坂めぐり(31回=18.2.28、赤羽南部)~稲付城址坂(静勝寺の坂)、中坂、三日月坂、弁天坂、真生寺坂、蛇坂、法安寺坂、庚申坂、鳳生寺坂、野間坂、水車の坂、游鯉園の坂。~稲付城趾、静勝寺、普門院、法安寺、鳳生寺、稲付公園(野間清治旧邸跡)
31回目の坂めぐりは、前回の赤羽北部に続き、赤羽南部へ行ってきましたが、どれも一流の坂でした。昔?赤羽に住んだことはあるが、ほとんど行ったことがない地域だったので、地図とにらめっこしたり、通行人や地元の方に教えてもらうなど大変でした。昼間の気温が上がり、上着を脱いだり汗を拭いたりで忙しかったです。何はともあれ、楽しい坂歩きでした。
坂めぐりは昨日だったが、2月分の写真アップの容量がなくなっていたので、翌日の今日、3月1日の投稿にしました。3月といえば弥生ですが、今日は「春の嵐」とか。弥生といえば本来は旧暦の3月。いま暦を見たら、今日は旧暦の1月14日。従ってまだ睦月(1月)ですね。 / Atelier秀樹
<坂めぐりのコースと写真>
JR赤羽駅で下車して、今日の坂歩きをスタートしました。
静勝寺(稲付城跡)への石段
稲付城址坂(静勝寺の坂)
石段を登らずに左手を登り、さらに右に折れ曲がって登り、静勝寺の門の前まで登る坂道。 山上の稲付城址でもある静勝寺に上る坂。sakagakkaiでは「稲付城址坂」だが、tokyosaka.sakuraでは「静勝寺の坂」と名付けている。稲付城址=静勝寺だからで、同じ坂です。
稲付城跡(城址)
稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる戦国時代の砦跡。道灌堂の逗子内には道灌の坐像が安置されている。
静勝寺(じょうしょうじ)
江戸城を造ったことで知られる室町中期の武将・太田道灌が砦として使用していたといわれる稲付城。道灌の死後、稲付城を寺にしたのが静勝寺の始まりという。
中坂
昔は清水が湧いていたといわれる。坂上において、三日月坂の坂上にぶつかります。
三日月坂
道灌湯から東南へ登り中坂へでる坂。大正3年にできた導火線工場のために造られた坂。翌年工場が爆発事故で焼失。坂名は、その後この辺りにできた「三日月茶屋」に由来。道灌湯が開業したことから「道灌坂」とも呼ばれる。
(註)道灌湯が現在も坂下に存在しているそうですが、うっかり気づきませんでした。
弁天坂
坂下に「弁天坂下」のバス停がある。坂下から赤羽駅西口への道路には「弁天通り」と呼ばれる。
前回(2/20)行ってきた弁天池の坂は、北から弁天池に下る坂でしたが、今日の弁天坂は南から弁天池に下る坂でした。姉妹坂といっていいでしょう。
真生寺坂(しんしょうじざか)
坂の北側に普門院末の真生寺があったが、廃寺となり坂名だけが残った。日光御成道(岩槻街道)と中山道を結ぶ道筋にあたっている。かつて、稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といって登ったそうです。
普門院
真言宗寺院。竜宮門型の山門は鉄筋コンクリート建築で、中国風デザイン。2月の初午の日には、稲付の餅つき唄(北区指定無形文化財)を歌いながらの餅つきが、門前の稲荷社で行われる。
蛇坂
蛇のようにくねっているからの坂名。
法安寺坂
坂名は法安寺に因む。坂を上って、途中、左側に法安寺がある。
法安寺
法安寺は昭和3年ごろ「法安堂」といい、堂下には三つの泉があった。周辺には願業の太鼓が鳴り響き、西側の更新坂より先へ草原が広がっていたという。
庚申坂(こうしんざか)
鳳生寺坂(ほうしょうじざか)
鳳生寺門前から西へ上る坂で、坂上の旧家の屋号から「六衛門坂」とも呼ばれる。
鳳生寺
太田道灌の開基と伝えられ、岩渕宿にあったものを写したもので、現在も岩渕山と号している。
野間坂
講談社の創立者野間清治氏の旧別邸前の坂で、坂名もそれにちなむ。
稲付公園
野間清治氏の旧別邸跡地が、現在「北区立稲付公園」となっている。
水車の坂
現在は石段となっているが、昔はこの下に水車小屋があった。
游鯉園の坂(ゆうりえんのさか)
大正から戦前まで坂下あの川下に「游鯉園」という川魚料亭があった。
坂めぐりに心地よい疲労と満足を覚えつつ、JR赤羽駅から帰宅の途につきました。
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『秀樹杉松』91巻2557号/18.2.28 #blog<hideki-sansho>197
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