秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

五木寛之『新・青春の門』第九部 漂流篇を読了しました。~♪ともしび、♪カチューシャ、♪バイカル湖のほとり、♪北上夜曲、軍歌。ロシア民謡とは、長調と短調と~

 

『秀樹杉松』前号(12/5)で紹介した五木寛之青春の門』再起動新 青春の門第九部 漂流編が、半世紀ぶりに復活しました。556ページの大作ですが、やっと読み終えました。その中から、私が驚き感動した音楽(歌)関係の部分に焦点をあてて、(原文を引用しながら)ブログに紹介することとしました。

 

 前号では「バイカル湖への道」(第1章)をとりあげました。今回は「伝説のディレクター」(第4章)と「夜の酒場にて」(第6章)を中心にアップします。

 さて、「伝説のディレクター」(第4章)で、

ミリオンレコードのディレクター高円寺竜三が登場します。「夜の酒場にて」(第6章)で、高円寺竜三が、ともしび・カチューシャ・バイカル湖のほとり・北上夜曲・軍歌などを素材に、半世紀近く前の1961年(昭和36年)の「うたごえ」を背景に、熱く語りまくります。

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 自分では「おれは正直なところ音楽の素養はゼロなんだよ」と嘯きながら、音楽評論家のような蘊蓄(うんちく)を傾けるのです。「うたごえ」や合唱を楽しんでいる自分にとり、すごく勉強になりました。やさしく分かりやすい「音楽概論」を読むような感じでした。

 論文ではなく、芸能プロダクションの社員や、酒場のマスター、お客の学生たちを相手にした「面白くて為になる」音楽・歌談義は最高です。どうぞ、歌に関心のある方はもとより、あまり関心のない方でも、何せ、五木寛之さんの「青春の門再起動編ですので、どうぞお読みください。/ Atelier秀樹

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<伝説のディレクター高円寺竜三の登場>

 そのとき、カウンターにいる若い客たちが、突然、声を合わせて歌いはじめた。

それはこの数年、若者や労働者のあいだで爆発的に流行しはじめていた

《ともしび》という歌だった

夜霧のかなたへ 別れを告げ / 雄々しきますらお いでてゆく / 窓辺にまたたく ともしびに  / つきせぬ乙女の / 乙女の愛の影    (p.140)

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<ともしび>

 山岸守(編注:芸能プロダクションKオフィスの社員)はあわてて手を振った。そして声をひそめて続けた。「ただ、ぼくは、”うたごえ”の人たちの、いかにもイデオロギー的な雰囲気が肌に合わないものですから。ことにロシア民謡などをうっとりとした表情でをうたわれると寒気がしましてね」(p.141)

 

 ロシア民謡じゃないんだよ、この歌はと、ピースの缶のふたを開けながら高円寺(編注:ミリオンレコードのディレクター)が言った。「ロシア語で《アガニョーク》というこの歌は、ロシアの歌でもなければ、民謡でもない。これは一九四二年ごろに発表されたソ連の現代歌謡の一つなんだ。詞を書いたのは、ミハイル・イサコフスキーという人でね。第二次世界大戦のドイツとの戦い、いわゆる大祖国戦争といわれる時代に熱烈にうたわれたものなんだよ」(p.142)

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<カチューシャ>

「…ちなみに《カチューシャという歌、ご存知ですよね》」「もちろん」。「あの有名な《カチューシャ》も、このイサコフスキー」の作詞です。みんなはすぐにロシア民謡などといいますが、これらはソ連時代の流行歌でしてね。ロシア民謡とはちょっとちがうのです」

 

 「わたしたちがひと口にロシア民謡と呼んでいる歌にもいろいろあるらしいんですね。ウクライナ民謡もあれば、グルジアの歌もある。リトアニアなどバルト三国の民謡もあるし、様々なんですよ。ざっくりロシア民謡と言っていますが、沖縄の歌を日本民謡というと、ちょと違和感がありますでしょう?それに、民謡と現代歌謡は区別するべきだとわたしは思うな」「なるほど」(p.143)

 

<ともしび> 

《ともしび》の歌詞はいろいろあるんです。今彼らが歌っているのは、楽団カチューシャの訳詞だね。しかし、死を覚悟して戦場へ向かう兵士を送る歌だから――」 高円寺は首をかしげた。彼らが感情を込めて最後のフレーズをうたい終わると、エリとマダムが熱烈な拍手を送った。「ありがとうございます」と、学生の一人が嬉しそうに礼を言った。高円寺がゆっくりと拍手したので、山岸守もそれにならって手を叩いた。(p.143)

 

