秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

わが山歩記(後編)~ 「父子山行記」

 



<編註>

 ○以下の「わが山歩記」は14年前に執筆したものです。長文の登山記録ですので、山行記の本体部分は全面割愛し「概論」部分は前号に投稿しました。本号には「父子山行記」を投稿掲載します。ご高覧覧いただければ嬉しいです。

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【脚本執筆】Atelier秀樹

【登場人物】

 パパオ(父)、Y=ユータン(次男)、ママコ/ママゴン(母)

 ミドリ、コロタン、モモ( Yが可愛がっている人形)

【時代】

 Yの8歳から11歳(小学校2年~4年)だから、約45~47年ぐらい前?

【隠語】

 山歩きすると、必ずと言ってよいほど「大」を催す。NKOとズバリいうのを憚って?父子にしか通用しない”隠語”が使われた。

    ⚫︎大きな用足し、⚫︎「大」先輩⚫︎カシコマリマシタ・コ⚫︎N?・コ

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○14回に及んだ「父子山行」を、メモと記憶をもとに以下のようにまとめました。

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 Yとの「父子山行記」

 

 ○次男Yと山に行ったメモが残っている(確認できただけで12回)。親子で一緒に山に行くのが嬉しくてたまらなかったので、その都度書き留めてあった。当時小生は書道をやっていたせいか、全部が半紙に筆で書かれている。山から帰ったその日に取り急ぎ認めたものなので、文章は整理されていない。

 

 ○くどいところや分かりにくい箇所があるかも知れないが、その分臨場感に満ちており、小生が読めば、彷彿として当時が思い出される。だが、Yがどこまで記憶しているかは分からないが、これを読めば記憶がはっきり甦るかも知れない。ここに収録するのは、Yに読んで貰いたい為でもある

 

 ○何故Yを山に連れて行ったか。Yは小児喘息気味だったので、綺麗な空気を吸わせて体力をつけるには山が一番いい、と判断したから。自分が行ったことのある安全な低山に連れて行けば、本人も喜ぶし、父としても子供と一緒の山行きを楽しめたからだ。父子の対話も深まり、一緒に行動する時間も増えたのはよかったと思う。

 

 ○2人にしか通じないような、”隠語”が出てくる。山へ行くと必ずと言っていいほど、「大」を催した。大きな用を足す」、「大」先輩、「ン?・コ」、「カシコマリマシタ・コ」など、Yが思い付いた隠語だ。いろいろ面白おかしい話をしながら、親子が思いっきり山歩きを楽しんでいたことが分かる。

 

 ○Yは時として、普段可愛がっている人形のコロタ、モモ、ミドリを連れて山に出かけた。ダッコしたり、オンブしたり。自分の弟や妹のつもりだったかな?。そうした心遣いが、山行きを楽しくさせたように思う。

 

 ○メモを読めば分かるように、Yの希望でコースを変えたり伸ばしたりしたこともある。なるたけ多く楽しんで貰うためであったが、その結果として予期せぬハプニングに遭遇したり、きつい行程になった場合もある。親としては「安全登山」を第一とし、判断を誤ることのないよう細心の注意を払ったのは言うまでもない。

 

 ○本当なら、オニギリを持って山に行くのが常識だが、早朝の出発ということもあり、ちゃんとした昼食を用意できなかったこともある。現在のように、コンビニが発達していなかったので、途中でオニギリを仕入れることもできなかった。小生の不如意からYにひもじい思いをさせたのではないか。これが一番心苦しいことであった。

 

 ○たしか、御岳山・大岳山、御前山に行ったときだったと思うが、昼飯時に隣り合わせた人が見かねて「オニギリをどうぞ」と差し出してくれた。(Yは嬉しそうに手を伸ばしたのに)「いえ、結構です」と小生が断った。これに関しては、Yに申しわけないことをした、と今でも悔やんでいる。

 

 ○自分は子連れの山行きを堪能し、Yも喜んだことは確かで、父子登山は成功したと思っているが、正直言って、Yにとってはいつも楽しかったとは限らないだろう。「ただ疲れるだけで、山なんか面白くもない」と思ったことが、あったかも。しかし今となれば、懐かしい楽しい想い出に化していると推察する。

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【御岳山】1975年(昭和50)年12月?日 <T、Yと三人>

 

