福山英樹の半生 (3) イズナ事件 ~ 深刻だった村八分と虐め/農村の封建社会がもたらした悲劇 ~
【編集注記】
本項福山英樹の半生(3)にイズナ事件を持ってきました。この「イズナ事件」は『子供の頃の想い出』の第四部として、12年前の2007年(平成19年)に執筆したものです。
東北地方の小集落を震撼させた“村八分”社会的騒擾事件です。英樹の実家が攻撃の的とされ、直接的には、祖父があらぬ中傷を受け、孫の英樹が一年上の(かつての)仲良しグループから深刻な“虐め”を受けました。「イズナ事件」はそのドキュメントです。どうぞお読みください。
本ブログ「イズナ事件」を、60年前に永眠した祖父、30年前に世を去った父に、捧げます。 / Atelier秀樹
(写真撮影:Atelier秀樹)
なお、『子供の頃の想い出』に書いた「イズナ事件」の内容を、今回のブログアップに際し、縮小・修正しました。スペースの関係もありますが、この事件の重大性に鑑みた、編集上の配慮も加えたからです。
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福山英樹の半生【第3章】イズナ事件
〜『子供の頃の想い出』【第四部】イズナ事件~深刻だった
“村八分”と“いじめ”/農村の封建社会がもたらした悲劇~ から〜
「イズナ(エジナ)事件」は、英樹の生涯に残る大きな出来事であり、忘れようにも絶対に忘れられない。
かつてNHKの連続ラジオドラマ『君の名は』で、“忘却とは、忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う、心の悲しさよ”の、泣かせる名文句があった。このイズナ問題は、忘却を誓う必要もないし、
忘れることが不可能な歴史的な大事件だ。
この事件を大学の卒業論文にしようか、と学生時代に思ったこともあった。また定年退職後は、「小説に書きたい」と真剣に考えたこともウソではない。だが結局は多忙に紛れて、ついに何もせぬ間に時は流れた。
今回、英樹が幼き頃の想い出を綴って見ようかと思い立ったのも、直接の契機はその辺にあるような気がする。少しでもよいから何かを書き留めたい、との思いからだ。
それでも英樹の常なる関心事だったから、父や兄などから詳細を聴きだしており、時代の流れや事の本質はしっかり把握している。あらぬ噂を振りまかれ、攻撃の的にされた祖父の無念は、想像をこえるものだったと思う。今でいう「プレッシャー」は測り知れない。温厚で人格者の祖父は平然としている様に、英樹には見えた。
この騒動・事件では、直接のターゲットとなった祖父と、深刻なイジメを受けた孫・英樹(ヒデ)が、直接的な被害者だった。
だからこそ、孫がこの歴史的な事件の検証にタッチすることを、祖父は許してくれると思う。むしろ「ありがとう!」と言ってくれるだろう。祖父と孫の信頼関係は、それほど厚くて深いと信じている。それが、可愛がってくれた祖父に対する「お礼」だと思う。
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さて、事の発端は、上野原集落で若い娘が相次いで死亡したことだった。今から思えば明らかに伝染病であったが、当時は医者も近くにおらず、迷信の「いたこ(巫女)信仰」が残っていたので、変なことになってしまった。
集落の中には、病人が出ると、真っ先にイタコ(巫女)に診て貰う人が多かった。イタコは、病気になったのは、イズナ(飯綱)がついたからだ、イズナは水には弱いから水をかけて退治しろ、箒で叩いてイズナ(小動物)を追い払え、などの「お告げ」をしたものだ。
「いたこのお告げ」を信じている集落民は、これを真に受け、イズナを追い払うために、瀕死の状態で床に臥せている病人の頭に盥(たらい)一杯の水をかけり、棒や箒で病人の身体を叩き回ったそうだ。
こんな事をしたら、治る病気も治る筈がなく、若い娘たちが次々に死んでいった。この現象を利用して、「イズナを飼っているのは、〇〇だ」との口コミが意図的に流されたのだった。〇〇は英樹の祖父だ、これが「イズな事件」の発端だ。
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念のためインターネットで調べると、「怪異・妖怪伝承データ・ベース」や「フリー百科事典“ウィキペディア(Wikipedia)」に出てくる。それには次のように書かれている。
①イズナはエジナともいう ②人間に憑(つ)くといわれる妖獣で、狐憑き(きつねつき:狐の霊につかれる)の一種。体長9~12cm位のイタチのような小動物 ③民間宗教家のような特殊な人間の命令で動く。④イズナを使役する者を「イズナ使い」といい、操る方法を「イズナの術」という。・・・・。
イズナのことを、キヅネッコ(狐)とも言った。狐が人に憑(つ)くのは迷信だと思う人でも、伝染病が流行したりすると、イズナは本当にいるのではないか、と思ったようだ。
