今日の79回坂めぐりは、渋谷区代々木の「切通しの坂」と「日陰坂」だけです。坂数が少ないのは、まとまって存在しない場所だからです。そこで、本号の後半で紹介する私の坂(道)"研究"資料との関連で、5ヶ月前に行ってきた渋谷区恵比寿南の「観音坂」を再訪問しました。今日行ったのは、「新富士坂」としてもう一度見たくなったからです(詳しくは本文をどうぞ)。
今日のハイライトは、2回目の訪問となった「新富士坂 =観音坂」と"坂研究”資料です。ぜひお読みください。 / Atelier秀樹
バス停「初台坂上」
渋谷区代々木4丁目、山手通 (スタート)
①切通しの坂(きりとおしのさか)(#656)
渋谷区代々木4丁目。西参道通りの“代々木地域安全センター前”から首都高速道路の下をくぐると,右側に“立正寺”がある。この寺の前から 南西に向かって下る坂が「切り通しの坂」。下りきった先は 再び上り坂となる。北東に上る。150m。坂上方面はかなり急な坂。ほぼ直線。
坂上の立正寺前に黒い石製の標識が,坂下の交差点には古い木製の標識が建っている。
→「岸田劉正が描いた 切通しの坂 画家岸田劉正は,大正3年(1914)から 5年(1916)にかけて代々木に住んでいたので,このあたりを描写した作品がたくさんあります。そのうちの一点に,名作「切り通しの写生」(重要文化財)があり,大正4年(1915)に発表しました。 平成8年度 渋谷区教育委員会」
岸田劉正の作品『切り通しの写生』に描かれた坂道なので,この坂名になった(標識より)。現在この坂の両側はマンションが建ち並んでいて「切り通し」にはなっていないが,マンションの谷間のようで,現代風「切り通し」の坂。
立正寺
新宿区代々木4丁目。法華宗本門流寺院。
立正寺前の
岸田劉正が描いた「切通しの坂」の標識
高野辰之住居跡
渋谷区代々木3丁目。下調べ段階では知らなかった。今日の思わぬ収穫。唱歌「春の小川」や「おぼろ月夜」などの作詞で有名。
②日陰坂(ひかげざか)(#657)
渋谷区代々木5丁目。(編注:代々木1丁目の誤植?)。明治神宮の宝物殿北裏。東海大学付属病院付近から首都高4号線沿いに北西に上る。西北西に向かって上る。170m。緩やか。直線。坂下部で左に曲がりながら下る。標識なし。
市中から甲州街道へつながる裏街道で,樹木が生い茂り薄暗い日陰の坂だった。江戸幕府の煙硝蔵(火薬庫)から煙硝を運ぶ荷車がこの坂を通って甲州街道へと往復していた。(「渋谷の坂」より)
代々木駅からJRで恵比寿駅へ、
恵比寿駅下車、新富士坂(観音坂) へ
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◉新富士坂 (観音坂)
坂名「観音坂」の由来となった馬頭観世音。↑
第38回坂めぐり(2018-4-16)で既に、「観音坂」として行ってます。同日付の本ブログにアップ済みです。
今日は坂数が少ない(切通しの坂・日陰坂の2つだけ)ので、ちょっと離れた新富士坂=観音坂を再訪しました。その理由は、今日は坂めぐりに加えて「坂名と別名」「坂学会と日本坂道学会」「東京23区内の坂(道)の統計」などを取り上げるので、その一環として「新富士坂=観音坂」の例を持ち出すことにしたからです。
なお当然のことですが、2回目ですので、今日の坂めぐりの数には計上しません。前回は「観音坂」ですが、今回は「新富士坂」として、同じ坂を2回歩いたことになります。再会できて嬉しかった。せっかくの再訪ですので、写真をまた撮ってきたので再度アップしました(上掲)。どうぞ、ご覧ください。
恵比寿駅から渋谷駅へ(ゴール)
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<第二部 坂(道)に関する“研究”資料>
坂めぐりとそれに関連する調査などを私なりに重ねてきたので、ささやかではあるが“研究”も進んでいます。今日は坂数も少なかったので、その一部を紹介します。
1) 坂名と別名 / 坂学会と日本坂道学会
【観音坂と新富士坂】(渋谷区恵比寿3丁目)
渋谷区内の坂を調べていたら、恵比寿南3丁目にある坂の名称で、偶然気がついたことがあります。坂学会リストでは「新富士坂」とあるが、日本坂道学会リストでは「観音坂」となっている。一つの坂に複数の坂名があるケースで、どれを「坂名」、どれを「別名」とするかで「坂名」が異なる例です。
坂学会 = 新富士坂(別名:中山坂、観音坂)
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では両学会のHPを具体的にのぞいてみます。
◉坂学会/東京23区の坂
新富士坂 【別名】中山坂、観音坂
渋谷区恵比寿南3丁目。“恵比寿南三丁目”交差点から南西方向に向かい,渋谷区と目黒区の区境付近まで。坂の標識はない。
坂上のマンション“テラス恵比寿丘の上”の前に「目黒の“新富士”と新富士遺跡」という説明板が建っている。
「この辺りは, 昔から富士の眺めが素晴らしい景勝地として知られたところ。江戸後期には,えぞ・千島を探検した幕臣近藤重蔵が, この付近の高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造, 目切坂上の目黒“元富士”に対し,こちらは“新富士”の名で呼ばれ, 大勢の見物人で賑わった。平成3年秋, この近くで新富士ゆかりの地下式遺構が発見された。 遺構の奥からは石の祠や御神体と思われる大日如来像なども出土。調査の結果, 遺構は富士講の信者たちが新富士を模して地下に造った物とわかり「新富士遺跡」と名づけられた。 今は再び埋め戻されて地中に静かに眠る。 」
この坂道を上りつめた地点に新富士があったところから「新富士坂」の坂名がつけられた。(「渋谷の坂」より)
明治時代 この辺りは火薬製造所であった。江戸期は将軍家の狩猟地で,庶民の近づけぬお留め山で,この管理をしていた中山間右衛門の屋敷がこの街道沿いにあったことから「中山坂」と呼ばれるようになった。(「東京の坂風情」より)。また「観音坂」の名は,坂の途中に馬頭観世音像があることによる。
