『秀樹杉松』坂めぐり(第87回=2018-10-3=新宿区弁天町、南榎町、矢来町、天神町、赤城元町、筑土町、東五軒町、白銀町、神楽坂、筑土八幡町)~滝の坂、比丘尼坂、朧の坂、赤城坂、相生坂、瓢箪坂、御殿坂、芥坂(筑土)。~大願寺、善国寺、赤城神社、白銀公園、筑土八幡神社。
<700坂をめぐりました>
新宿区内の坂も残り少なくなったので、今日は牛込方面の坂を巡ってきました。今日の8坂をもって、『秀樹杉松』坂めぐりの坂数は、合計で700坂を記録しました。新宿区はあと1回で終わりますが、その後 千代田区、文京区、豊島区、北区、板橋区の残りの坂も巡ります。この調子だと、800坂に届くかもしれません。因みに、「坂学会/東京23区の坂」収録は931坂、「日本坂道学会」の「 東京23区の坂道」収録の坂数は753坂です。(2018.9.8現在)
(註)両学会の坂数の単純比較はできません。坂学会の坂には消滅した坂、痕迹坂なども含まれ、いわば“坂総覧”と言えますが、日本坂道学会の坂は実際に歩いて写真を撮ったものに限られている。それと、やはり「坂学会」が先輩格のようです。私は途中から「坂学会」に依拠しましたので、巡った坂数が「日本坂道学会」の753を超えるのは不思議でないのです.....。
今日のハイライトは、「相生坂」でしょう。
詳しくは本文に譲りますが、Wikipediaによると、「相生(あいおい、そうしょう、そうせい)=2本以上の木が同じ根から生え出ていること。特に相生の松。転じて、夫婦が仲睦まじいこと。また、「相老」とかけて、夫婦が共に長生きすること。」とあります。
この「相生坂」は50m離れて東と西に仲良く並んでいますが、地図帳には片方(東)しか坂名が載っていなかったので、11ヶ月前に私が行った時は、もう一方(西)の坂は歩きませんでした。「坂学会」資料によって、「相生坂」の名称の通り2坂あることを知り、今日両坂を歩いてきました。当然ですが、東の「相生坂」は2回目になるので、今日の坂めぐりの回数にはいれません。
牛込、神楽坂方面の坂をどうぞご覧ください。/ Atelier秀樹
①滝の坂(たきのさか)(#693)
新宿区弁天町と南榎町の間。早稲田通りから,南榎町と弁天町の境界を南に入り,大願寺付近まで。南に向かって上り。160m。やや急な坂。わずかに“く”の字に曲がる。標識なし。
坂上の大願寺近くに若狭小浜藩主酒井若狭守の上屋敷があり,邸内の池からの流水が西方の大きな瓢箪池に小滝となって流れおちていた。坂名はそれに因る。(「今昔東京の坂」より)
大願寺(だいがんじ)
新宿区弁天町。滝の坂の東側。
②比丘尼坂(びくにざか)(#694)
新宿区矢来町と天神町の間。早稲田通りから中里町に向かって下る。南南西に向かって上り。110m。緩やか。中間で小さくクランク状に曲がる。標識なし。
坂下の標柱には,このあたりに比丘尼が住んでいたという。比丘尼姿の私娼が住んでいたの ではないかとの説もあるが,とくに根拠はない。(「東京の坂風情」より)。また,いくつかの文献によると,かつては坂下に標識があったといわれるが,現在は存在しない。
<編注>
すごい急な石坂でした。車、自転車は使えず、しかも手摺に捕まらないと上り下りできないので、住民には不便で危険な階段ですが、なんとか保存できないものかと思いました。以前あった標識が現存しない(上掲の解説)ことの意味を考えました。
③朧の坂(おぼろのさか)(#695)
新宿区矢来町。早稲田通り,地下鉄神楽坂駅から北に下る狭い坂。南南西に向かって上り。40m。かなり急坂。道幅は狭く,直線の短い坂。標識なし。神楽坂・善国寺前に設置されている案内地図に「おぼろの坂」が記載されている。
<編注>
「比丘尼坂」、「朧坂」は坂名はあっても標識がないので、住民は坂名を知らないようでした。坂名を教えたら「どうも有難う」と感謝されました。やはり、なんらかの「標識」は必要なんでしょうね。
④赤城坂(あかぎざか)(#696)
新宿区赤城元町から築地町まで。赤城神社のすぐ西側に,北と西に向かって下る2つの坂道があるが,北に向う急な坂とそれにつながる南に上る坂が赤城坂。南に向かって上る。140m。坂下側は急な坂。坂上から直線的に北に下り,途中で10mほど西にずれて再び北に下る。
坂途中に新宿区が設置した標識がある。
→「赤城坂 あかぎざか 赤城神社のそばにあるのでこの名がある。『新撰東京名所図絵』によれば,『・・・俊悪にして車通ずべからず・・・』とあり、かなりきつい坂だった当時の様子がしのばれる。 平成十三年三月 東京都新宿区教育委員会」
赤城神社(あかぎじんじゃ)
新宿区赤城元町。赤城坂の東側。
◉相生坂 (東側)(あいおいざか) <再訪につき、坂数カウントせず>