今なら信じられないことだが、戦前・戦時中はいまだ封建社会だったので、そうした非科学的な民間信仰がはびこっていた。
イタコに来て貰って、死んだ人の語りを聞くなどした家もあり、遅れた田舎の小集落では当時はバカにできない影響をもっていた。
旧南部藩は彼らの活動舞台だった。だからイズナ騒動は連中の「飯の足し」みたいなものだった。迷信であることを承知の上で、そうした「お告げ」をしていたのではないか、とさえ思われた。迷信がなくなったら“メシの食い上げ”になるから、無知の集落民に対して、日頃から懸命の「布教」活動をしたようだ。
イズナは実在しない“想像上の怪獣”に過ぎず、「イズナ憑き」は遅れた封建社会の完全な迷信であった。
しかし当時は、これを信じた人が結構いたのだ。今のように医者にかかって正しい治療を受けずに、死んでいった人が沢山いた。それだけで済めば、その時代の寒村集落で起きた悲しい物語、として記録されるだけだった。
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だが、事態は思わぬ方向に発展した。いや、
誰かの策謀で、一つの方向に持って行かれたから堪らない。
「〇〇(英樹の祖父)がイズナを飼っていて、集落中にイズナを放ち、憑けまわっている」と誰かが言いふらし、それがいつの間にか集落中に広まり、殆どの人はそう思いこんだ。「〇〇家はイズナ持ち」と中傷された。
その噂を言いふらし、騒動を煽ったのは、上野原集落の総元締めの“大家”であることは、はっきりしていた。当時の集落では、大家は神様みたいだったので、その親戚筋や食わしても貰っている小作人達を中心に、〇〇家に対する嫌がらせ、祖父に対する中傷・人身攻撃が繰り広げられた。
大家の走狗となって集落内で中心的に踊ったのは、大家の分家らであった。驚くべきことに、
その中心メンバーは本ブログ前々号(英樹の半生No.1)に書いた、六助(ロク)、弥四郎(シロー)の父親達だったのである !
親の意向を受けて、ロクとシローは1年下の英樹を虐めた。遊び友達のイシタやタケシも、積極的ではなかったが、ロクやシローに従って英樹へのイジメに加担した。
英樹は遊び仲間から外されただけでなく、暴力的なイジメも受けた。
学校の帰りに、「イズナ持ち!」とか何とか言って、突然英樹に背後から襲いかかり、崖から突き落としたこともあった。死ぬかと思うほど、痛くて恐かった。
また、学校の講堂で、朝礼が終わって先生が居なくなった瞬間、突然背後から英樹を押し倒し、何人もが上から乗っかかり、潰しにかかった。胸や腹を圧迫された英樹は、苦しさのあまり嘔吐した。
まさに“陰に陽に”毎日いじめられた。国民学校(今の小学校)に入る前や入学当初は仲のよい遊び友達だったのが、イズナ騒動が発生してからは、突如イジメの加害者に変貌したのである。可愛がっていた秀樹を、突然いじめ出したのでした。
昨今「イジメ」問題が報じられる度に、この苦い体験を想い出し、今は個人的な要素があるが、英樹の受けた集団イジメは、もっと根の深い社会的な問題の反映であったと見ている。
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イズナ問題を公然と象徴するような出来事が、ついに発生した。今でも鮮明に覚えている。頃は終戦の前年当たりだったろうか、台風か何かで暴風の真夜中、突如玄関を荒々しく開ける音と大きな怒声が聞こえた。一体何事だろうと皆が飛び起きてみたら、ロクの父親が、病床に臥している娘を抱きかかえて、怒鳴り込んできたのだった。
瀕死の病人を放り投げて、「イズナに憑かれたから、イズナ持ちの〇〇家に返しにきた」などとわめき散らした。大家の次男(分家)が公然と仕掛けた許し難い暴挙であり、もちろん父が抗議して追い帰した。
それまでは隠然とした中傷・人身攻撃・村八分、子供(英樹)へのイジメだったが、いよいよ英樹の家に殴り込みを駆けるところまでエスカレーとしたのだった。
更に許せないのは、悪天候の真夜中に病人を連れて来たのは、英樹の家に病気をうつすのを目的にした行為だった。この夜の出来事は、驚きと共に、しっかりとヒデの脳裏に焼き付けられている。
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事態を重く見た父は直ちに行動を開始し、集落全体の緊急集会を招集した。そして、
イズナなどを飼ってはおらず、それを憑け回っていることもない。イズナは迷信で、若い女性達が病気にかかって死んだのは、イズナ憑きではなく、おそらく伝染病と思われる。それを「イタコ」の言うとおりに、病人に水をかけたり、箒で叩いたりしたら病気が治るはずがない・・・・などと説いた。
