秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

芥川賞は、(私のような)「大衆」には手の届かぬ背高「純文学」賞でしょうか?! ~ 古川真人『背高泡立草』を読みました。(歌のまねごと) 背が低い オレにはとても  無理なのだ 背高泡立つ 芥川賞

 

f:id:hideki-sansho:20200209181950j:plain 

二日前の新聞広告を見て、早速1000円払って雑誌『文藝春秋』を買いました。石破茂さんの「安倍総理よ、このままでは日本が滅ぶ」と、第162回芥川賞を受賞した古川真人(まこと)さんの「背高泡立草」(せいたかあわだちそう)を読みたくて。「おお、石破さんがいよいよ決起か!」、芥川賞受賞作品の書名に使われた背高泡立草は俺の思い出の植物だ!、、、。 / Atelier秀樹

 

 私は文学の門外漢ですが、大学では政治学を専攻したので、石破さんの論文をブログ「秀樹杉松」で取り上げようと思いましたが、止めることにしました。一言で表せば、期待した内容ではなかったからです。見方によっては “素晴らしい”との評価もあるかもしれませんが、、、。

 

編集者はポスト安倍世論調査1位』が覚悟の直言とPRに努めてますが、私にはオーバーに聞こえます。石破さんが書かれていることは、一々もっともで、反対する箇所はありません。政治評論」としてはりっぱですが、石破さんは評論家ではないでしょう? それと、石破さんが「受験秀才官僚」を批判してますが、石破さんはまさか「秀才評論家」ではないですね。

ライバルとみられる岸田文雄氏にも言及しなければ。早稲田:岸田さん慶応:石破さんお二人への国民の期待は大きいですよ!岸田さん、早稲田らしい逞しさを見せてください。石破さん、慶応ボーイに固執してませんか。WK競って、長すぎるSに終止符を!

私見では、いま求められるのは「たたかう政治家」「いまの政治を終わらせる政治家」

 

f:id:hideki-sansho:20200209181943j:plain

以上で閑話休題本論の芥川賞に入ります。私は読書が趣味で、小説をよく読みます。ですが、近年の「芥川賞」受賞作品は敬遠しています。私にとっては「あまりに高尚な純文学作品」だからでしょうか、難しい、理解不能、ついていけない、、、からです。しかし今回の受賞作品の書名「背高泡立草」(セイタカアワダチソウ)に惹かれて、読んでみようかという気持ちになったのです(著者や小説の内容は一切知らずに)。

 

何十年か前に、東京以外の何処だったか忘れましたが、そこで背丈がすごく高く、黄色の花をつけた植物を見つけ、帰宅してから調べて、それが「背高泡立草」だと知りました。植物の名を聞いたり覚えてもすぐに忘れてしまう私ですが、出会いの印象が強かったことと、そのものズバリの名前で、いつまでも覚えていたのです。それが書名なので、どんな内容だろう、と興味を覚えたのでした。

f:id:hideki-sansho:20200210113720j:plain

f:id:hideki-sansho:20200210113723j:plain ↑ 背高泡立草(ネット情報から)

<背高泡立草>

キク科の多年草。北米原産、切り花用の鑑賞植物として導入された帰化植物外来種。ススキなどの在来種と競合。高さは1〜2.5m、肥えた土地では4.5mにもなる。花期はは秋で、濃黄色の小さな花を多くつける。(Wikiedia) 

....................................... 

全くの予備知識なしで、興奮気味?で読み始めました。どういうわけか、どんどんと読み進むのです。ひっかかって中断することはない。独特の文体、文章構築でしょうか。だが読み進むうちに、やはり、“芥川賞作品は俺には向いていないのでは” という思いが湧いてきました。

全くの予備知識なしで読了のつもりでしたが、斯くなる上は念のため、同じ雑誌に掲載されている、選考委員9氏の「芥川賞選評」に目を通してみることにしました。

 

その結果、今回受賞の古川真人氏は過去3回候補作に入っており、今回4度目で栄冠に輝いたことがわかりました(私は知りませんでした)。

*毎回この一族の物語を読むたびに、また付き合うのか、と感じていたが(山田詠美氏)

*これまでの作品同様、、、作風には相変わらず違和感を覚えるのですが(吉田修一氏)

連作風小説の一編で、これまでも三作が候補になった(奥泉 光氏)

*よく似た家族を主人公にした小説はこれで四作目(宮本 輝氏)

..........................................................

