秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

五木寛之『青春の門』が再起動! 伊吹信介・織江 半世紀ぶりの登場!〜『新青春の門』第九部漂流篇「バイカル湖への道」「シベリア無宿」、、、を感動のうちに読み始めました。

 

五木寛之さんの大作『青春の門が、50年ぶりに、

青春の門』第九部漂流編として復活しました。驚きと喜びでいっぱいです。

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五木寛之『新 青春の門』第九部 漂流篇(2019.9 講談社刊) 表紙カバー

 

五木寛之さんの略歴>(本書奥付より要旨)

 1932年生まれ、戦後朝鮮半島から引き上げる。早大文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞。’67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。’76年青春の門吉川英治文学賞。’02年菊池寛賞、’09年NHK放送文化賞、’10年毎日出版文化賞特別賞

 

 何しろ、今年87歳ですから驚きですね!『青春の門』を半世紀ぶりに書き始めたことについて、いろんなインタビューに答えているが、要は、①読者が待っている ②自分の健康・体調が良い ③出版社の受け入れ態勢がある、の3要素が揃ったので、チャンスを生かして挑戦することにした、ということのようです。

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 復活第一作の表紙カバーの写真でお分かりのように、帯には「再起動」の赤い活字が躍っています。また、岡田武史さんのコメントも共感を呼びますね!

f:id:hideki-sansho:20191205111045j:plainf:id:hideki-sansho:20191205111139j:plain(表紙 帯)

 私はまだ全部を読みきってはいません。何せ556ページの分厚い本だからです。この第九部は20章からなってますが、第1章バイカル湖への道」を夢中で読みました。“再起動”の出だしだから当然ですが、バイカル湖への道」というタイトルがすごく気に入ったからでもあります。

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青春の門』再起動トップのバイカル湖への道」で、私の注目を引いた箇所を、原文引用で紹介します。

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伊吹信介(イブーキー)の再登場

「おれの話をきいているのか、イブーキー」と男は言った。青年はだまってうなずいた。

   <伊吹信介――。それが、かつての俺の名前だった> 

 今はちがう。パスポートも持たない。身分証もない。帰国する当ても、行方すら定まらない左足の不自由な不法入国者である。まわりからはイブーキーと呼ばれる放浪者にすぎない。」(p.8)

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信介のケガ

   アムールは信介たちをイルクーツクの近くまで連れてきたのだ。そこで信介は大きな失敗をした。つい油断をして落馬し、左足の踵を痛めてしまったのである。杖をつかなければ歩けないほどひどい状態だった。(p.9)

f:id:hideki-sansho:20191205115201j:plain写真撮影=Atelier秀樹

 

バイカル湖

<これがバイカル湖か>

 窓をあけると、冷気が勢いよく吹き込んできた。思わず胸が高まるのをおぼえた。信介にとってバイカル湖は、憧れの湖だった

 一九五〇年代の学生たちにとっては、パリのセーヌ川よりも、カリブ海よりも、シベリアのバイカル湖のほうがはるかに心をそそる神秘的な存在だったのだ。(p.25

そうか、これがあのバイカル湖か―」信介はまたたきもせずに、車窓に広がる水面を眺めた。(p.26)

skyticket観光ガイド「シベリアの真珠と言われた美しい湖!ロシアの世界遺産バイカル湖(skyticket.jp)

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うたごえ運動

 信介が九州から上京した頃、<うたごえ運動>という大きなムーブメントが、日本列島を揺るがせていたフォークソングや、ロカビリーが時代を席巻する少し前のことである。当時の学生も、労働者も、家庭の主婦たちも、みんながその波の中にいた。『青年歌集』という小型の歌本が、人気を集めていた時代だ。」(p.25)

 

 《かあさんの歌》《仕事の歌》《原爆を許すまじ》《国際学連の歌》。そして《赤とんぼ》《ふるさと》などの歌に加えて、各国の民謡や流行歌などが国民的に口ずさまれたものである。外国の歌も多かった。《草原情歌》《おおブレンネリ》《カチューシャ》《ともしび》《カリンカ》《峠の我が家》《さらば恋人よ》など、など、呉越同舟といった感じだったが、

 ことに愛唱されたのはロシア民謡だった。(p.25)

f:id:hideki-sansho:20191205114757j:plain(写真撮影=Atelier秀樹)

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◉♪バイカル湖のほとり

 そんな「うたごえの歌」のなかでも、ことに愛唱されたのがバイカル湖のほとり》だった。この歌も映画「シベリア物語」の挿入歌として、一世を風靡した歌である。(p.25) 

 豊かなる ザバイカルの / はてしなき野山を / やつれし旅人が / あてもなく さまよう

 

  どこかで琵琶湖の約五十倍の大きさだと読んだことがあった。信介は心の中で、《バイカル湖のほとり》のメロディーを思い浮かべた。「きみがいま、何を思っているか、当てて見せようか」と、煙草の煙を吐きながらドクトルが言った。

 「わかりますか」「多分、あの歌、ほら、豊かなるザバイカルの――という、あれを思い出してるんだろう」「そうです。どうしてわかるんですか」「ここにくる日本人は、みなあの歌を口ずさむのさ。…」(p.30–31)

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イルクーツク

 イルクーツクの市内を正午に出発したその車は、バイカル湖から流れ出るアンガラ川沿いの道路を巡航していた」(p.5)

 まだ風の冷たい五月に、アムールというモンゴル系の男に連れられてシベリアの寒村を出発した。それから九十日あまり、やっとイルクーツクの近郊までたどりついたのだ。(p.9)

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f:id:hideki-sansho:20191205115016j:plain (写真撮影=Atelier秀樹)

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<編注>

 ◉伊吹信介、◉バイカル湖、◉うたごえ運動、◉♪バイカル湖のほとり、◉イルクーツク、という五つのキーワードに、心打たれました。そういう時代に青春時代を送ったからです。あなたは如何でしょうか?

 一つだけイルクーツクについて、子供の頃の思い出を書かざるをえません。国民学校生の頃でしたが、道路向かいの家の次男が召集されて入隊しました。もちろん(当時のセレモニーに従い)「死んで帰れ!」と国旗を振って見送りました。

 

 しばらく経ってから姿を見かけたので、「ああ、もう帰ってきたのか。良かったなぁ」と思いましたが、実はそうではなく、

家族に別れを告げるための帰宅だったのです。すぐに軍隊に戻り、間も無く「白い箱」で帰還しました。

 

 この悲劇は生涯忘れることができません家族への別れのために帰宅した時に、本人と会って話をしました。その時「ロシアのイルクーツクに戻る」と教えてくれました。当時はどの辺なのか全然知らなかったが、大人になってから知りました。

 今世界地図で確認すると、モンゴル国境に近いロシア南部に、バイカル湖イルクーツク市が接近してある。

 

この小説第九部の始まりの舞台は、伊吹信介(イブーキー)ドクトル・コジャーエフが、ソ連製の四輪駆動車に乗ってイルクーツクを出発するのです。

 という次第で、私にとってイルクーツクは、重大なキーワード、地名なのです。

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『秀樹杉松』111巻2948号 2019.12.5/ hideki-sansho.hatenablog.com #588