 「君たちもこちらに来て一緒に飲まないか」と高円寺が言った。「とりあえず、”うたごえ”に乾盃」と高円寺の音頭で全員がハイボールのグラスをかかげた。「ところで、僕たちの歌はどうでした?」と学生の一人が高円寺にきいた。高円寺は、ちょっと首をかしげて、「コーラスはよかった。だが――」  学生たちは顔を見合わせた。「だが、って、何か?」「ちょっと、というのはなんでしょう?」「おれたちは、やっぱり日本人だなあ、ってしみじみ思ってたのさ」(p.144-145)

 

「きみたちの《ともしび》は、とても良かった。お世辞じゃない。本当にしんみりした気持ちになった。いや、古い言葉で、琴線に触れるという表現があるだろう?まさにきみたちの歌声は、確かにおれの心の奥にひそむ日本人の情感に触れる何かがあった――」 「ほめていただいて恐縮です。でも、さっき、だが、っておっしゃいましたよね。そこのところをきかせてもらえませんか」(p.145)

 

 「いや、いや、まいったな、こりゃ」と、高円寺は頭に手をやった。「さっきの君たちの歌い方は、死を決して祖国のために戦場へ行く青年を見送る民衆の胸にあふれる感情じゃないな。もっと甘酸っぱくて、センチメンタルな感傷だ。それは正直に言って、いい気持ちであり、ノスタルジーであり、ロマンチックな気分なんだよ。しかし、そもそもこの『アガニョーク』という歌は、ファシズムに対して一歩も引かない決意と、死地へおもむく青年をはげます防人(さきもり)の歌といっていい。君たち、防人、という言葉を知ってるかい?」(p.146-147)

 

 「防人、ですか? えーと、万葉集に出てくる、辺地へ送られる兵士、のことですよね」 「えらい。それだからこそ”ますらお”なんて訳もでてくるんだ。雄々しき”ますらお”というのは、字に書くとこうだ」。高円寺は指に水をつけてテーブルの上に、何か字を書いた。(p.147)

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<軍歌>

 「きみたちは知らないだろうけど、昔、戦争中に、こんな歌があった。軍歌というより戦意高揚のための国民歌謡だがね」。

 勝ってくるぞと 勇ましく / ちかって故郷(くに)を 出たからは / 手柄たてずに 死なりょうか / 進軍ラッパ 聴くたびに / まぶたに浮かぶ / 旗の波     (p.147-148)

 「これが日本の《ともしび》だ、と言ったら、きみたちは憤慨するだろうな」。「えー!」学生たちは顔を見合わせた。長髪の学生が少しむっとした口調で、「憤慨はしませんけれど、戸惑っています。僕は全然違うと思いますけど。そもそも音楽的に――」

  「いや、ちがわない。ちがうのはきみたちの歌い方のほうだ。」メガネの学生が、むっとした表情で、どこがちがうんですか、と言った。(p.148-149)

 

 高円寺はうん、とうなずいて言った。「きみたちの歌はだね、叙情的すぎるとおれは思う」。「叙情的すぎる、というのは、いけないことなんですかね」。「いや、いけないとは言わない。だがはっきり言って、センチメンタルな歌い方だった。切なすぎるんだよ。目を閉じてきいていると、思わず涙がこみ上げてきそうになる。泣きたくなって、しみじみとして、切なくなってくる。感傷の海におぼれそうになるというか、短調(マイナー)の世界にどっぷり身を浸す快感というか、理屈はいいから、さあ、一緒に泣こうよ、という感じになってくるんだ」(p.149)

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<北上夜曲>

 「今年、流行った歌に《北上夜曲》というのがあるだろう」と、高円寺は言った。学生たちはうなずいた。山岸守は言った。「で、その《北上夜曲》がどうしたと言うんですか?」。高円寺はいや、いや、と片手をふって、「文句をつけてるわけじゃない。おれもあの歌をきくと、ついしんみりしてしまうんだ。匂い優しい白百合の―-なんて歌詞は乙女チックだが、メロディーが泣かせる。まさに日本的叙情の典型と言っていいだろう。だが、《ともしび》とは向いている方向がちがう様な気がするんだよ」(p.149-150) 

  「両方とも短調の曲ですよね。僕は両者がちがうとは思いません」眼鏡をかけた学生が口を尖らせて、「失礼ですが、先輩は叙情を否定なさるんですか?《北上夜曲》は、どこか、石川啄木の世界と相通じるものがあるような気がするんですが」。「たしかに」 高円寺は相手の発言をおだやかに受け止めて、ゆっくりと話し出した。(p.150)

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 「《ともしび》は、たしかに叙情歌。しかし、その叙情は決して濡れてはいない第二次世界大戦では当初、ソ連軍はドイツの誇る機甲師団の精鋭にゴミを掃くように蹂躙されたんだ。そこへおもむくことは死地にのりこむことだった。

愛する祖国を防衛するために、若者たちは死を覚悟して戦場へむかう。それを見送る人びとは、老人や女性たちだ。いや、ソ連軍には女性だけの狙撃部隊もあった。少年兵たちも少なくなかった。その兵士たちを送る歌が《ともしび》だ。だからこの歌は激励の歌であり、祖国防衛の誓いをこめた歌でもあった。(p.150-151)

