『秀樹杉松』坂めぐり(60回記念=2018-7-17 世田谷区尾山台、大田区田園調布 )~寮の坂・急坂・馬坂・富士見坂・いろは坂・大山坂・滝坂・どりこの坂。~伝乗寺・尾山台宇佐神社・八幡塚古墳・八幡橋・丸子川・庵谷橋・八幡神社・照善寺・田園調布せせらぎ公園・亀甲山古墳・丸子橋・玉川台公園・多摩川台古墳群。〜60回記念特別付録「古墳めぐり」
区切りのいい<第60回記念坂めぐり>は、世田谷区尾山台と大田区田園調布の8つの坂と、坂に隣接する川・橋・寺社・学校・公園などに行ってきました。今日の8坂を加えて、巡り歩いた坂の合計数は561を数えました。東京は坂が多いですね。私の坂めぐりの対象は「坂名のある坂」に限っていますが、“無名坂”を含めると、いたるところに坂があります。
今日も猛暑が予報されていたので、朝5時半に家を出て午後1時過ぎに帰宅ました。
最初の坂「寮の坂」の近くの「八幡塚古墳」にも立ち寄りました。いつもと違うのは、結果的に「古墳めぐり」もしました。古墳を取り上げるのは確か最初で、60回の記念号を飾るものになりました。本号の末尾に<第60回記念号 特別付録◉古墳めぐり>を掲載しましたので、関心のある方はどうぞお読みください。/ Atelier秀樹
坂めぐり第60回(2018-7-17)
①寮の坂(りょうのさか)(#554)
別名:堂の坂。世田谷区尾山台1丁目と2丁目の間。環八通り“尾山台2丁目”交差点から南の三叉路から,宇佐神社の東側を通り,丸子川まで。北北東に向かい上り。330m。宇佐神社横付近はかなり急な坂(高低差22m,平均斜度3.8度)。途中カギ形に曲がる。
標識=坂上の三叉路角に“寮の坂 右 九品仏駅 左 多摩川”と刻まれだ道標と,大きな石板に 坂道の由来を刻んだ 石碑が建っている。(設置者不明)
「寮の坂 由来 松高山傳乗寺は,区内における古刹であり,その縁起は遠く後伏見天皇の 正和五年(1316)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は 坂の東側台地に所在し,かつ本堂とならんで僧侶の学寮が建てられていたために,この坂道を土地の人は,寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると,この坂の名称の由来が思い起こされる。
なお,寮の坂の東側にある 雙葉学園 を抱く盆地は,室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で,多摩川の水が滔滔と打ち寄せ,時の奥沢城主太平出羽守は,上流から運ばれた武器,兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたとも言い伝えられている。さらに時代は下り 江戸時代に入ると,川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り,寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。」
由来他 現在坂下にある傳乗寺は,かつて坂の東側に本堂や学寮が分布していたため,この坂は寮の坂と呼ばれた。(標識より)
尾山台宇佐神社
世田谷区で最も南に位置する神社。遠方より参拝多数有り。御祭神=誉田別命[応神天皇](ほんだわけのみこと)[おうじんてんのう]。御由緒=源頼義公が、永承六年安部一族定のために尾山の地に陣を張り勝利を誓い、そして康平五年(1063年)安部一族を平定し、ここに八幡社を建て神に勝利を報告し感謝したのが当社の起りであります。また境内に五世紀頃の八幡塚古墳があります。(東京都神社庁)
八幡塚古墳
尾山台2-11。
八幡塚古墳は、国分寺崖線上の高台、上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群のなかの1基で、全長33メートル、後円部直径30メートル、高さ約4メートルで、小さな造出(つくりだし)と呼ばれる方壇がついた造出付円墳です。平成4年の発掘調査で、3基の埋葬施設が発見された。(city.setagaya)
伝乗寺(でんじょうじ)
世田谷区尾山台にある浄土宗寺院。松高山法性院伝乘寺。今は寮の坂の西にあるが、往時は東側台地に。本堂と並んで僧侶の学寮があったので「寮坂」。(石碑の文章から)
田園調布雙葉高・中
八幡橋と丸子川
庵谷橋と丸子川
田園調布5丁目。
②急坂 (きゅうざか)(#555)
大田区田園調布5丁目。田園調布の台地が終わって 多摩川方向に下る坂道。北東に向かって上り。350m。名前の通り 非常に急な坂(高低差31m,平均斜度5度)。わずかに左に曲がりながら上る。坂上に目黒区が設置した標識がある。