 

作品の評価の部分を拾ってみました。さすがは専門家の選評ですが、専門的で、抽象的で、私にはよく理解できません。「芥川賞」というのは、こういうものなんでしょうね。

同じ場所に確実に存在する異なった時の流れを交錯させるのは、この作者の真骨頂(山田詠美氏)

市井の一家のファミリーヒストリーと見せかけて、その土地自体を物語る手腕(吉田修一氏)

今、目の前にいる親しい誰かと、会えるはずもない遠い過去にいる誰かに、等しい距離感で視線を送れる書き手(小川洋子氏)

ひとつの『物語』を連作風に書き継いでいて、その貫徹ぶりには感心させられる。<奥泉光

小説の中の時間と空間を広げてゆこうという作者の試みが感じられたのは確かなのですが、それがうまくいっていたかどうかは、微妙なところ。(川上弘美氏)

重層性と作品それ自体の生命力宮本輝氏)

一般観念はなく、ただひたすら特異性の記述しかない。古川氏なりの企図や構想があり、方法の追求があるのかもしれないが、結局はただわけもわからぬまま書いているように見える。そこから生まれる読みにくさは、肯定的にも否定的にも評価できるが、、松浦寿輝

一族集合しての草刈りという現在時制の出来事に、その土地に根付いている重層的な過去を絡めた物語である。(島田雅彦氏)

九州の島を舞台に、吉川家の歴史と現在を語る大河小説の一部である。<堀江敏幸

 

次の記事に注目しました

選考会初っ端の投票結果から今回は危うく受賞作なしになりそうだったが、賞は授けるためにあるのであって、酷薄な結果に陥らずに済んでよかった。島田雅彦氏)

f:id:hideki-sansho:20200209183212j:plain
f:id:hideki-sansho:20200209183224j:plain

 

芥川賞直木賞、純文学と大衆小説、芸術性と娯楽性

 Wikipediaでは以下のようになっています。

 

芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)

○通称芥川賞は、純文学の新人に与えられる文学賞

○受賞対象

 各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された純文学短編の無名もしくは新進作家

 

直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)

無名・新人・及び中堅作家による(ただし、現在は、このカテゴライズは実質上、無効化している)大衆小説作品に与えられる文学賞。通称は直木賞

 

<純文学>

大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。

 

<大衆小説>

大衆小説、大衆文学は、純文学に対して「芸術性」よりも「娯楽性」に重きを置いている小説の総称。「娯楽文学」も同義語。「通俗小説」「通俗文学」とも呼ばれた。

 

<芸術>

芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。

…………………………………………

なるほど、純文学・芸術作品である芥川賞受賞作は、私には高度すぎるのでしょう。気軽に楽しく読める、それでいて勉強にもなる直木賞受賞作品が「大衆」の私には向いているんですね。(半分その通り、半分異議あり、の声)

f:id:hideki-sansho:20200209182920j:plain
f:id:hideki-sansho:20200209182930j:plain

 

結局よくわからないまま最後まで読みきりました。書名に使われている「背高泡立草」が、いつどんな場面で、どういう意味合いで出てくるのか、それを見届けたかったからです。これは書かない方がよいのかもしれませんが、『文藝春秋』p.332~p.408の77ページに及ぶ作品ですが、最後から2ページのp.407に出てきました。

 

草刈りを始める前に撮っておいた写真に写っている植物の名前として、カズラ、魚睲草ドクダミ虎杖イタドリ、に続いて、背高泡立草セイタカアワダチソウが挙げられた。登場人物が携帯電話でセイタカアワダチソウを調べ、学名なども紹介される。なんのことはない。単なる草の一種として、この小説には出てくるにすぎないのだ。珍しい名前の植物、私の思い出の植物を書名に持ってきた、その書名につられてこの小説を読んだ私。情けないですね。それと、これが芥川賞とは!

………………………………………

 

止まれ!唯一の収穫?がありました。この小説の2ページ(p.397,399)に「へノコ」という言葉が登場している。

→ 夜に酒を飲みながらテレビを見ていた父が、笑い声を漏らした。次いで鼻を鳴らすと、冷蔵庫から飲み物をだすため台所に立っていた少年に向かってへノコってな、おい、知っとるや? チンぽこって意味やぞ?」と言った。 (p.397)

 

沖縄の「辺野古」の話に関連した場面です。実は、東北出身の私は子供の頃から「へノコ」を知ってました。そう呼んでました。だから、沖縄問題で「辺野古」が報道されるたびに、複雑な気持ちになりました。

 

ですが何年間も報道され、しかも辺野古」は沖縄県民の大きな政治問題でもあるので、今ではほとんど意識しなくなっています。「へノコ」に言及した記事や報道に接したこともありませんでした。まさか芥川賞受賞の「背高泡立草」にこんな形で初出?となるとは、、、。情報化時代なのですね。ただし私なら、沖縄の辺野古で通し、こういう場所でへノコを使って面白おかしく話したりはしません!

…………………………………………

<写真撮影=Atelier秀樹>

…………………………………………

『秀樹杉松』112巻2966号 2020.2.9/ hideki-sansho.hatenablog.com #606