 だから、もっとテンポを上げて堂々と勇壮に歌うべきだろう。実際にソ連では行進の際にマーチのように朗々と歌う。これは一種の戦意高揚歌であり、軍歌なのだよ。もちろんこの曲は叙情歌だ。しかしこの歌の叙情は悲壮の叙情で、ノスタルジーじゃない。そこのところが君たちの綺麗なコーラスには感じられなかった。だから、だがーー、と言ってしまったのさ。《ともしび》は、もっと力強く、テンポを上げて堂々とうたわなきゃ。いや、これは俺の勝手な感想だがね」(p.151)

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長調短調

 学生たちは無言で考え込んでいるようだった。長髪の学生が遠慮がちにつぶやいた。「この曲は短調で書かれているんですよね」「だから?」「そんな士気を鼓舞するような勇壮な歌なら、長調(メジャー)の曲のはずじゃないのかな」。高円寺はため息をついた。そして静かな口調で言った。「きみたちは西洋音楽の悪しき理解に毒されている。残念なことだ」 「どういうことですか」長髪の痩せた学生が、どこか反抗的な口調できいた。(p.151-152)

 

 「高円寺さん」と、それまで黙って話をきいていたマスターが体を乗り出して「いま高円寺さんがおっしゃった西洋音楽の悪しき理解とは、どういうことでしょう。ぜひうかがいたいものですな」。………高円寺は水割りをぐっと飲みほすと、首をふって言った。「おれは正直なところ音楽の素養はゼロなんだよ。ろくに譜面を読めない人間なんだが....。まあ、独断と偏見に基づく暴論だがね。…まず、君たちが言っていた長調短調の話からはじめよう。一般に短調の音楽は悲しくて感傷的だと思われているよな。そうだろう? それに対して、長調の曲は健康的で明るく、力強い、と。皆がうなずいた。(p.152-153)

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<軍歌と短調

 「ではきこう。かつて戦争中はたくさんの軍歌が作られた。戦意を鼓舞し、勝利を目指す歌が軍歌だが、意外に短調の曲が多いことを知っているかね。「麦と兵隊」「戦友」「歩兵の本領」とか、古くから軍歌には短調のものが多かった。そもそも <明治維新短調でやってきた>という学者もいるくらいです。明治の官軍の軍楽は短調でしたからね」。「それは日本人のメンタリティなんでしょうか」と、眼鏡をかけた学生がたずねた。(p.153-155)

 

 高円寺は首を振って、「ところがそうじゃない。きみたちも《トルコの軍楽》という物悲しい曲を聞いたことがあるだろ。オスマン帝国はこの曲とともにヨーロッパを席巻したんだ。短調で書かれた曲が弱々しいセンチメンタルな音楽だと思うのは、とんでもない誤解なんだよ。世界各国の革命歌や軍歌には短調の曲が無数にある短調がものかなしく、長調が明るく健康てだなんてとんでもないとおれは思うね」(p.155)

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バイカル湖のほとり>

 「シベリア帰りの男が、地元の若者たちが集まって歌を歌っている場面に出会ったんだそうだ」 「うたごえ運動の集会ですかね」「まあ、そんなところだろう。彼は思わずその歌声に聴き入ったんだが、なんとなくしっくりこないところがあるのを感じたそうだ」 「彼らは何をうたってたんですか」 「ほら、有名なあれだよ。

バイカル湖のほとり》といったかな。<豊かなるザバイカのはてしなき野山を………>とかいうやつ」「<やつれし旅人があてもなくさまよう>ですね」「そう、そう、それだ」「どういう風に違和感を覚えたんですかね、そのシベリアのお友達は」(p.156-157)

 

 「彼は首をかしげてこう言った。あの、やつれし旅人というのは、自由を求めて逃亡した放浪者なんだ。ロシアでは権力から逃亡する者を英雄として尊敬する伝統がある。彼らはつまり誇り高き勇者だ。だからあの歌は堂々と雄々しくうたわなきゃいけない。バイカル地方に抑留されて、重労働させられているあいだ、自分はいつも収容所から脱走することを夢見ながら、その勇気がなかった。逃亡者はおれの憧れの勇者だったんだ。だからそいつをたたえる讃歌として胸を張って朗々とうたわなきゃいけない。あんなセンチなうたい方じゃ、逃亡者が泣くぞ、と、そんなことを言ってたんだよ」(p.157)

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 三人の学生たちは、首をかしげたまましばらく黙っていた。やがて長髪の学生が仲間をふり返って、そろそろ行こうか、とうながした。(p.158

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『秀樹杉松』111巻2949号 2019.12.11/ hideki-sansho.hatenablog.com #589