今日行った新宿区の坂は、以前巡った坂(円通寺坂、東福院坂、観音坂、鉄砲坂etc.)の近辺で、いわば「落ち穂拾い」です。天気予報だと「80%雨」なので予定してなかったが、午前中はもちそうだと誰かが話していたので、それではと急遽出かけました。でもやはり10寺過ぎには雨に降られました。なんとか巡ってきましたので、ご覧ください。坂数は5つだけですが、けっこう内容はありますので。/ Atelier秀樹
前回(一昨日)の坂めぐりでは、新宿区愛住町の暗坂(暗闇坂)(くらやみざか)を訪れましたが、今日は800mぐらいしか離れていない須賀町の闇坂(くらやみざか)へ行ってきました。前回も書いたように、二つの坂は共に昼なお暗い「くらやみざか」ですが、漢字は「暗坂(暗闇坂)」と「闇坂」が充てられています。私が実際に歩いて見た感じでは、昔はおそらく、「真っ暗坂」「怖い坂」だったと思います。しかも、暗いだけではなく、すごく細い道でしかもとて急な坂道ですから。
もう一つ書きたいことがあります。前回は昔の「四谷北寺町」(今の愛住町)でしたが、今回は「四谷南寺町」(今の須賀町)に行ってきたことです。なるたけ多くの寺の写真を撮りたかったですが、ちょうど降り出した突然の雨で苦労しました。


新宿区須賀町。須賀神社の主参道。須賀神社女坂と平行している。坂下に東福院坂が見える。北北東に向かって上る。25m。急な石段。約60段の直登する階段。途中2ヶ所に踊り場がある。標識なし。
他の神社と同様,傾斜のきつい主参道の坂を男坂,傾斜のゆるい坂が女坂と呼ばれる。須賀神社男坂・女坂は坂の長さがほとんど同じで,高低差もほぼ同じ。したがって傾斜も変わらない。
参考文献:「今昔東京の坂」岡崎清記 日本交通公社刊 1981
②須賀神社女坂(すがじんじゃおんなざか)(#675)
写真もう一枚撮ったはずですが、写ってませんでした。
新宿区須賀町と若葉2丁目の間。須賀神社境内から妙光寺入口に向かって下る階段。途中に踊り場があり,小さなクランク状に曲がる。南南西に向かって上る。25m。急な階段。比較的幅の広い階段。途中の踊り場で分断され,食い違い坂になっている。標識なし。
他の神社と同様,傾斜のきつい主参道の坂を男坂と呼ぶのに対して,傾斜のゆるい坂が女坂と呼ばれる。しかし,須賀神社男坂・女坂は坂の長さがほとんど同じで,高低差も同じ。したがって傾斜もあまり変わらない。
江戸初期より四谷の地に鎮座。四谷十八箇町の総鎮守。


<四谷南寺町(今の須賀町)のお寺>



妙光寺 勝興寺 松巖寺



③闇坂(くらやみざか)(#676)
~別名:乞食坂(こじきざか)、茶の木坂(ちゃのきざか)


新宿区須賀町。外苑東通りの“左門町”交差点から 狭い道を東に200m入り 南に曲がる。永心寺と松嚴寺の間を通る路地。北に向かって上り。75m。かなり急坂。直線の狭く短い坂。
坂上と坂下に新宿区が設置した標識がある。
→「闇坂 くらやみざか この坂の左右にある松厳寺と永心寺の樹木が繁り,薄暗い坂であったためこう呼ばれたという。また,松厳寺の俗称が茶の木寺であるため,茶の木坂とも呼ばれた。 平成七年八月 新宿区教育委員会」
闇坂は「くらやみざか」と読む。新宿区内には 他に「暗坂(くらやみざか)」があり, 他の区にも 同じ読み方の坂が多数あって まぎらわしい。
<編注1>前回は新宿区愛住町の「暗坂(暗闇坂)」へ行きましたが、今日はそこから800mぐらいしか離れていない同区須賀町の「闇坂」へ行ってきました。二つの坂は「暗坂(暗闇坂)」と「闇坂」と漢字表記は微妙に違いますが、どちらも「くらやみざか」と読むので、非常にややこしいです。
<編注2>四谷南寺町
明治11年11月、郡区町村編制法により「四谷区」と「四谷南寺町」が誕生。昭和18年7月、四谷南寺町が「須賀町」と改称。江戸城の外堀工事で集められたというお寺でいっぱい。
前回の「暗坂=暗闇坂」のある愛住町は四谷北寺町、今日行った「闇坂」のある須賀町は四谷南寺町。
④新助坂(しんすけざか)(#677)


新宿区南元町。信濃町ビルから東の出羽坂に抜ける道の途中から,南の中央線線路に向かって下る。北に向かって上り。90m。急坂。直線。
坂上に新宿区が設置した標識がある。
→「新助坂 しんすけざか 信濃町と南元町5・6番地の間を南へくだる 急な坂である。昔このあたりに 新助という人が住んでいたことから 新助坂と称した。新選東京名所図会に 「新助坂は,四谷信濃町に上がるなり,一名をスベリ坂ともいう。坂の下には甲武鉄道トンネル門あり」と記している。 平成元年三月 東京都新宿区教育委員会」
⑤千日坂(せんにちざか)(#678)


新宿区南元町。JR信濃町から一行院の横を通って千日谷に下りる坂。北北西に向かって上る。100m。やや急な坂。高速道路(出入口)の下を通り,ゆるく“く”の字状に曲がる。
坂下に新宿区が設置した標識がある。
→「千日坂 せんにちざか この坂下の低地は, 一行院千日寺があるため千日谷と呼ばれた(「紫の一本」)。 坂名も千日寺に因んで名づけられたと考えられる。なお,かつての千日坂は消滅し,現在の千日坂は それと前後して造られたいわば新千日坂である。 平成二十四年一月 新宿区」
坂道の脇に“千日谷会堂”という立派な建物がある。一行院千日寺の施設。
一行院(永固山一行院千日寺) 新宿区南元町にある浄土宗の寺院。
千日谷会堂 1962年に千日谷会堂が完成。


<編注>坂名と坂解説は
「坂学会/東京23区の坂 sakagakkai.org」に依拠。
坂名の直後の(#〇〇)は、『秀樹杉松』坂めぐりのこれまでの通算坂数。
写真撮影はAtelier秀樹。
『秀樹杉松』98巻2688号 2018-9-25 / hideki-sansho.hatenablog.com #328