 新宿→御岳→御岳山→日の出山→御岳山→御岳→新宿

 

 ○T(長男)とY(次男)の三人で行った奥多摩。大切な初の父子登山だというのに、記録がない。子供二人を連れて行ったことは確かだが、今となっては詳細な記憶も浮かばない。残念!。

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【御岳山/養沢鍾乳洞】1976(昭和51)年11月?日(日) <Yと二人>

 

 新宿→立川→御岳→御岳山→日の出山→養沢鍾乳洞→上養沢→武蔵五日市→立川→新宿

 *記録をつけたように覚えているが、惜しいことに見つからない。はっきりしていることは、鍾乳洞に入ってYがすごく喜んだ

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【奥武蔵】1977(昭和52)年1月16日(日)晴れ <Yと二人>

 

 ○10時過ぎ自宅出発。11時池袋発準急で12時半頃芦ヶ久保駅」下車。軽い昼食(山菜そば)をとり、芦ヶ久保果樹公園村に向けて出発。日向山山頂に行く予定を急遽変更して、丸山をめざす。3時前に丸山(960)山頂に達す。(途中、Y大事な用を足す)

 

 ○昼食をすませて下山。芦ヶ久保駅に戻る予定をやめて、金昌寺を経て秩父市に出ることにする。5時過ぎに金昌寺に着く。秩父札所四番にあたる金昌寺の1300余の石仏に驚く。5時24分のバスで西武秩父駅につき、急行で池袋に7時過ぎ到着、8時過ぎ帰宅

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【陣馬~高尾】1977(昭和52)年3月20日(土)曇天  <Yと二人

 

 ○9時3分方南町駅出発。9時40分新宿駅発(京王線特急)。10時20分、京王八王子駅着。11時5分発西東京バスにて陣馬高原へ向かう。12時25分、途中混雑のためバスが遅れて終点「陣馬高原下」に着く。1時25分、和田峠到着。10分間休憩。同35分出発。

 

 ○1時50分、陣馬山(857)山頂へ達す。昼食。Y「みどり」、「ころ」白馬に乗る。曇天のため展望、特に富士山・丹沢見えず。途中から丹沢山塊かすかに見えるようになる。大岳山、御前山などの眺望は良し。権現山、扇山も霞の中に見える。

 

 ○2時30分「ころ」「みどり」をYがオンブとダッコして陣馬山を出発。3時明王。3時20分明王峠出発。4時30分景信山(727)着、35分発。5時小仏峠に着き、時間が遅いので高尾駅へ下山するか、高尾山へ出るか思案の末後者採る。

 

 ○6時高尾山(600)山頂。時既に周囲暗い。黒猫と戯れ、白猫薬王院迄ついて来る。真っ暗闇の中を1号研究路を通り下山。(リフト、ケーブル終業)。途中大声で歌をうたって、Yがこわがるのをなだめる。7時10分山麓。32分高尾山口駅。7時32分急行に乗り、8時25分新宿着

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【丹沢表尾根(塔ノ岳)】1977(昭和52)4月3日(日) 曇りのち晴れ <Yと二人> 

 

 ○Y、前夜より興奮気味。朝5時半起床。飯を炊くのも面倒なので、即席ラーメン一袋を二人で朝食とする。「みどり」「コロ」連れて6時半出発。6時46分、方南町駅発。7時18分小田急急行にて新宿発。8時29分大秦野下車(1時間10分、300円+150円)。

 

 ○大秦野駅発神奈川中央バス休日のため増発あり、8時40分発に乗り9時蓑毛着。休日ににつき、此処から出ているバスに乗り9時25分にヤビツ峠に着く。春休みのせいか子供連れも多くバスは超満員。年輩者も多かったが大山へ登る団体の様子。(バス料金、大秦野~蓑毛120円+60円、蓑毛~ヤビツ峠170円+90円)。蓑毛からヤビツ峠へ向かうバスから見る路傍の山桜が美しい。

 

 ○バス停前売店でこれから始まる丹沢表尾根縦走行に備え、飴玉1袋とチリ紙を入仕入れ9時30分出発。海抜761mだという。生憎の曇天のため寒さを感じる。それでも初めての丹沢という興味に加うるに、鶯がホーホケキョ、ホーホケキョと啼くのを聴きながら歩く気持は最高。山で鶯を聴くのは本当に久しぶり。9時55分、冨士見橋、冨士見山荘前に到着。寒い。ホットミルクコーヒー。