急坂 急な大きい坂であるため,急坂と呼ばれる。「五丁目の急坂」ともいわれて親しまれ,この付近の目標にもなっている。昭和六十一年三月 大田区。
大正末期に行われた耕地整理によりできた坂道だが,自然発生的にこの名で呼ばれ始たのは戦後のこと。(大田区HPより)
命名時期=太平洋戦争後。参考文献=大田区HP「田園調布・峰町地域の坂道」
③馬坂(うまざか)(#556)
大田区田園調布5丁目。田園調布の台地から照善寺脇に下る坂。この坂のすぐ北側に「急坂」がある。坂下は北東に向い,途中北に向かい,大きく湾曲しながら 坂上は北東に向って上る。220m。急坂(高低差23m,平均斜度6度)。大きく右に湾曲しながら上る坂。
馬坂 (うまざか) この坂道は,大正の頃まで,馬がひく荷車で台地へ上る唯一の坂道であるため馬坂と呼ばれた。昔は荷車が通るだけの狭い道幅であったが,耕地整理により道幅も現在に近いものになったと言われる。また,寺坂と呼ばれたこともあった。昭和六十三年十一月 大田区
照善寺
大田区田園調布にある浄土宗寺院。
中ノ橋と丸子川
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<編註>暑さも考慮し無理な徒歩は避けて、多摩川緑地に隣接する多摩堤通りのバス停「田園調布5丁目」からバスに乗り「多摩川駅」で下車。後半の坂めぐりにかかりました。
丸子橋
「川歩き」以来の再会、懐かしい。美しい橋ですね。あのタマちゃんはどこへ行った?
浅間神社(せんげんじんじゃ)
④富士見坂(ふじみざか)(#557)
田区田園調布1丁目。東急・多摩川駅から多摩川線の線路沿いに南に進み,踏切から西,田園調布富士見会館まで上る坂。坂下は東北東に,坂上は北北東に向かって上る。220m。急な坂(高低差15m,平均斜度5度) 坂上に“下り坂 12%”の標識がある。左に曲がりながら上る。
富士見坂 ふじみざか この坂道は,大正末期ごろから行われた耕地整理によって出来た道である。ここからは,富士山がよく見えるので,富士見坂と呼ぶようになったといわれている。昭和六十年三月 大田区
現在は樹木に隠されて 富士山を見ることはできない。命名時期=大正末期
田園調布せせらぎ公園
かつての多摩川園遊園地で、その後民間のテニスクラブであった土地を整備した水と緑に囲まれた豊かな自然を感じることのできる公園です。園内には大きな湧水池が2か所あり、様々な水生生物が生息しています。春にはサクラ、ヤエザクラ、など楽しめ、秋にはイロハモミジの紅葉を楽しむことができます。また3か所の多目的広場は子どもと大人で毎日のように賑わっています。(大田区HP)
⑤いろは坂(階段)(#558)
大田区田園調布1丁目。東急多摩川駅前の田園調布せせらぎ公園内の3つの坂の一つ。ジグザグに曲がりながら北に上る。80m。急な階段。ジグザグに曲がりながら上る階段坂。標識はないが,公園の案内図に坂名が書かれている。田園調布せせらぎ公園は 大田区が2008年に開設した新しい公園。命名時期=2008年
⑥大山坂(おおやまざか)(#559)
大田区田園調布1丁目。東急多摩川駅前の田園調布せせらぎ公園内の3つの坂の一つ。北に上る。65m。急な階段。まっすぐ上る階段坂。標識はないが,公園の案内図に坂名が書かれている。いる。田園調布せせらぎ公園は 大田区が2008年に開設した新しい公園。命名時期=2008年
⑦滝坂(たきざか)(#560)
大田区田園調布1丁目。東急多摩川駅前の田園調布せせらぎ公園内の3つの坂の一つ。ジグザグに曲がりながら南東に上る。90m。急な階段。ジグザグに曲がりながら上る階段坂。標識はないが,公園の案内図に坂名が書かれている。田園調布せせらぎ公園は 大田区が2008年に開設した新しい公園。命名時期=2008年
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⑧どりこの坂(#561)
大田区田園調布1丁目と2丁目の間。東急・多摩川駅の北側。田園調布せせらぎ公園の北側を線路際から上る坂。坂下は南東に,途中から東に向かって上る坂。130m。緩やか(高低差3m,平均斜度1.3度)。“く”の字に曲がる。坂下と坂上に,大田区が設置した標識がある。
どりこの坂 昭和の始めごろ,坂付近に「どりこの」という名の清涼飲料水を開発した医学博士が屋敷をかまえたので,誰いうとなく「どりこの坂」と呼ぶようになったといわれている。それまでは,池山の坂といっていたという。昭和六十年3月月 大田区
「“どりこ”の坂」ではなく「“どりこの”坂」。命名時期=昭和の始めごろ。参考文献=坂学会HP:「どりこの」箱
