「帽子をかぶる人が減っている」とはよく聞く。外では被って歩く習慣の自分から見ても、確かに着帽者は多くはない。いや、非常に少ない。その意味で私は”少数派”に入るわけだが、自分の意識では、そういう実感はありません。
自分で着帽する理由や事情は特にないが、「何故?」と訊かれれば
「日頃の習慣」としか答えようがない。私にとっては「被るのは当たり前」だからです。帽子を「被るべし」とか「被るべからず」は、無用の論でしょう。被りたければ着帽し、被りたくない人は無帽でいい。
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こんな分かりきったことを、なぜ『秀樹杉松』で取り上げるのか? ”他に書くことがないから”では無く、やはり”何となく気になるから”です。それは、着帽者がどうして少数(絶対少数)になってきたのか、逆に言えば、被らない人が何故急速に増えてきたのか、ということに関心があるからです。
ちなみに伺います。無帽の貴方は「着帽者は何故かぶるんだろう?」と思われたことございますでしょうか? 逆に、帽子をかぶる方で、「被らない人は、どうして無帽?」と、思案されたことがございましょうか。
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「帽子を被る被らないは、人の勝手」、「どうでもいいじゃないか」、「なぜ、そんなことに関心があるんですか」、「無用の詮索、やめたら!」
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はい分かりました。
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文/写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』135巻4026号 2022.11.16/ hideki-sansho.hatenablog.com #1066