 

 ○10時07分、菩提峠に通じる車道に出る。最初から急登の感じ。Yが別の道をとってあとで合流するといったまま姿が見えなくなったのであわてる。先を行っただろうと追いかけ呼んでみたが返事がない。そこで道路に引き返して探したが見当たらず。全然違う道に行ったかと思って探しても見つからない

 

 ○それではやはり先の方を進んでいるのかと思い、再び登りを開始、きつい登り路を息をはずませながら走る。走りながら何回も「ユー」「ユータン」と連呼すれども返事なし(あとでわかったことでは、Yは全然心配することはなく、そのまま追いかければ直ぐ追いつく筈であった)。

 

 ○かなりきつい急登が続く。土質が軟らかで滑りやすい。途中霧が出はじめ隣の大山も中腹以上は雲に隠れて見えない。折角Yを連れての塔ノ岳登頂も、展望が楽しめないのみか、場合によっては雨にも見舞われるのではという気持になる。

 

 ○そんな気持も高度を増す毎にうすれる。あたりにも霧が見え展望が狭まる。10時45分、月見山荘のある二ノ塔(別名:太平山1144)に到着。間近の三ノ塔も霞む程のガス。犬二頭が登山客になつく。

 

 ○11時、三等三角点のある三ノ塔(1205)に着く。天気好ければ最高の展望らしいが、スモッグのため目的を果たせぬまま小休止ののち出発。天候も考え先を急ぐ。下りは急でガレ場でクサリが現れる。再び登ると烏尾山(1136)に着く。11時45分、行者ヶ岳を通過、クサリ場を続けて二つ経験。Yと二人で緊張しながらスリル満点

 

 ○12時23分、新大日の頭(1342m)に着き、茶店で昼食。カップうどん(300円)で寒さと疲労をいやす。Yジュース居合わせた二人連れの女性登山者から弁当を少しわけてもらう。非常に助かる

 

 ○途中もう一人とも道連れする。40分後の1時05分、塔ノ岳目指して出発。1時18分、木ノ又大日。途中周囲一面に霧が立ちこめ、風も強まり寒さも増す。雨にならないよう祈念しつつ塔ノ岳山頂を目指す。

 

 ○1時40分、最終目標の塔ノ岳(1491m)に到着。折悪しく風強く展望悪い。併し、風のために雲の流れも速く、ところどころ眼下の山が見えては消える。結果的には30分も頂上に滞留すれば雲も消えて展望が開けたわけだが、それとは知らずとにかく雨にならないうちに山を下りようとの気から早々に下山、帰路につく

 

 ○皮肉にも下るに従い天候も回復。(高度が下がったせいもあるが、それまで曇っていた三ノ塔もはっきり見えるようになったところをみると、やはり天候自体の回復といえる)。2時15分、鍋割山稜への分岐点:金冷やし着、左へ道をとり少し登り花立に着く。やっと展望が開けるようになる。2時30分、堀山の家を通過、道はゆるやかになり松林のさわやかな尾根道をたどる。

 

 ○太陽も照り展望は開け道はゆるやか。前半の苦労も吹っ飛ぶ。3時30分、駒止小屋。完全に晴れわたり、塔ノ岳はもとより遠方の箱根方面の山並みも見えるようになる。途中の平坦地でYとキャッチボール(4時)。4時30分、一本松下見晴小屋で休憩。ジュース、Yはアイス。4時50分、大倉高原山の家通過。5時25分、やまびこ荘

 

 ○5時40分、大倉バス停着。臨時増発の神奈中バスにて渋沢駅。6時08分、渋沢駅発(急行新宿行き)。途中各駅に乗り換え、7時半新宿着。8時帰宅。歩行時間の長さ、前半の天候、急登、急降、粘土質などが大変な登山ではあったが、想い出多いものとなった。Yが良く頑張った

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【丹沢大山】1977(昭和52)年4月24日 <Yと二人>

 

 ○朝8時半頃、小田急にて新宿発、伊勢原下車大山ケーブル行のバスに10時5分乗車。(バスの間隔が5分で、少し待てば座れる)。過般の事故の為保安点検中につきケーブルは運休中。ケーブル終点の阿夫利神社下社迄の登りは意外ときつい。幼児連れは親子共大変の様だ。下社の休憩茶屋で軽い昼食をとり、しばし休憩。時計は正午を指している。

