葉室 麟『あおなり道場始末』を読む。仲良し3きょうだいが主人公。運命のいたずら、思いがけない展開と興奮、壮烈な派閥争い。息つまる波乱万丈の、推理時代小説!
葉室 麟『あおなり道場始末』(双葉社、2016)
葉室小説の出だし(序章)がいつも絶妙である。特に主人公などの登場人物の描写が優れており、わかりやすい。最後まで読み切ってから念のため冒頭に戻ってみると、なるほど全てはここから出発している、と思い知らされる。
では先ずは、主人公たちの描写を見てみよう。 / Atelier 秀樹
<父=青鳴一兵衛>
九州、豊後、坪内藩の城下町に神明活殺流の道場があった。道場主は青鳴一兵衛(あおなり いちのひょうえ)といったが、去年の5月に亡くなり、間もなく一周忌を迎える。
<長男=青鳴権平>
道場は長男の青鳴権平(ごんべい)が継いだが、年がまだ20歳と若く、しかも眉が薄く糸のような細い目で鼻も低い下膨れの顔は青い。背も低く、日ごろ、ぼんやりとしておよそはきはきと口を利くということがない。いつも笑みを浮かべているだけで、いわゆる昼行灯のような性格だった。
剣術道場主としては頼りないことおびただしい。竹刀を用いての稽古ではあっけないほどの弱さで弟子たちにぽんぽん打たれてしまう。
それで、門人たちからも、陰で青瓢箪とかうらなりなどと言われていたが、いつの間にか、二つを合わせるて、ーあおなり と呼ばれるようになった。これならば姓とも同じなので、誰もが憚ることなく、ーあおなり先生 など呼びかけ、ひそかにからかっていた。
<長女=千草>
このことに気づいて門弟たちを叱りつけたのは権平の妹の千草(ちぐさ)だった。権平には17歳の妹千草と12歳の勘六という弟がいる。
母親は早くに亡くなっており、権平は二人にとって親代わりのようなところがあった。
千草は色白で鼻筋が通った美貌だが、日頃から男装を好み、長い髪を元結で結んで背中に垂らし袴を穿いて、朱鞘の両刀を腰にたばさんでいる。
一兵衛が仕込んだためか千草の剣術の腕前は兄に勝るのではないか、などとも言われていた。しかし、兄思いの千草はそんなことを口にする門人を稽古の際、大いにひっぱたいては、「兄上は神明活殺流の奥義に達しておられる。私など足元にも及びません」と言ってのけるのだった。一兵衛の死後、門人が減ったのは千草の荒稽古のせいもあった。門人たちは千草を、ー鬼姫 と呼んでいた。
<次男=勘六>
一方、弟の勘六(かんろく)は幼い頃から城下の儒学者、矢野観山の塾に通って四書五経を諳んじて神童の誉が高かった。師の観山は勘六の秀才ぶりに舌を巻いて、「あたかも菅原道眞公を思わせる」と学問の神様として太宰府天満宮に祀られる菅原道眞を引き合いに出して褒め称えた。
だが、勘六は大人に対してもこましゃくれた口を利くため、菅原道眞が天神様であることにちなんで、揶揄して、ー天神小僧 と陰口されることもあった。といっても勘六が秀才であることは誰もが認めており、つまり、青鳴きょうだいは妹と弟の評判が高く、兄の権平については、「愚兄である」とされていたのだ。
<父(道場主)の死>
ところで城下の剣術道場として、青鳴道場は一兵衛が腕もたち、人柄も練れていることから、多くの門人を抱えていた。だが、一年前に一兵衛が亡くなってからは、一人減り、ふたり減りして、とうとう誰もいなくなった。
一つには、一兵衛が剣術道場主たちの会合に出た小料理屋で飲み、帰りになぜか地元の素戔嗚神社の石段で足を滑らせて頭を打って亡くなったからでもあった。
剣客たるものが、酔って足を滑らして死ぬなどだらしが無さすぎるというわけだ。一の兵衛は、まだ、46歳と壮年であり、死ぬような年齢ではなかった。
もっとも一の兵衛の死については、当初から、一兵衛道場の繁栄を妬んだ道場主の仕業ではないかという噂があった。
*一読の価値は十分ありです。
*『秀樹杉松』は、この第2561号から第92巻に入りました。
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『秀樹杉松』92巻2561号 18/3/6 # blog <hideki-sansho> 201
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