参考文献:「渋谷の坂」白根記念郷土文化館編 渋谷区教育委員会 1985。/ 「東京の坂風情」道家剛三郎 東京図書出版会
写真撮影:2012年
<編注>上掲の写真「目黒の“新富士”と新富士遺跡」をご覧ください。
◉東京23区の坂道 / 日本坂道学会 tokyosaka.sakura.ne.jp
観音坂[新富士坂]
【標識なし】坂上近くに馬頭観世音があります。観音坂の名はこれに由来します。
→観音坂のページ
【この坂について】
渋谷区恵比寿南3丁目交差点から南西に向かって上り、さらに途中南に曲がり登る坂道です。
「散策ガイド『えびす』」(平成11年に行われた渋谷区立上原社会教育館・渋谷区郷土博物館等開設準備会共済の講座「渋谷の街を知る」の受講生が作成)には、「坂の途中に馬頭観世音像があることによる。昔は新富士坂といった。・・・」とあります。
また、東京都渋谷区立白根記念郷土記念館『渋谷の坂』(昭和60年)は、「新富士坂」の説明として、「恵比寿3丁目11番にある道しるべまえの5差路から、別所坂に向かって上る坂道である。この坂道を上りつめた地点に、新富士があったところから、この坂名がつけられた。」とあります。
馬頭観世音の標識(渋谷区教育委員会設置)には、
「このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(一七一九)年。このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が馬頭観音に祈って悪病を退散させました。その御礼に石で観音をつくり。祐天寺の祐海上人に加持祈祷を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程に安置した、と伝えています。そして村の人は毎年二回、百万遍念佛を唱え祈願したので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです。
この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂をおりると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には、庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。」とあります。
なお、「新富士」は、坂上の現KDDI研究所の地(目黒区別所坂の上)に,江戸時代にあった近藤重蔵の邸跡にあった築山のことですが、昭和34年に取り壊されました(渋谷区教育委員会『渋谷区史跡散歩地図第3集』)。
写真撮影:2003年
<編注>上掲の写真「馬頭観世音」をご覧ください。
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<編注>
以上でお分かりのように、坂学会は「この坂道を上りつめた地点に新富士があったところから『新富士坂』の坂名がつけられた。(「渋谷の坂」より)」に拠って、「新富士坂」を坂名とし、観音坂と中山坂を別名としている。
これに対し日本坂道学会は、「坂の途中に馬頭観世音像があることによる。昔は新富士坂といった。・・・」に拠り、「観音坂」を坂名とし、新富士坂を別名としている。
私の坂めぐりの経験に照らせば、複数の坂名を有する坂は少なくない。だが、大概の場合は、「坂名」と「別名」では、甲乙がはっきりしているケースが多い。この例のように、視点の違いで坂名が異なるのはレアケースのようではある。なお、両サイトにおいて、「別名」の由来も丁寧に説明されています。
この坂には標識がありません。設置するとしたら、坂名を「新富士見坂」「観音坂」のどちらにする?由緒ある坂ですので、できれば標識を設置して欲しいのですが。
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2) 東京23区内の坂数
坂自体は無数に?あるが、坂学会と日本坂道学会の坂リストに坂名があるものに限ると、9月8日現在の東京23区の坂数は以下のようになります。(両学会の坂リストを基に、Atelier秀樹が整理集計しました)
坂学会 日本坂道学会
港 区 130 118
文京区 127 117
新宿区 114 91
板橋区 67 66
千代田区 66 63
北 区 62 53
世田谷区 58 29
大田区 55 51
杉並区 48 11
目黒区 47 39
渋谷区 40 34
品川区 27 24
台東区 25 21
豊島区 19 13
練馬区 17 7
中野区 12 3
荒川区 10 10
墨田区 3 1
足立区 2 2
江東区 2 0
江戸川区 0 0
葛飾区 0 0
中央区 0 0
23区合計 931 753
(消滅坂24含む) (含まない)
<編注>
1)これまで何回か言及したように、坂(道)は当然山の手に多く、海が近い下町方面に少ない。上記の一覧表で明らかなように、ベスト3の港区・文京区・新宿区は断然多く、100坂を上回っています。
2)これに比べて、墨田区・足立区・江東区の3区は辛うじて一桁で、江戸川区・葛飾区・中央区の3区はゼロ坂です。
3)両学会の坂数の差が実質150ぐらいあるが、その事由は杉並区37、世田谷区29、新宿区23、港区12、文京区10、練馬区10など、6区の差が大きいからで、他の多くの区では小差です。
4)因みに、『秀樹杉松』がこれまで巡った坂数の合計は、今日まで79回で657坂を数えています。最終的には、700坂を越えるかも知れません。
5)いよいよ先が見えてきたようです。慎重に、そしてじっくり楽しみながら、この後も坂めぐり続けたいと思っています。
<編注>
坂名および坂の解説は、
「坂学会/東京23区の坂」sakagakkai.orgに依拠。坂名直後の(#〇〇)は『秀樹杉松』坂めぐりの通算坂数。写真撮影はAtelier秀樹。この2680号で97巻は終わり、次の2681号から98巻が始まります。
『秀樹杉松』97巻2680号 2018-9-16 / hideki-sansho.hatenablog.com #320