に日は落ちて、外は暗くなった。するとどこかで、不思議な声が、銀河ステーション、銀河ステーションという声がしたと思うといきなり目の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいか)の火をいっぺんに化石させてそら中に沈めたという具合。(以下割愛)

宮沢賢治「図書館幻想」より

 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.127-130から)………………………………………………………………

 

夢見る帝国図書館・10 マティラム・ミスラ、芥川龍之介『出世』『魔術』、谷崎潤一郎『ハッサン・カンの妖術』

 

<マティラム・ミスラ(インド人)

大正年間に帝国図書館に出入りした人物として、特筆すべきはインド人のマティラム・ミスラ氏である。ミスラ氏が実在の人物であることの根拠は、谷崎潤一郎芥川龍之介という二人の名だたる文豪が、ともに自作の中で、「実際に出会った人物」と書いたことだ。

 

谷崎潤一郎とミスラ氏>

ミスラ氏が谷崎潤一郎と、帝国図書館で出会ったのは、大正4年ごろのことと思われる。そのころ谷崎は『玄奘三蔵』という三蔵法師を主人公に短編を執筆中で、インドの伝説の類を参考にするために、上野の帝国図書館を訪ねた。谷崎は、ここで自らのインド近代史や仏教の知識をたっぷりと披露した上で、ミスラ氏が師事して体得した「ハッサン・カンの妖術」を、自分にも使って見せてもらうクライマックスへと読者を引っ張っていくのであった。

 

芥川龍之介とミスラ氏>

後輩の芥川龍之介がミスラ氏に出合ったのも、帝国図書館だったのではないだろうか。谷崎が「ハッサン・カンの妖術」発表するのが大正6年のことで、その三年後に芥川は『魔術』という短編に、マティラム・ミスラ氏との交友を書くのだけれども、「一月ばかり前」にミスラ氏に芥川を紹介した「ある友人」は谷崎であろう。

 

菊池寛

帝国図書館が無視し得ないのは、ミスラ氏が毎日午前中に通っていたころ、やはり図書館に日参していた、いま一人の著名作家、菊池寛のことである。大学を出たばかりで職がなく、ひたすら貧乏であった。田舎の両親が、金を送れ、金を送れとせっつくので、なんでもいいから金を稼ごうとおもって、『西洋美術叢書』の中の一巻を翻訳させてもらうことにする。ガァデナァという人の書いた、『希臘彫刻手記』であった。その、本当に細い金づるであるところの翻訳の原書を、あろうことか、彼は電車の中に忘れてしまうのである。

 

電車にものを置き忘れた人間があまねく経験するところの焦燥を彼は経験し、三田の車庫、春日町の車庫、巣鴨の車庫、電気局と、ぐるぐるたらいまわしにされた挙句に、警視庁の拾得係でも見つからず、丸善にもなし、神田の古本屋にも、本郷の古本屋にもなしときて、とうとう最後の最後に、帝国図書館にたどり着く

 

さすがは帝国図書館GardenerThe Manuscript of Greek Sculptureを、ようやく彼は発見し、安堵する。その日から、日参である。上野の図書館なしには、仕事にならないのである。帝国図書館は、彼にしてみれば学生時代からよく通った場所ではあったが、よく通ったがゆえに、不愉快な思い出もある場所だった。

 

菊池寛帝国図書館の下足番>

なんといっても、下足番とのやりとりに自尊心を挫かれた高等学校時代の体験は、忘れようもなく刻まれていた。貧乏学生だった彼の草履が、履き潰されてぼろぼろになったため、下足番がそれを下駄箱に入れるのを拒んだのだ。図書館備え付けの、どの上草履よりもくたびれたその草履に、帝国図書館の下駄箱はふさわしくないとばかりに下駄札を寄こさないそのかたくなな態度に、彼は立腹し、みじめな思いを味わう

 

そのため、大学を出たにもかかわらず、図書館に通い詰めねばならなくなった我が身は、必要以上に落ちぶれて感じられ、彼の四角い顔も、いつにもまして角々を突っ張らして行くのであった。日がな一日、地下室で他人の履いた靴を触って糊口をしのぐ下足番に密かな軽蔑をいだきつつも、自分の人生は堕ちたとはいえども下足番ほどではあるまいと安堵したり、生涯日の目を見ずに生きる下足番は気の毒だと同情したりする。

編注:以下割愛します。なお、下足番のことは『出世』に描かれているそうです) 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.139-142から)

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『秀樹杉松』108巻2892号 2019.7.4 / hideki-sansho.hatenablog.com #532

和辻哲郎、谷崎潤一郎、菊池寛、芥川龍之介、、一高生たちを魅了する、白い化粧煉瓦の帝国図書館  ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (5)~

帝国図書館(現・国立国会図書館 国際子ども図書館」)<wikipediaより> 

 

中島京子『夢見る帝国図書館読書メモ、第5回です。前回紹介のように帝国図書館」は、明治39年に東側ブロックの建築だけで開館したが、当時では目を見張るような「威風堂々の古典主義様式の西洋建築」で、利用者が殺到したようです。まずは、一高生たちをごらんください。

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夢見る帝国図書館・8 

白い化粧煉瓦の帝国図書館、一高生たちを魅了する

 

