秀樹杉松

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鈴木旭『古代みちのく101の謎』を読む(5)~ ◉神武天皇は何者だったのか、◉「神武東征」とは何だったのか。

 

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鈴木旭『古代みちのく101の謎』を読む(5)~ ◉神武天皇は何者だったのか、◉「神武東征」とは何だったのかをお届けします。

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66 神武天皇とは何者だったのか ー 渡来人「日向族」の王

 

1)『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)「葦原談義」によると、「太古ひとつかみの稲穂をもって日の国(南蛮)より我が国の筑紫に来る一族」があったと言う。日向族と名乗る一族である。日向族筑紫国(北九州)に上陸したらしく、そこで猿田彦(猿田族)に出会った。

 

2)最初は驚いた猿田族も「異国の珍しい物品を贈られ」たり、「みめうるわしき宇津女と称す彼の一族より贈られし女と酒に心身をして己が一族共々その従僕になりさがれり」と言う有様だったという。挨拶がわりのプレゼント攻勢に出会った猿田族は、渡来人の手練手管に翻弄されたらしく、古くから住み慣れた土地を明け渡してしまった。

 

3)その結果、猿田族を併合した日向族は、猿田族から引き継いだ土地で「農を営み長き年月をを経して、遂には筑紫の国を掌中に治し土民より活き神の座に崇められたり」と言う。猿田族を手なずけるのに成功した日向族は、あろうことか邪馬台国の神々を真似て「天御中主神が族祖である」と語り始めた。

 

4)遠く海を漂流して日本列島に上陸した日向族は、いわば “ボート・ピープル”であり、取るに足りない少数派でしかなかったことだろう。当然ながら、先住民の反感を買うのは避けなければならないし、その力を利用しなければならない。

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<編注>

ボート・ピープル=紛争・圧政などのもとにある地から、漁船やヨットなどの小船に乗り、難民(経済・政治)となって外国へ逃げ出した人々(ウィキペディア

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5)驚くべきことに、「(日向)一族の予言者に比味子と称す若い女」があったという。『魏志倭人伝』に出てくる卑弥呼と同一人物なのかどうか、なんとも言えないが、同じ読みの名前である。九州の先住民たちは「天国(あまつくに)より来る神」と信じ、「先を争ふて日向一族に味方し、忠誠を以て、死をも恐れぬ諸國侵征(神武東征)の基をなせり」という状況が出現したという。

 

6)そうして、ボート・ピープルの集団に過ぎなかった日向族は、あっという間に急成長を遂げ、九州を代表する勢力を築き上げることになったのだという。後に大和の地にはいり、神武天皇となるイワレヒコは、その日向族の若きプリンスであった。

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7)「神武東征」とは何だったのか ー 鉄資源略奪戦争

 

(1) 日向族が日本列島に上陸したのはいつの頃なのか、はっきり判らない。『東日流外三郡誌』にも明確な年代の記載はない。一掴みの稲穂をもって上陸したことが強調されているところを見れば、早ければ縄文後期、遅くとも縄文晩期の頃と思われる。縄文人の食料事情も次第に厳しくなりつつあった。

 

(2) そんな時、一掴みの稲穂を持って現れた日向族の登場は、やはり、「天の救い」に見えたことであろう。先住民たちは、渡来人たちが里の低湿地で育てる稲穂を眺めやりながら、羨んだに違いない。食料資源の枯渇に悩まされ、苦しい状況に立ち至っていたことは容易に想像することができる。

 

(3) 一方、渡来人にとっても先住民が住んでいる山の麓で採れる砂鉄が欲しかった。日本列島には砂鉄の産出地が多く、全国各地、到るところで砂鉄を採取することができた。日本列島ニュージーランド、カナダと並んで、砂鉄の世界三大産地になっている。鉄資源が豊かであれば、いくらでも山野を開墾し、田地を開くことができる。そう踏んだことは間違いない。しかも、山には砂鉄を精錬するために必要な燃料(薪)が豊富である。

 

(4) そこで始まったのが「神武東征」だった後に神武天皇となるイワレヒコが訪れたところ辿っていくと、例外なしに砂鉄の産地になっている。イワレヒコが率いる日向族は、その後筑前から安芸に転戦し、キビに到達しているが、ここも有名な鉄の産地である。古代以来、吉備を歌う枕詞に「まかねふく」というワンフレーズが出来上がったのは偶然ではない。「まかね」とは真金、すなわち鉄のことであり、「ふく」とはタタラによる精錬技術を指している。

 

(5) 結局のところ、イワレヒコ西日本における鉄資源を独占し、古代日本では最大の“鉄鋼王”になることができたからこそ、軍事面でも、農業面でも、数ある渡来系部族の中でも最大勢力にのし上がったり、長髄彦らの縄文系部族を打ち破って大和朝廷を開き、日本最初の大王(天皇)になることができたのであろう。鉄の力がバックボーンになっているのである。

 

(6) かつてはボート・ピープルに過ぎなかった日向族が、縄文日本の聖地である大和に入り、そこで大王となったのは、おそらく、縄文晩期の頃であったかもしれない。

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写真:Atelier秀樹

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秀樹杉松』117巻3674号 2020.10.24/ hideki-sansho.hatenablog.com #714