文京区内の坂めぐりは前回で終わったと思ったが、小日向界隈が残っているのに気づき、今日行ってきました。地図には載ってなかったが、tokyosaka.sakura.ne.jpの情報で知ったからです。地下鉄江戸川橋駅降りたら江戸川公園。江戸川橋渡ったら、音羽1丁目でした。音羽といえば「音羽御殿」をすぐ思い出し、すぐ近くの「鳩山会館」に直行した。
すごい急な坂(今日の最初の坂「八幡坂」)でしたが、「やはり総理への階段は容易ではないんだな」と思いながらやっと到着。ところが、「ここは鳩山会館の裏門です。反対側の正門に回ってください」との看板にガッカリ。反対側の音羽通に出て正門を目指したが、「1月、2月は休館」との掲示。写真だけならいいだろうと近くまで行って遠くからパチリ。正門を入ってからもいきなりの坂道でした。改めて、内閣総理大臣への階段はきついのを実感。 鳩山会館をスタートに、今日は14の坂と7つの旧跡などをめぐりました。 / Atelier秀樹
<坂めぐりのコースと写真>
地下鉄江戸川橋駅で下車、そこが江戸川公園。
八幡坂
明治時代の初めまで現在の今宮神社の地に、田中八幡神社があっための坂名。坂上の高台一帯は「久世山」といわれ、下総関宿藩主久世氏の屋敷があった。
急な石段を上り切ったら、今度は直角に左折したもう一つの石段。この二つが「八幡坂」です。「総理(鳩山一郎、由紀夫)への階段はきついなあ」と思いながら辿りついたら鳩山会館の裏門。坂を下って音羽通り側の正門に向かいました。
内閣総理大臣を務めた鳩山一郎(鳩山由紀夫元総理の祖父)の邸宅を記念館として一般に公開。文京区音羽にあることから「音羽御殿」(おとわごてん)の通称で知られ、戦後政治史の舞台の一つに数えられている。
(鳩山坂)
正門から会館への道も長い坂でした。音羽御殿・鳩山会館は高台にあるのです。私はこの坂に勝手に「鳩山坂」と命名しました。お許しください。勿論、総理の階段を上り切った鳩山一郎(祖父)、鳩山由紀夫(孫)両氏への賞賛の気持ちを込めて。
鷺坂(さぎさか)
この坂の上の高台は久世大和守の下屋敷のあったところ、地元民は「久世山」と呼んで馴染んでいる。
この久世山も大正以降は住宅地となり、堀口大学や、三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が、自然な響きをもって世人に受け入れられてきた。石碑の一面には万葉集からの引用で、他面にはその読み下しで「山城の久世の鷺坂神代より春ハ張りつゝ秋は散りけり」とある。
大日坂
服部坂
横町坂
小日向神社(こひなたじんじゃ)
薬缶坂(やかんざか)
荒木坂
坂上に荒木志摩守の屋敷があった。
今井坂(新坂)
今井四郎の名にちなむ「兼平桜」と名付けた大木があったため「今井坂」と呼ぶようになった。坂の上西側一帯は、現在国際仏教学大学。
徳川幕府最後の15代将軍慶喜は、明治34年に誕生の地である急水戸屋敷に近いこの地に移り、大正2年に76歳で没した。
国際仏教学大学
庚申坂(こうしんざか)
切支丹坂
坂近くにキリシタン屋敷跡の碑があると文献にはあるが、見つからなかった。
藤坂(富士坂・禿坂)
藤寺の傍にあるから「藤寺」。徳川家光が鷹狩りの際に当時の藤を上覧し、藤寺と呼ぶよう命じられたことから藤寺と呼ぶようになった。また、昔はこの坂から富士山が望まれたので、「富士坂」とも、河童がいたので「禿坂」とも呼ばれた。
藤寺(伝明寺)
曹洞宗寺院の伝明寺。徳川家光が鷹狩りの際に当時の藤を上覧し、藤寺と呼ぶよう命じられたことから藤寺と呼ぶようになった。
蛙坂
坂の東の方湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいに古池があって、ここにも蛙がいた。むかし、この坂で左右の蛙の合戦があったので、蛙坂と呼ぶようになった。
釈迦坂(しゃかざか)
徳雲寺の釈迦の石像から見る坂なので釈迦坂。
臨済宗円覚寺派、妙峰山徳雲寺。小石川七福神の一つである弁財天を祀る。
茗荷坂
「茗荷坂は茗荷谷から小日向の坂へ登る坂なり」と改撰江戸志にある。これによると拓殖大学正門から南西に登る坂をさすことになるが、今日では地下鉄茗荷谷駅方面へ登る坂をもいっている。
茗荷坂のすぐ近くにある。
坂めぐり終了して、地下鉄茗荷谷駅から帰宅の途へ。
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『秀樹杉松』91巻2553号 18/2/17 #blog<hideki-sansho>193
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