 

 ○大山頂上を目指して再び戦闘開始。まさしく戦闘。自分は二回目だがYもきつそう。団体登山者も目につく。大山(1252)頂上に着いたのは1時半頃。頂上の裏側から、前回Yと登った丹沢表尾根を眺める。大倉尾根から見上げるのとは丁度正反対。

 

 ○二ノ塔、三ノ塔、烏尾山、行者ヶ岳、新大日から塔ノ岳へと続く表尾根は二週間前は霧が立ちこめていたが、今日は比較的良好な天候。人出も多いだろう。丹沢山、丹沢三峰も美しい。丹沢山の背後には蛭ヶ岳が見えた。前回は下山コースをヤビツ峠にとったので、今日は日向山経由で下山。思いのほか道がけわしい。

 

 ○階段状の下りは展望台(見晴台)まで続く。見晴台を過ぎると間もなく「九十九曲」と名付けられた道に入る。名の通り左右に曲りながらの下山。Yが数えたところでは70余曲りが確認された。九十九曲を過ぎると伊勢原青年の家から車道に入る。ダム建設予定地にYがン?コ

 

 ○疲れたので日向薬師に立ち寄るのはヤメ。バス停への途中、日向川の鱒釣所付近でYが渓流に遊ぶ二人ともへとへとに疲れ、夜8時に帰宅

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【比企丘陵】1977(昭和52)年5月1日 <Yと二人

 

 ○メーデー参加の予定だったが、Yに負けてハイキングへ。一度は行ってみたいと考えていた東京天文台観測所のある、又、一等三角点を有する比企丘陵の堂平山と隣の笠山を目指すことになった。

 

 ○8時前方南町出発。新宿8時6分、池袋8時50分発の東上線準急に乗車。(注:10分後発車の上長瀞行特急の方が先についた。今後の為)。10時15分小川町下車。直ぐ白石行のバスに乗り、10分後切通で下車、昼食を仕入れた後、10時25分、8時間余りに及んだ行程のスタートを切る。

 

 ○丹沢や陣馬あたりは連休で混雑するだろうという考慮も働き、人出の少ないと思われるコースを選んだが、予想以上に人が少ない笠山への道程は3時間もかかったが、途中誰一人ともハイカーと出会わなかった。選んだ場所にもよるが、山へのアプローチコースを歩行距離の長い方を選んだことも作用したらしい。

 

 ○その証拠に笠山や堂平山で出会った家族連れや若人の集団は、小川町からのバスで終点の白石で下車して、先ず堂平山(歩いて1時間40分)に行き、それから笠山に向かうようだ。(笠山には行かないハイカーも少なくない)。その方が歩行時間も少なく、帰路も笠山から皆谷に出られる。それは承知の上で新緑の山を満喫する目的で敢えて長時間(実に3時間)のアプローチコースを選んだ

 

 ○もっとも、Yがバスに弱いから、できるだけバスに乗る時間を短くしてくれという注文を配慮したこともある。笠山迄のコースは舗装道路が栗山部落まで約2時間も続いた。地図の道路とは多少違っていたし、途中で尋ねもしないのに集落の老人が道を教えてくれたように、歩道は最近完成したもよう。舗装なので山の感じは幾分薄いが、考えてみれば距離が長いわけだから道路が良い方が助かる。

 

 ○丹沢とは違い、山は樹々におおわれ一面の新緑と道ばたの花々、さらには樹葉をふるわせて聞こえてくる鶯の啼き声等は、絶好のハイキング日和も加わり、道路が気にならない。山から転落した仔蛇が自動車に轢かれてやっと這っているのが印象的だった。10時30分、舗道を過ぎて山道にさしかかった栗山集落の先で昼食をとる。

 

 ○汗で背はグッショリ。1時前出発。腹ごしらえしたものの、それ迄とはうって変わって樹林帯の急な山道登りはきつい。1時40分、バスを降りてから3時間15分後やっと笠山(837)頂上へ着く。最初の峰は笠山神社のあるところで展望は良くない。直ぐ隣の西峯は多少展望がきく。全体として見晴らしのきかない山だ。周囲の樹を切ると良いと思うが、考えてみれば自然保護の観点に反することになると納得。

 