和辻哲郎

姫路中学を卒業したばかりの和辻哲郎は、その月の終わり、第一高等学校に入学するために東京にやってきた。初めてきた東京で、哲郎を魅了したのは、故郷姫路ではその頃まだ見られなかった、大きな西洋建築だった。ニコライ堂の丸い屋根を見て、哲朗はため息をつき、こうした建築は、どのような風土を背景に建てられたのかなあと考えた。

 

そして、姫路にいたころに新聞で、その開館記事を目にしたことのある

上野の帝国図書館に足を運んだとき、その建ったばかりの美しい建物に心を奪われた。そこではただ建物を拝見して終わりということではなくて、ゆっくり落ち着いて、書物を眺めながら、そこを我が居場所として独占して過ごすことができるのに感激した。

 

哲郎がとりわけ好きだったのは、閲覧室の高い天井とシャンデリアだった。自分がシャンデリアの下に座って本を読んでいる。そう思うと、哲郎の胸はなんともいえない幸福に充たされるのだった。哲郎は、足しげく図書館に通うことになった。

隣に座った一高の後輩に、声をひそめて話しかけると、哲郎は鼻をクンクンさせて、ワーズワースの詩集に押し当てた。「なんやら、香水みたいな、ええ匂いや。英国の栄華の匂いなんやろか」哲郎は静かに目をつぶった。

 

谷崎潤一郎

なあ、ジュンイチ。東京って。ええとこやなあ」。そう和辻哲郎は言い、日本橋蠣殻町生まれの谷崎潤一郎は、まんざらでもない笑みを漏らした。

 

菊池寛

高松中学を卒業して東京に出てきた菊池寛も、着京の翌日には、このルネッサンス様式の美しい図書館に行った。寛は歴史小説が好きだったので、高松時代に上巻しか手にすることのできなかった春廼舎朧(はるのやおぼろ)の『女武者』を見つけて大喜びで借り出して読んでみたが、さほど感心はしなかった。それでも図書館は気に入って日参した。

 

<佐野文夫>

いくつかの学校を転々とした末に、は一高に入学して和辻・谷崎の後輩となったが、とりわけ仲良くなったのは佐野文夫で、結局、佐野が盗んだマントを質入れしようとした事件の罪をかぶって退学になってしまった。佐野がちょっと困ったちゃんであったことは、こうして寛も知らないわけではなかったのに、マント事件でも身を挺してかばってしまったところをみると、寛にとって佐野はその困ったところも含めて魅力的な男だったに違いない。

 

芥川龍之介

一高時代の寛の友だちといえば、やはりよく知られているのは佐野文夫よりも、だんぜん芥川龍之介である。京橋生まれ、本所育ちの龍之介は、府立三中(今の都立両国高校)時代から帝国図書館には通っていたが、浴びるように本を読み博覧強記を自慢する威勢のよさは、高松から出てきた四角い顔の友人[菊池寛]に任せることにしていた。

 

肩をいからせて図書館から出てくる本の虫のを呼び止めて、龍之介は言った。「なあ、寛。団子食ってかない?」「団子?」「すぐそこの東照宮の前に鶯団子って団子屋があるんだよ」

「知らない」四角い顔をした菊池寛は、団子と図書館になんの関係があるのかと言わんばかりに答えた。「言問団子より、鶯団子の方がうまいんだぜ」「寛は目を見開いた。「お前よく、そんなことを知ってるね」「女の子と話していると、いろいろ教えてくれるからね」

 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.114-117から)

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『秀樹杉松』108巻2891号 2019.7.3 / hideki-sansho.hatenablog.com #531

上野に待望の帝国図書館が出現! だがまたもや戦費に泣かされる。 ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (4) ~

     旧・帝国図書館(現・国立国会図書館国際子ども図書館」)

  

『夢見る帝国図書館』(中島京子著) の第4回読書メモです。文部省や図書館関係者の悪戦苦闘の末、やっと念願の帝国図書館」が上野に誕生しましたが、またもや、、、。

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樋口一葉と恋する図書館! ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (3)

 

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『夢見る帝国図書館(中島京子著) の読書メモの第3回です。

明治5(1872)年創設の日本初の図書館「書籍館が、幾多の苦難変遷を経て

帝国図書館」となったのは34年後の明治39(1906)年

それから戦後の昭和22(1947)年に「国立図書館」と改称するまでの41年間が「帝国図書館」という館名です。それに先立つ「東京書籍館」「東京府書籍館」「東京図書館」、そして終戦後に改称した「国立図書館」を含めた76年間(1948年の国立国会図書館誕生まで)を、まとめて「帝国図書館」と呼んでもいいでしょう。

本書「夢見る帝国図書館」もこの76年間を対象にしています。

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中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、深い感動を覚えました(2)。~東京府書籍館時代、湯島聖堂孔子廟公開 → 東京図書館時代(文部省)、淡島寒月、幸田露伴 → 上野移転、教育博物館に間借り

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梅雨に濡れる花

 

前回に続き、中島京子『夢見る帝国図書館』の2回目の読書メモを、本文になるたけ即した形で紹介します。

草創期の図書館は、文部省(書籍館)→東京府東京府書籍館)→文部省(東京図書館)→教育博物館と合併して上野に移転、と目まぐるしく変遷しました。全ては、財政困難が理由。

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