秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第65回:2018-8-3 / 東京大田区田園調布本町・鵜の木・南久が原)~桜坂・おいと坂・かわら坂。富士見坂・ぬめり坂 / ~六郷用水・田園調布高校・昭和のくらし博物館・福山雅治「♪桜坂」・旧中原街道・鵜ノ木八幡神社・増明院。藤森稲荷神社。

  一昨日に続き、今日は大田区の田園調布本町、鵜の木、南久が原という遠いところの坂へ、東急多摩川線に乗って行ってきました。相変わらず猛暑予報なので、早朝5時前に自宅を出ました。

 5つの坂を巡りましたが、今日のハイライトは桜坂です。本号の大部分はこれで占められています。びっくりする内容です!何はともあれ、ぜひお読みください。 / Atelier秀樹

 

東急多摩川線沼部駅(スタート) 

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六郷用水(ろくごうようすい)

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 六郷用水(ろくごうようすい)は、東京都(旧武蔵国)にかつて存在した用水路。建設指揮監督者小泉次大夫の名を取って次大夫堀(じだゆうぼり)とも呼ばれる。一部区間(世田谷区岡本~大田区田園調布)は丸子川として残っている。また、世田谷区喜多見では、同じ場所に野川からの取水により次大夫堀が再現されて次大夫堀公園となっている。大田区内では、中原街道から東の東急多摩川線多摩川駅鵜の木駅付近に湧水を使って用水路が再現されていて、残りは歩道になっている。(Wikipdia

 <編注>5年ぶりの再会でした。「川歩き」(『親川記』)が懐かしいです。

 

桜坂(さくらざか)(#587)

 大田区田園調布1丁目。東急・沼部駅から北東に伸びる道の,“さくら坂”交差点から“さくら坂上”交差点まで。(中原街道)。北東に上る。180m。緩やか(高低差5m,平均斜度1.6度)。直線の切通し坂。坂の途中に,大田区が設置した標識がある。これとは別に,非常に古い石の標識がひっそりと建っている。

→「桜坂(さくらざか) この坂道は,旧中原街道の切り通しで,昔は沼部大坂といい,勾配のきつい坂で荷車の通行などは大変であったという。今ではゆるい傾斜となっているが,坂の両側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。昭和五十九年三月  大田区

 由来他:石垣にはさまれた切通しの坂道。坂名は坂道の両側に大正時代に植えられた桜にちなむ。旧中原街道切通しで,昔は「沼部の大坂」といい,勾配がきつく荷車などの通行は大変であった。また,かつてこのあたりの村落(沼部の村落)は荷車・旅商人の往来でにぎわい,腰掛け茶屋などが坂道の両側にあったともいわれる。(大田区HPより)

 

 福山雅治が歌った「桜坂」という歌がキッカケで,突然有名になった坂。花見客のマナーが悪く,落書きやいたずらが多い ということでも有名。

 参考文献:大田区HP「田園調布・嶺町地域の坂道」(以上sakagakkai.org) 

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 <編注>上記の坂学会解説とは別に、ウィキペディアの情報「桜坂(大田区)」も紹介します。

桜坂大田区

「桜坂(さくらざか)は東京都大田区田園調布本町18,19と同42,43の間にある坂である。桜の名所として有名。

(概要)

 住宅街を北東から降って東西の至る道路の両側に20本程度の桜の木が植えられている。…

(歴史)

 旧中原街道の一部で、古くは沼部の大坂と呼ばれた。1923年に改修工事が行われ、現在のような切り通しの坂となった。その後、1930年に切り通しの両側に桜が植えられて「桜坂」と命名され、現在に至っている。ただし、近隣に存在する交差点の信号機には「さくら坂」「さくら坂上」とひらがな表記である。…

(人気)

 従来は全国的な知名度はなかったが、2002年に発売された楽曲「桜坂」(福山雅治)が200万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、観光名所として一躍有名になった。「桜坂」ヒット以降の桜の時期は渋滞が発生するほどの人気になり、桜が咲いていない時期でも若者が立ち寄る姿が見られる。(以上Wikipedia)」

 

 次に、「ウィキペディアの曖昧さ回避ページ」には、次のようにあります。

桜坂

  地名

 ▪️桜坂(大田区 ▪️桜坂(東京都港区) ▪️六本木さくら坂―六本木ヒルズ内にある坂

 ▪️桜坂(福岡市)  ▪️さくら坂(川崎市)▪️桜坂(那覇市)…

      曲名

  ▪️桜坂(曲)ー 福山雅治の楽曲          (以下省略)

 

福山雅治 

 ついでに、ウィキペディア福山雅治」の<音楽活動>も覗いて見ました。

音楽活動

 デビュー10周年となった2000年、5年ぶりのアリーナツアー『10th Anniversary WE’RE EROS.TOUR “MAGNUM COLLECTION 2000』を開催。15枚目のシングル「桜坂」は当時大人気だったTBS系『ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記』のテーマソングに使われダブルミリオンセラーとなり、曲のモチーフとなった東京大田区の桜坂には多くの人が訪れ、一躍全国区での有名スポットとなる。(wikipedia.org

 

編注

 私が今日行ってきた東京大田区の「桜坂」がそんな有名な坂であることは、下調べの段階で初めて知り、びっくりしました。ちなみに、福山雅治といえば、いつかの大河ドラマで観たようで、本業は歌手・音楽家だと聞いたような記憶しかありません。それ以上の関心も知識もなく、まさか<坂めぐり>で出会うとは全くの驚きです。こういうことも含めて、やはり坂めぐりはやめられないですね!