新宿区東五軒町と白銀町の間。
相生坂は 東西2つの“双子の坂”。筑土八幡町と東五軒町の境界の通りを西に進み,ゼブラ社ビルの前で 南に折れると 東側の相生坂。東側の坂と約50m西にもう一つの坂(西側の相生坂)がある。南南西に向かって上り。いずれの坂も約100m。やや急坂。並行する2本の坂。
標識:「相生坂 あいおいざか 『続江戸砂子』によると「相生坂,小日向馬場のうえ五軒町の坂なり。二つ並びたるゆえの名也という」とある。平成二年三月 新宿区教育委員会」
2つ並んでいるためについた名前(標識より)
<編注>
この「相生坂」は東西に隣接した“双子の坂”であることが、今回の調査で分かりました。そして、東側の「相生坂」には第11回(2017-12-9)、有名な「神楽坂」「浄瑠璃坂」などの17坂めぐりの時に行っていることも確認できました。つまり、東側の「相生坂」は2回目と言うことになりました。
今その日のブログ<坂めぐり>を開いたら、写真が2枚載っているだけです。坂めぐりを始めた頃は、今のように「坂学会」の資料は参照せず、手元の「地図帳に坂名が載っている坂』を歩き、写真を撮るだけでした。地図には東側の坂しか載ってないので、西側の坂の存在は知らなかったのです。
という次第で、今日は両方の坂を歩きましたが、東坂は再訪となるので、当然今日の坂めぐりの数には勘定しません。ただし、11ヶ月前のブログには無い「坂学会」資料による坂解説の文章を掲載します。また写真は今日も撮ってきたので、懐かしいので再掲します。ご覧ください。
⑤相生坂 (西側)(あいおいざか)(#697)
~別名:白銀坂(しろがねざか)、鼓坂(つづみざか)。
赤城元町と東五軒町の間。東側の坂と約50m西にもう一つの坂 (西側の相生坂) がある。
標識:「相生坂 あいおいざか 『続江戸砂子』によると「相生坂,小日向馬場のうえ五軒町の坂なり。二つ並びたるゆえの名也という」とある。 平成二年三月 新宿区教育委員会」
また『新撰江戸誌』では 鼓坂 とみえ「二つありてつづみのごとし」とある。
<編注>この西側の「相生坂」には、「白銀坂(しろがねざか)」「鼓(つづみざか)坂」の別名があります。
白銀公園
新宿区白銀町。西側の「相生坂」の別名「白銀坂」は、この地名から?
⑥瓢箪坂(ひょうたんざか)(#698)
新宿区白銀町と神楽坂6丁目の間。白銀公園の南端から南東に向かう狭い道。北西に向かって上る。40m。緩やか。ほぼ直線の短い坂。
坂の途中に新宿区が設置した標識がある。
→「瓢箪坂 ひょうたんざか 坂の途中がくびれているため, その形から瓢箪坂と呼ばれるようになったのであろう。 平成二十一年十二月 新宿区」
⑦御殿坂(ごてんざか)(#699)
新宿区筑土八幡町。大久保通りの“筑土八幡町”交差点から100mほど西を北に入り,東五軒町の方に向かう道。北に上る。60m。やや急な坂。ゆるく逆“く”の字に曲がりながら上る。
坂上に新宿区が設置した標識がある。
→「御殿坂 ごてんざか 江戸時代,筑土八幡神社の西側は御殿山と呼ばれ(『御府内備考』),寛永のころ(1624~44),三代将軍家光が鷹狩りの祭に仮御殿を設けたという(江戸名所図会』)。坂名は御殿山に因む(『新鮮東京名所図会』)」
筑土八幡神社(つくとはちまんじんじゃ)
筑土八幡町。「芥坂」の南。
⑧芥坂(ごみざか)(筑土)(#700)
新宿区筑土八幡町。筑土八幡神社の裏手。御殿坂の坂上の少し先から 北に向かって下る坂。南に上る。65m。部分的にかなり急坂。ゆるく逆“く”の字に曲がる。
標識なし。ゴミ坂は江戸諸坂のなかで多くその名がある。一般に裏町的で淋しく,現今でも取り残された感じの場所である。4-50年前まではたしかにゴミ捨場であったり,その集積場所であった。(「東京の坂風情」より)
<編注>
「芥坂」は、次回予定の、同じ新宿区の市ヶ谷鷹匠町(この筑土八幡町から約1キロ南西)にもあります。
<参考>神楽坂の「善国寺」前にある案内地図
いつ頃作成されたのかわかりませんが、近辺の坂名も記載されています。肉眼で見るのは大変ですが、道路が網羅されており、坂名が大きめに書かれています。
見本に「芥坂」の箇所を拡大しましたので、ご覧ください。貴重な地図だと思いますので、今風に再生して保存して欲しいです。
拡大すると、「芥坂」「筑土八幡神社」などがハッキリ見えます。
<編注>坂名と坂解説は、
「坂学会/東京23区の坂」sakagakkai.org に依拠。
坂名直後の(#〇〇)は『秀樹杉松』坂めぐりの合計坂数。今日の「芥坂」で巡った坂数は700に達しました。
写真撮影はAtelier秀樹。
『秀樹杉松』98巻2694号 2018-10-3 / hideki-sansho.hatenablog.com #334