文京区内の坂を、坂学会坂リストで最終的にチェックしたら、4つの坂へ行っていないことが判明。早速巡って来ました。4坂のうち2坂は階段坂でした。文京区はこれにて「完了」となります。今日最初の「金魚坂」はとても面白かった。
坂標識はないが「金魚坂」という喫茶店があり、350年前に開店したという金魚店など、金魚一色でした。写真をご覧ください。昼前でしたが、もちろんこの金魚坂喫茶店で昼食とコーヒー。「残り物には福がある」といいますが、本当にいい坂といい喫茶店でした。 / Atelier秀樹
①金魚坂(きんぎょざか)(#839)
文京区本郷5丁目。本郷通りから菊坂通りに入って100mほどの所に,北に入る狭い路地が金魚坂。坂上の角に金魚商兼喫茶店「金魚坂」がある。北に向かって上る。45m。やや急な坂。直線で極く狭い,短い坂。
標識:坂の標識はないが,坂の途中に喫茶店“金魚坂”の看板が出ている。
→「珈琲・中国茶 金魚坂 御食事・葉巻」
この地で金魚の店を開店したのが350年前。店の横の路地が坂道であることから「金魚坂」と呼ばれるようになった。2003年ごろに喫茶店を併設して知られるようになった。
②新坂(しんざか)(#840)
別名:外記坂(げきざか)
文京区本郷1丁目。白山通り“壱岐坂下”交差点から南東に向かうと新壱岐坂だが,東に向かう狭い道に入ると 水道橋グランドホテル前でこの坂にぶつかる。東北東に上る。25m。急坂。階段。坂(階段)の途中に文京区が設置した標識がある。
→「新坂 しんざか (外記坂 げきざか) 区内には,新坂と呼ばれる坂が6つある。『東京案内』に,「壱岐坂の北にありて 小石川春日町に下る新坂といふ」とある。『江戸切絵図』(嘉永6年尾張屋清七板)によると,坂上北側に 内藤外記という旗本の大きな屋敷があり,ゲキサカとある。新坂というが,江戸時代からあった 古い坂である。
この坂の一帯は,もと御弓町(おゆみちょう),その後,弓町と呼ばれ,慶長・元和の頃(1600年ごろ) 御弓町の与力同心六組の屋敷がおかれ,的場で弓の稽古が行われた。明治の頃,石川啄木,斉藤緑雨,内藤鳴雪などの文人が住んだ。 東京都文京区教育委員会 昭和63年3月」
由来他:坂上に内藤外記という旗本の大きな屋敷があり,ゲキサカ(外記坂)と呼ばれる。新坂というは江戸時代からあった古い坂で,その名前の由来は不明。(標識より)
丸ノ内線「本郷三丁目」から「池袋」へ。池袋から有楽町線で「護国寺」へ。
③清戸坂(きよとざか)(#841)
別名:清土坂(せいどざか)
文京区設置の標識
東京都設置の標識
文京区目白台2丁目。目白通りの“目白台2丁目”交差点から 北東に向かう道路。南西に向かって上り。310m。緩やか。直線状。
この坂の標識は,文京区の建てたものと 東京都が建てたものと 2つある。珍しい現象である。
[文京区が設置した標識]
清戸坂 (きよとざか) (清土[せいど]坂) 延宝4年(1676年),御三家 尾張徳川家の御鷹場が 中清戸(現 清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から 目白通りに向かっての広い道は,昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。
江戸時代,この坂の北側一帯は,雑司ケ谷村の畑(現在の雑司ケ谷墓地)で,坂の道に沿って 雑司ケ谷清土村百姓町があった。明治10年代から 坂の北側には牧場と牧舎が建ち,平田牧場と言った。牛乳を売る小売店があり,人々が休憩した。旗竿には,『官許の牛の乳』と仮名と,ローマ字で書かれていたという。 文京区教育委員会 昭和62年3月」
[東京都設置の標識]
清戸坂 きよとざか (せいどざか) 目白台上の目白通りは,江戸時代清戸道といった。中清戸(元清瀬市内)に御鷹場御殿があり,将軍が鷹狩に通う道が造られた。これが清戸道である。
この清戸道から護国寺に下るわき道が 清戸坂で,清戸道へ上る坂と坂名がつけられた。坂道の北側に,雑司谷清土村があったので,清土坂とも呼ばれた。
東京都 昭和58年3月
由来他:目白通りは,江戸時代“清戸道”といった。ここから護国寺に下るわき道が 清戸道へ上る坂ということで この坂名がつけられた。 (標識より)
命名時期:江戸時代
副都心線「雑司が谷」から「明治神宮前」へ。「明治神宮」から千代田線で「千駄木」へ。
④だんだん坂(#842)
文京区千駄木1丁目。藪下通りの汐見小学校の向い側を西に上る階段。西に向かって上り。25m。階段としては緩やか。直線の階段。標識なし。参考文献:「東京の階段 都市の『異空間』階段の楽しみ方」松本泰生 日本文芸社 2007
千代田線「千駄木」(ゴール)
………………………………………………………
<編註>
坂名、坂解説は「坂学会/東京の坂」sakagakkai,org 坂のプロフィール に依拠。坂名の直後の(#)は、坂めぐり累計の坂番号。写真撮影はAelier秀樹。
『秀樹杉松』101巻2748号 2018-12-14/hideki-sansho.hatenablog.com #388