秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

福山英樹の半生(4)東北出身のコンプレックスと、「東北魂」のプライド

 

f:id:hideki-sansho:20190827100049j:plain
f:id:hideki-sansho:20190827100100j:plain

(写真撮影:Atelier秀樹)
 

福山英樹の半生(4)東北出身 

第4回は、英樹の東北出身にまつわることです。どうぞ、お読みください。/ Atelier秀樹

<小集落>

 英樹が生まれ育った田舎は、戸数が20戸余りの小さな集落であった。陸奥国南部藩に属した東北の寒村集落で、当時は部落と呼んだ。*注「部落」と言っても、いわゆる「被差別部落」ではなく、今でいう「集落」のことです。この集落は上・下(かみ・しも)からなり、両集落で一つの学区を構成していた。

 ..................................................

<コンプレックス>

 英樹は後年“青雲の志”を抱いて上京、東京の大学を卒業して、全国から集った英才たちと国の機関で働いたが、よく「出身地はどちらですか?」と聞かれた。大体は、「東北です」と答えた。「東北の何県?」と再質問されても、「北の方」と答えるにとどめることが多かった。 

 ”東北のチベット”と称される、自分の出身県を告げるのに躊躇したからであろうか。今で言うコンプレックス。しかし不思議なもので、聞かれもしないのに「高校は啄木、賢治と同窓だ」と自分から自慢げに話した。

 徳川幕府崩壊・明治維新に際し、権力を握った薩長戊辰戦争で東北地方を制覇し、東北を「一山三文」などと蔑視した。この歴史的事実は英樹にとって悔しいことで、薩長だけでなく西日本への対抗意識も生まれていた。そのせいか、職場でも何かしら関西勢への意識が働いたような気がする。

........................................................ 

<プライドと東北魂> 

 こうした一種のコンプレックスの反面、「後進県ではあるが、石川啄木宮沢賢治のような天才・秀才も輩出し、原敬はじめ総理大臣も何人か生まれているんだ鹿にされてたまるか!」という反発心と、粘り強く暖かい心をもつ東北魂も当然に持ちあわせていた。

 英樹の人生を振り返ってみると、「東北生まれの東京人」という意識が大きな支えになった。

 いろいろな困難に直面し、さまざまな試練を受けながらも、何とか今日までやって来られたのは、東北出身という強固な土台と、全国から英傑が集結する「日本の首都東京」が醸し出す、学問・知識・パワー・連帯精神の賜物である。

....................................... 

 その間病気にも罹り、苦労や悔しい思いもしたが、総じて、”我が人生に悔いな”と総括できるのは、何にもかえられない幸せだと言ってよいだろう。

 ..........................................

 あの3.11東日本大震災から3年半がたった。仮設住宅など未解決の問題が山積しているのに、憲法無視の「集団的自衛権」容認や、特定外国への挑発を繰り返し、逆に別の特定諸国を歴訪している現総理は、何県の出身だったかな

 ......................................................

 因みに、英樹と同郷出身の総理大臣には、原敬斎藤実、米内光政、東條英機鈴木善幸がいる。総理ではないが外相、内相、東京市長を務めた後藤新平もいる。陸軍大将、陸軍大臣だった板垣征四郎もそうです。

.......................................................... 

 郷土が誇る石川啄木宮沢賢治だけでなく、金田一京助大槻玄沢高野長英新渡戸稲造。芸能界では新沼謙治千昌夫長岡輝子村上弘明。野球界では、菊池雄星大谷翔平、銀次、(以下省略)

…………………………………………..

『秀樹杉松』109巻2917号 2019.8.27/ hideki-sansho.hatenablog.com #557