坂巡検の二日目(最終日)は、熊本市内の京町台東崖と西崖の坂、熊本城内の坂めぐりでした。20以上の坂を健脚者が歩くので、膝と腰にトラブルを抱える私の参加はムリでした。幹部の特別判断で、私は本隊とは別行動を取り、マイペースで可能な坂を歩き、あとは熊本城などの市内見学してもよろしい、ということになりました。私は熊本城見物と城内の坂めぐりに焦点を絞ることにしました。本号でその模様をアップします。ご覧ください。/Atelier秀樹
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迷うことなく、独りで熊本城へ向かいました。
すぐに<行幸坂>(みゆきざか)の入り口がありました。
行幸坂は坪井川にかかる、熊本城の入り口にかけられた橋。旧南坂で南大手門へ向かう藩士の登城路だったそうです。明治35年に明治天皇が行幸された折、現在の車道を整備し、行幸坂と呼ぶようになった由。2016年の熊本地震の影響で立ち入りが制限されているが、入り口をしっかり見てきました。
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続いて大きな<西南の役回顧之碑>が建ってました。
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マスコットの大きなクマさんに迎えられて、いよいよ熊本城へ。
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最初の建物は<未申櫓>(ひつじさるやぐら)で、西出丸の南西角にある三階櫓のことだそうです。
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入り口入ってすぐが被災した西大手門。いきなり崩壊の痕を見せられて、熊本地震の大きさと熊本城被災の酷さに度肝を抜かれました。
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さらに進むと、やっと熊本城の天守閣が現れました。
ウイキペディアによれば、<三大名城>の姫路城・名古屋城・大阪城は、主に城廓の規模を基にした選定。<三名城>の名古屋城・大阪城・熊本城は、城造りの名手とされた加藤清正、藤堂高虎が普請した城のうち、特に機能美に優れた3つの城。つまり、熊本城は“名城”そのもなのです。
熊本城は、熊本地震(2016年)で被災しました。城内の掲示「天守閣の被災」によれば、大天守最上階屋根の鯱(しゃちほこ)や瓦が落下、内部では6階の柱が損傷、内側が崩落・変形したが、外面の大きな変形はなかったそうです。小天守も被災しました。ご覧のように、痛々しい姿も見られました。
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熊本城を見終わって「加藤神社」に向かいましたが、途中で「大小天守と宇土櫓」が望まれました。
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続いて<戌亥櫓>(いぬいやぐら)、名前の通り、前出の<未申>(ひつじさるやぐら)の反対側、すなわち西出丸の北西角に位置する三階櫓。
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加藤神社に向かう。
加藤神社HPによると、「熊本城内に鎮座する加藤神社は、熊本発展の礎をきずかれたセイショコさん(加藤清正公)をお祀りする神社」。ご覧のように、<加藤神社>と並んで<仰清正公>の幟が林立。
加藤清正の熊本での人気は高いですね。肥後熊本藩の初代藩主。<隈本城>に入り、改修を加えて<熊本城>とした。加藤神社の祭神。
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少し行った所の<棒庵坂>を発見して歩きました。
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近くに地震で崩落したと思われる瓦や石の集積があった。熊本城のそれか、別のものかは掲示がなかったのでわかりませんが。
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マップ見ると<慶宅坂>が近くにあるなるので、見つけて歩きました。
<法華坂>もと思いましたが、だいぶ疲れてお腹も空いてきたので、正午過ぎたところで歩くのをやめました。13時に市電洗馬橋近くの中華店で、坂巡回の打ち上げが予定されている。
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少し時間があるので、喫茶店で休憩しよと思ったが、見つからないので、通行人に軽食喫茶の店はないかきいた。市電の一つ先の喫茶店へ案内してくれました。東京からきた高齢者への親切心でしょう。
行ってみて驚きました。古い由緒ある建物で、1階が長崎次郎書店、2階が長崎次郎喫茶店。店員さんの話では、建物は熊本県と国の重要文化財とか。
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美味しいコーヒーを頂いてしばし休息。坂巡検打ち上げの13時近くなったので、そろそろ行こうかと店を出たら、巡検本隊がちょうど帰ってきたので、合流して打ち上げ会場へ。坂巡検の成功を祝して、松本会長の温度で乾杯。
14時解散。帰宅する人、長崎や鹿児島方面へ足を延ばす人。私は熊本に滞在、今日の残りと明日一日かけて熊本市内見物となりました。
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14時に解散したので、今日は日没まで3時間はある。何処にしようかと考え田結果、<水前寺公園>と旧制五高の熊本大学へ行くことに決めました。漱石が五高教授で英語を教えていたことを何かで知っていたので。
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水前寺公園にたどり着いたら<水前寺成趣園>の看板。<水前寺公園>のことなのか、それとも、水前寺公園と水前寺成趣園の二つがあるのか?近くのお店の人に尋ねたが、はっきりしない。仕方ないのでスマホで調べたら、公園は通称で成趣園は正式名称。
水前寺清子さんの生まれ故郷でもあるらしいので、ともかく寄ってみよう、と軽い気持ちで行きました。ところが、想像以上のすごーい公園に驚き「来てよかった!」。写真をいっぱい撮りましたので、行ったことのない方はじっくりご覧ください。
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今日の締めは、旧制五高の<熊本大学>へ
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明日は、1日かけて阿蘇めぐりです。次号の<隈本4泊の旅>(No.6)をお楽しみに!
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『秀樹杉松』111巻2954号 2019.12.22/ hideki-sansho.hatenablog.com #594