岩手県出身の内閣総理大臣は4~5人。都道府県別ではベスト3に入る?
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東北地方の東北部に位置する岩手県。自他ともに認める典型的な ”田舎”ですが、どうしてどうして、総理大臣が4~5人も出ているんですよ。この数は、日本で3位に入ります。ゼロの県が2桁もある中で。(私が岩手県出身だからというわけではないが)この際岩手県出身の総理大臣をご紹介します。
何年か前に調べた時は、岩手県出身の総理大臣は山口県に次ぐ2位の5人(原敬、斎藤實、米内光政、東條英機、鈴木善幸)でしたが、いつの間にか「東條英機」が東京に移り、岩手が4人に減っているのに驚きました。もう一つビックリしたのは、岩手県の5人よりも下位だった東京が、2桁に増えてトップに躍り出ていることです。
地方出身の親から東京で生まれた場合は地方出身扱いが普通でしたが、「出身地」(「出生地」よりも「出身地」)の考えが強まり、結果として「東京出身」が増えたようです。「東條英機」もそのケースでしょう。
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つまり、出身地(本籍)は岩手県だが出生地は東京。そのため、岩手出身だったのを東京出身扱いにするようになったようです。それと、A級戦犯として絞首刑になった東條から岩手県民の心が離れ、「郷土の誇り」が「郷土の恥」へと変心したのも影響しているのでしょうか。
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以下、いくつかのネット情報を紹介します。(諸説あり。集計の考え方や基準によるのでしょうか、実に多くのネット情報があります。時代の変遷もあるようです。)
◉歴代首相の出身県(honkawa.2.sakura.ne.jp)
山口 8人
東京 5人
群馬 4人
(以下略)
◉首相の都道府県別人数一覧(stubucky.com)
11人 東京
8人 山口
3人 群馬
3人 石川
(略)
0人 11県
◉内閣総理大臣出身者の都道府県別一覧(region.case.com)
14人 東京都
(地方出身の親をもつ東京生まれの、安倍晋三、岸田文雄、福田康夫 東條英機らを含む)
8人 山口県
(略)
0人 20県
◉以前調べた時は、岩手県は間違いなく山口県に次ぐ2位でした。
第1位 山口県(人数までは覚えてません)
第2位 岩手県(5人)(原敬、斎藤実、米内光政、東條英機 鈴木善幸)
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岩手県出身の総理は「東條英機」を含めると5人(長年そう扱われてきた)、東條を東京出身とすると岩手は4人となります。4人でも断然多いのですが。4~5人という人数について投稿されているブログを発見したので、参考資料として引用紹介します。
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◉岩手県出身の総理大臣は4人?5人?
~熊谷茂 丸光製麺・社長ブログ(marumitsu-seimen.com)
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てっきり、私は岩手県出身総理大臣は4人だと思っていたのです。しかし「米内光政」と「鈴木善幸」の間にもう一人いたのです。それがあのA級戦犯の「東條英機」だったのです。この記事では、実は岩手県盛岡市出身となっているのです。
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Wikipediaなどで調べてみると、東京都出身となっているのですが、記事によると東京で生まれ育った「東條英機」ですが、祖父も父親も南部藩士として仕えた、立派な岩手県人で、東條家の墓は今も盛岡市の久昌寺にあるそうです。
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戦前の岩手の人たちは、「原敬」や「米内光政」よりも郷土の誇りとして敬っていたそうで、太平洋戦争直前に東條に権限が集中していくなか、内閣総理大臣兼陸軍大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、運輸大臣、と兼任の椅子が増えるたびに声援を送っていたそうです。
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そして終戦。皆さんご存知の「極東軍事裁判」いわゆる「東京裁判」ではA級戦犯として、絞首刑の判決が下り、今は靖国神社に合祀されています。明治陸軍が生んだ秀才は戦後、郷土の誇りから一転してA級戦犯、岩手県出身首相の声もいつの間にか消えて、東京都出身首相の方に名前が載ることが多くなったようです。
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因みに、東條英機を岩手県出身に数えると東京出身者(高橋是清、近衛文麿、鳩山一郎、菅直人)より多い5人になって、山口県出身の8人(伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)に次ぐ全国第2位になるそうです。
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参考まで、1年前の菅首相の誕生時のネット情報を紹介します。
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◉ヒントは戊辰戦争に? 東北出身の首相、岩手の4人なぜ?~ 朝日新聞デジタル asahi.com)
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菅首相は「秋田県出身として初の、そして東北では5人目の首相だ。実はこれまでの4人は全員が岩手県出身で、うち3人は1900年前半に集中する。一方人口が多い宮城県はゼロだ。なぜだろう。
日本近代史が専門の伊藤之雄・京都大学教授に解説してもらった。
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菅首相までの4人(原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸)全員が岩手出身。伊藤氏は「偶然の要素もある」としつつ、東北などの諸藩が新政府軍と戦った戊辰戦争(ぼしん戦争 1868~69年)との関連性を指摘する。
「盛岡藩士の家に生まれた原や米内は、薩長への敵対心や反骨精神が向上心に結びついたのだろう」。
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戊辰戦争では東北・北越の諸藩が奥羽越列藩同盟を組んで戦った。なぜ盛岡藩だけが?
「たとえば会津藩は東京帝大総長の山川健次郎ら優秀な人材が輩出しているが、薩長が実権を握る政界で上り詰めるには敵対心が強すぎた。盛岡藩は、会津ほど薩長に極端に攻められていないので冷静に付き合えたのかもしれない」
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大藩だった仙台藩はどうか。斎藤が生まれた水沢は仙台藩の一門の領地だったが、明治から岩手県。伊藤氏は、仙台藩が同盟を主導したのに、会津、盛岡各藩より早く降伏した点に着目する。
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』126巻3851号 2021.11.17/ hideki-sansho.hatenablog.com #891