子供の英樹は、もちろん会議のメンバーではなかったが、隣の部屋で様子をうかがっていた。集会の内容を詳しくは知らないが、その光景や漏れ聞こえてくる発言の大筋は把握できた。後刻あるいは後日、父や兄から詳しい話も聞いたので、真相を知っている。
上野原は遅れた集落ではあったが、父は役場公吏としての良識をわきまえていた。「大家」直系の一族は別として、中間的な部落民はイズナについては半信半疑だったが、何しろ「大家」の旗振りだから仕方なく従っていた。
心ある集落民は、そんなバカな話があるか、〇〇はそんな悪いことをする人ではない、第一イズナなんて見たこともない、などと思ったり話したりしていた。だが、それを表に出して「大家」批判をする人はもちろん居なかった。
この集落総会における、父の道理ある説得は効いたようである。ロクの父親の行動は許し難く、脅迫罪にも当たるので、本人の謝罪がなければ警察に訴えると論を進めた。
おそらく、仲介者もあったのでしょう、非常識な行動に出た本人が謝罪し、それを文書に認めて全体で確認した。
これによって、部落を震撼させたこの事件は一応落着した。
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イタコの言うことがいい加減なもので、イズナなどは存在しない。このことを子供ながら知っていたのは、実は英樹そのものだった。
シローの家でやはり娘さんが病気に罹り、イタコを呼んで診て貰った。ちょうどその時に、英樹はシローの家に遊びに行っていた。
イタコが外に出てきたと思ったら、目立たないようにポケットから縫いぐるみ(ネズミかイタチ風)を取りだして、縁側の下に置き、あたかも縁側の下にイズナが隠れていたように装った。
英樹はそれをこの眼でしっかりと目撃した。案の定、
その縫いぐるみをシローの父親に見せながら「縁側の下にイズナが隠れていた。だから、娘さんはイズナに憑かれた」などと、もっともらしく「お告げ」をした。
この話はもちろん、親兄弟には教えた。こうした実体験があったので、イズナは実在しない、イズナ憑きは完全な迷信であることを、英樹は確信していた。だから、イズナにからめて祖父を攻撃したり、孫の英樹を虐めたりするのに、心底から怒りを覚えていた。
なお、虐められたのは勿論英樹ばかりではなく、長兄、次兄そして従兄にまで及んだ。何と言っても、一番困り、苦しい思いをしたのは、英樹の大好きな“じいさま”だった祖父本人だったに違いない。
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ところで、祖父がどうして、こうしたウソでっち上げの攻撃の的にされたか。本人からは聞いたことがないが、父母や兄から詳しく聞いている。事柄の性格上、本項では詳述できないが、なんでも、借金・連帯保証人問題も絡んでいたようである。
しかし、これ以上に大きな政治的な背景があったように思われる。集落全体に睨みをきかせる「大家」系統の、政治的策謀も根底に流れていたと思われる。“独裁体制”を敷きたい大家としては、大家系統の一族郎党を踊らせ、イズナ問題を政略手段に使って、〇〇攻撃を仕掛けた。
これがイズナ事件の根元背景にある、と英樹は見ている。
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「太平洋戦争の評価は、後世の歴史家に委ねよ」と無責任なことを言う政治家もいるが、イズナ事件の分析・評価の仕事は、当事者・関係者が全員居なくなった現在、もはや誰にも出来ない。まして「後世」の人は何も分からない。ここはやはり、虐められた当事者であり、当時の生き証人の一人でもある英樹の出番だ。
一連の“イズナ事件”を題材に、短編小説を書こうと思い立ったのは、こうした歴史認識に基づいている。
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この事件・問題が片づいてからは、もちろんロクやシロー達との友情関係は回復し、今でも懐かしい幼な友達である。英樹が幼少の頃を回顧すれば、必ずこのイズナ事件がついて回る。一生忘れられない想い出であり、その後の生き方や考え方にも少なからず影響している。
大人になってからタマにしか故郷に行かないが、シロー君とゆっくり話したことがある。タケシ君は野原の住人なので、会った時は懐かしい昔話もする。祝儀だか不祝儀の席で、二人と酒を飲み交わしながら昔の想い出に浸ったが、
「イズナ事件」には触れたことはない。ロクや、イシタとは、野原を出てから会ったことがない。正直言って、ロクには余り会いたいと思わないが、イシタには会ってみたいと思っている。
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『秀樹杉松』109巻2916号 2019.8.26/ hideki-sansho.hatenablog.com #556