 

福山雅治「♪桜坂」

 せっかくですから、この曲をYouTubeで視聴してみましょう。(私は初めてですが、皆さんはいかがでしょうか?)

 ♪「君よずっと幸せに / 風にそっと歌うよ / 愛は今も愛のままで ………」 

youtu.be 

 <編注“歌の力”そして“歌手の影響力”は大きいですね!私の「川歩き」のきっかけは美空ひばりの「♪川は流れる」、坂巡りのきっかけは「乃木坂46」と「欅坂46」の坂道シリーズでした。

 

中原街道

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おいと坂(#588)

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 大田区田園調布本町。田園調布本町郵便局から東南東へ,田園調布高校に向かう道。東南東に向かって上り。200m。緩やか(高低差4m,平均斜度1.1度)。直線。坂下に大田区が設置した標識がある。

→「おいと坂 『大森区史』は「下沼部にある。伝えるところによれば,北条時頼行脚して中原に来た。病を得て難治であった。井戸水があって使用したところ程なく全治した。その井戸は沼部に一つ中原に一つあった。後,中原の井戸を沼部に移し雌井(めい),雄井(おい)と称した。おいと坂は即ち雄井戸坂のことであろう」と記している。昭和五十九年三月  大田区

 坂下に「雄井戸(おいと)」と呼ばれる井戸があり、旧中原街道を隔てて西側にあった「雌井戸(めいと)」とともに人々に親しまれてきた。この「雄井」に由来するのであろう。今は住宅街の中の目立たないまっすぐな坂道となっている、耕地整理前までは、竹やぶの中の急な、曲った坂道であったと伝えられる。(大田区HPより)

 参考文献:大田区HP「田園調布・嶺町地域の坂道」 

 

東海道新幹線 / 横須賀線

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田園調布高校

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沼部駅鵜の木駅(電車で一駅移動)

 普段は一駅や二駅は歩くが、猛暑でもあり歩き過ぎないために、電車を利用しました。

 

河原坂(かわらざか)(#589)

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 大田区鵜の木1丁目。鵜の木松山公園の南側の入口付近から西へ,途中直角に南に折れる。坂下は北北西に向って,坂上は東北東に向って上り。75m。比較的緩やか。途中で直角に曲がる,短い坂。坂の上と下に,大田区が設置した標識がある。

→「河原坂 かわらざか 現在の,鵜の木二,三丁目付近は,昔,多摩川の河川敷であったので,河原の地名がある。坂名の由来は,河原に出る坂道であることによる。今は「切通」になって,ゆるやかであるが,以前は道幅も狭く急な坂で,河原の畑を往来する荷車などは難儀をしたという。昭和六十年三月  大田区

 

富士見坂(ふじみざか)(#590)

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 大田区鵜の木1丁目。東急・鵜の木駅から鵜の木交番前交差点を越えた先。くねくねと曲がって上る。左右に曲がりながら東に向かって上る。65m。急な坂。左右に曲がりながら上る。標識なし。

 参考文献:平成「富士見坂」事情 坂学会HP

 <編注>この鵜の木1丁目の「富士見坂」の約1.7km西北の田園調布1丁目にも「富士見坂」があり、先般行ってきました。坂が多く富士山んがよく見えたのでしょう。

 

増明院

大田区鵜の木1−15−5。真言宗智山派寺院。玉川八十八ヶ所霊場

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鵜ノ木八幡神社

 大田区南久が原2−24−1。

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昭和の暮らし博物館

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 東京都大田区に位置する昭和レトロにまつわる博物館である。元々、東京都の建築技師だった小泉孝が建てた自宅を、孝の長女で生活史研究家の小泉和子(元京都女子大学教授)が、昭和時代(特に戦後、昭和20~30年代)の庶民の暮らしを後世まで伝える目的で、博物館に改築した物である。1999年(平成11年)2月28日に開館した。(ウィキペディア

 

ぬめり坂(#591)

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 大田区南久が原2丁目と1丁目の間。東急・池上線 下丸子駅から北に300m。 南久が原一丁目25番と二丁目30番の間を北上する坂道。坂の200mほど北に「昭和のくらし博物館」がある。北北西に上る坂。140m。緩やか。“く”の字に曲がる。

 坂上大田区が設置した標識がある。

→「ぬめり坂 大森区史』は「鵜の木に用水を渡ってうっそうとした樹下を登るなだらかな坂がある。なだらかな坂ではあるが,のめって上れなかった。付近の豪邸に美しい娘があった。娘は人々の難渋を気の毒に思い,自ら望んでその坂に生埋(いきうめ)となった。以来その坂の通行は容易となり,大いに付近は繁栄したという」と記している。昭和五十九年三月  大田区

 

藤森稲荷神社

 大田区南久が原2丁目。

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東急多摩川線下丸子駅(ゴール)

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編註

 1)坂名と坂の解説は「坂学会sakagakkai.org」に依る。2)写真はAtelier秀樹の撮影 3)坂名の後の(#〇〇)は、これまで巡り歩いた坂の累計数。   ……………………………………………………………………………………………………… 

『秀樹杉松』巻96巻2644号 2018-8-3 / hideki-sansho.hatenablog.com. #284  

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