<編註>毎度のことですが、今回も坂名と坂の解説は「坂学会sakagakkai.org」 に依拠しています。
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<第60回記念号 特別付録>
◉古墳めぐり
今日の坂めぐりの最初の「寮の坂」の近くに「八幡塚古墳」がありました。写真を撮りに行ったら「立ち入り禁止」となっていました(前出)。それではと、地図を見たら多摩川台公園内に「亀甲山古墳」(かめのこやまこふん)があるので、急遽立ち寄りました。しかしやはり、一般人の立ち入り禁止でした。
致し方ないので、近隣の住民にきいたら、多摩川台公園には「古墳展示室」があって無料で見学できるし、広大な公園内の散策も素晴らしいと教えていただきました。
園内を歩いていたら、所々が盛り上がっていて「1号墳」「2号墳」などの標示が出ているのに気づきました。全部で8号墳まであり、結局多摩川台公園は多摩川台古墳8基(1号墳〜8号墳)を擁していることがわかり、全部を見ることができました。写真でお分かりの通り、土盛りの上には木や草が生い茂った古墳でした。
この後で「古墳展示室」を訪問して、多摩川台古墳からの出土品などを見学しました。いずれにせよ、5世紀・6世紀ごろ多摩川周辺に住んでいた人たちの古墳で、勉強になりました。世田谷区・大田区に古墳が多いことを初めて知り、自治体がその保存などに力を入れていることも、目の当たりにできました。
そんなわけで、今日の第60回記念坂めぐりは、早朝5時半に自宅を出発し、午後1時過ぎに帰宅しました。実に収穫の多い坂めぐりになりました。一種のハプニングでしたが、猛暑を吹っ飛ばした快挙でした。どうぞ、ご覧ください。
大田区田園調布4丁目。
亀甲山古墳(かめのこやまこふん)
田園調布4丁目、多摩川台公園。
多摩川台古墳群
1号墳〜4号墳
5号墳〜8号墳
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<世田谷区・大田区の古墳群>
◉荏原台古墳群(野毛古墳群)
築造年代 5世紀前半~6世紀
荏原台古墳群は東京都世田谷区の野毛古墳群と大田区の田園調布古墳群を合わせて、旧荏原郡に位置する事から荏原台(えばらだい)古墳群と呼ばれています、共に多摩川北岸の丘上に築造された南武蔵最大規模の大型墳丘を有する古墳群です、その内野毛古墳群は大型帆立貝式古墳でる野毛大塚古墳を中心に南東方向へ大型帆立貝式前方後円墳、大型円墳が並びこれら古墳の規模などから当時武蔵国内で相当有力な豪族の墓であったと考えられています。(関東、歴史旅行情報eniguma49.sakura)
◉野毛古墳群
○八幡塚古墳 (前出)
○野毛大塚古墳(世田谷区野毛1-25)
5世紀前半に築造された帆立貝式古墳で全長82m、高さ10mの三段築成で前面噴石が施されています、前方部は長さは16m、後円部は直径約66mで前方部の脇には小さな造出が設置されています。
(野毛大塚古墳から南東600mの現等々力不動尊の位置に全長57mの帆立貝式前方後円墳である御岳山古墳があり、更にその南東に狐塚古墳と八幡塚古墳の2基の円墳が連なっています。)
○御岳山古墳(等々力1-18)
都指定史跡 昭和55年2月21日指定
世田谷区等々力1丁目18番(古墳には入れません)。時代:古墳時代中期(約1,550年前)。交通:大井町線等々力駅下車 徒歩10分。御岳山古墳は、国分寺崖線上の高台、上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群のなかの1基で、全長54メートル、後円部直径40メートル、高さ7メートルで、野毛大塚古墳に次ぐ規模をもった大型の帆立貝形古墳です。(city.setagaya)
○狐塚古墳(尾山台2-17)
東京都世田谷区尾山台二丁目にある古墳(円墳または造出部付円墳、帆立貝式古墳の可能性あり)、史跡指定はされていない(Wikipedia)
狐塚古墳緑地は、景観形成、都市環境・自然環境の保全、防災機能向上を図るとともに、区の歴史的な埋蔵文化財である狐塚古墳を保全することを目的に整備しました。(city.setagaya)
◉田園調布古墳群
○亀甲山古墳 (田園調布1-12) (前出)
○宝莱山古墳(田園調布1-62)
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『秀樹杉松』95巻2634号 2018-7-17 / hideki-sansho.hatenablog.com #274
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