秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

ノーベル賞作家カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』を読む

     「会話」と「薄明」   /  Atelier秀樹

 

 全く名前を知らなかったカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞に輝いた。日本人が毎年期待して騒いでいる人ではなく、しかも日本出身のイギリス人が受賞したことを知り、「読んでみようかな」との気持ちになりかけていた。

 『秀樹杉松』「ミニウォーク」で触れたように、10月5日に月一回のミニウォーク(今回は目黒~代官山)に参加した。コース途中の代官山蔦屋書店で、2日前に発表されたばかりのノーベル賞作家カズオ・イシグロ氏の作品を買う気持ちになった。「もう売り切れでしょう」とウオーカーに言われたが、さすがは大書店らしく特設コーナーに若干部残っていた。どんな作品か知らぬままに『忘れられた巨人』『日の名残り』『遠い山なみの光』の3冊を購入した。

 

 「来月のミニウォークの時に読んだ感想を聞かせてね」と言われた。読みっぱなしというわけにもいかないので、何か少し書いて見みようという気持ちになった。しかし、とても私の手には負えそうもないので、かくのごとく前書きにスペースを割いているのです・・・。3冊買い求めたのですが、いつものように出版順に読むことにして、『遠い山なみの光』(ハヤカワepi文庫)をまず読んだ。他の2冊はまだ読んでいないが、カズオ・イシグロ氏の作品の片鱗に触れたので、何か感想を書かねばならない・・・。

 

 一言で表せば、文学作品とはこういうものか、ノーベル賞作家ともなると自分らのような凡人とはケタ違いなんだ、ということを思い知らされた。普段は時代小説・歴史小説を中心とした「面白くて為になる」大衆文学に親しんでいる自分には、なんとなく「難しくて高尚」に思え、日本出身とはいえやはり外国人作家、イギリス文学だろうか、という感じも受けました。小説には必ず登場人物の会話が欠かせないのですが、この小説の場合は「会話の挿入」というよりは、むしろ会話が主体の感じです。しかも驚いたのは、会話で理解・親密さが図られるというよりも、お互いが一方的にしゃべりまくるという感じで、なんか白ける気持ちになりました。

 

 読み終わって巻末の池澤夏樹氏の解説「日本的心性からの解放」を読んだら、私の感想は的外れでないことがわかった。

 

 作家・池澤夏樹「日本的心性からの解放」

「作者は自信を持って精妙な会話を組み立てている。会話をプロットに奉仕させるのではなく、説明の道具として使うのではなく、会話がプロットの中心に堂々とある。それは、人の思いのずれがこの人の文学の主題であるからだ。」

弁証法という哲学用語の語源は対話術ということだ。Aなる考えとBなる考えがぶっつかって、その違いを検証する対話の内からどちらをも超えたCという考えが生まれる。すなわち思想の生成の過程である。」

「しかし、我々の日常的な会話の大半はそれほど生成的ではない。双方の思いの違いが明らかになるばかりで、いかなるCにも到達できないのが普通の会話というものだ。それがまた哲学と文学の違いでもある。両者がボールを投げるばかりで相手の球を受け取らないのでは、会話はキャッチボールにならない。人間は互いに了解可能だという前提から出発するのが哲学であり、人間はやはりわかりあえないという結論に向かうのが文学である。」

カズオ・イシグロは文学が普遍的な人間の心の動きを扱うものであることを信じてこれを書いた。」

「ここに書かれているのは日本的な心性であると考える必要がなくなった事態をこそ、今我々は喜ぶべきなのだ。この小説によってわれわれの心は狭い日本からようやく解放されたのである。」

 

◉哲学と文学の違いに言及する池澤夏樹氏の解説、目からウロコが落ちる思いです。文学に疎い私の読後感が、専門家によって見事に解説されているのに驚いた。今度は池澤さんの作品も読んでみようかな? 

◉以上書いた「会話」の問題も含め、なんとなく明るさや爽やかさにはほど遠い「暗い印象」?を受けたことにも触れなければならない。そう思って巻末の訳者・小野寺健氏の「訳者あとがき」に目を通したら、その辺のことに触れている。

 

小野寺 健「訳者あとがき - カズオ・イシグロの薄明の世界」

カズオ・イシグロの世界の本質は、(略)けっきょく根底にあるのは世界を不条理と見る見方だということである。つまり、哲学的な意味での世界における自分の位置が見えない状況、言い換えれば自分と世の中の関係が分からないといったことであり、理想などとは無縁のまま薄闇の中で手探りでうごいている、そんな人間の状況を描いているのである。」

「彼は、価値のパラダイムが変わった時 ー 戦争に負けた時などが典型的な例であるーに訪れる過渡期の混乱の中でも、不条理という見方だけで割り切らず、たとえ微かなものでも希望を捨てない生き方を描くことが多い。その人生を包んでいる光は、明るい希望の光でも、逆に真っ黒な絶望の光でもなく、両者の中間の「薄明」とでもいうべきものである。イシグロの世界はこういう、どちらかというと暗さの優っている「薄明の世界」であり、この感覚が現代人の好みというか実感によく合うのだと思う。」

 

<註>本書 A Pale View of Hills (1982)は、『女たちの遠い夏』という邦題で1984年に筑摩書房から刊行され、ちくま文庫にも収められた。早川書房からの刊行に際して題名を『遠い山なみの光』に改めた(訳者は同じ小野寺健氏)。この作品はイシグロ氏の処女長編で、英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞したそうである。

 

                                            (秀樹杉松 86巻/2452号)2017.10.12