 ○二組の親子連れに会う。どちらも白石→堂平山→笠山→皆谷のコースだ。3時前、最終目的の堂平山(876)頂上に到着。一等三角点を楽しみにして来たわけだが結局見られなかった。立入禁止の場所にあるかも知れないし、見落としかも分からない。東京天文台観測所のドーム脇の台地は芝生もあり素晴らしい展望だ。

 

 ○霞がかかっていたので遠隔の山は明瞭ではなかったものの、絶景である。久しぶりで見る武甲山の武骨な(?)姿が美しく懐かしい。汗で濡れたシャツを交替したり乾かしたりした後、堂平山を辞す。当初の予定では此処から白石のバス停に出るか、時間があれば慈光寺を経て八高線に出る腹づもりだったが、Yの懇望もあり奥武蔵の大野峠に出てそこから西武秩父線芦ヶ久保へ出るコースを真剣に考えた。

 

 ○その場合帰宅は9時を過ぎることは必至なので決断に迷ったママゴン(母親)のツノも頭にちらつく。結局Yの希望を受け入れ、帰宅時間の見通しもたったので大野峠に決定した。そうこうし愈々堂平山に別れを告げ、堂平山と同じぐらいの高さの山を三つ越えて(車道も勿論ある)4時5分に白石峠に出る。白石峠は四差路となっており、此処から切場坂峠方面という道標に従って大野峠に向かう。

 

 ○追い越す車、対面からやってくる車、殆どが自家用車。Yは覚えたての知識を駆使して行き交う自動車毎に車種を言い当てては得意げだが、山に来て迄車と付き合うのかと感心。それにしても、山中での排気ガスに閉口。4時30分高篠峠、高度を高め川越市山の家を通り過ぎ、5時5分やっと大野峠に辿りつく。

 

 ○此処から芦ヶ久保駅へのコースで考えた。時間があれば当然丸山を経て日向山から駅へ出たいところだが、時間ないため樹林帯の近道をとる。途中展望のきくところがあり、武甲山、武川岳、二子山等が懐かしく美しい。相変わらず鶯が啼くが、幼かりし頃を更に想い起こさせたことは、子供の頃路傍のスカンコをとって塩をつけて食べて遊んだことだ。

 

 ○6時半大野峠を下って車道に出た頃は、そろそろ周囲は薄暗い。疲れた足で芦ヶ久保にたどり着いたのが7時丁度。急行はなく、7時7分の準急(7時30分の特急より2分だけ遅く池袋着)で芦ヶ久保駅発。8時48分池袋。帰宅は9時半を少し過ぎる。案の定ママゴン(母)角丸出し

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【御岳山→大岳山→御前山】1977(昭和52)年5月29日(日)

 <Yと二人>

 

 ○課の中で音頭をとる人があり、御岳山→日の出山→上養沢鍾乳洞コースで何人か行くことになり新宿駅で待ち合わせしたが会えず、単身行動。コースも予ねての計画通り大岳山

 

 ○8時51分御岳行きの特別快速で10時御岳駅着。1時間余りで着く。御岳行きはこれに限る。バス利用者が多く、2台目に乗車。ケーブルカーにも長蛇の列。過般の千葉県鋸山や丹沢大山の事故の直後のせいか、定員厳守の乗車。御岳平の茶屋で朝食の補充。(朝パン一枚のみ)。

 

 ○霧のため視界悪く、近くの日の出山がかすかに見えるのみで展望ゼロ。リフトには乗らず、御岳平から参道を経て御岳神社(御岳山929)へ。神社へは行かず、神社の真下から大岳山への道に入る。大岳山へ直接行く道から右へ入り、奥の院、鍋割山経由のコースを通る。元旦初日の出を拝んだコース。

 

 ○奥の院への道の途中、Y、大事な(半年前、父が足した所付近)奥の院から鍋割山への登頂は少しきつい。クサリもある。鍋割から大岳へのコースは前半はすごく歩き易く鶯と時鳥が啼き交う。先刻分かれた大岳への直線コースと合流してから大岳への登頂も本格化しクサリや鉄ハシゴも出現する。

 

 ○1時半頃大岳小屋にたどりつく。大賑わいの大岳神社に参拝して愈々頂上目指して最後のフンバリ。異容とされる親指を立てたような、大岳の山頂は急登の連続。2時大岳山(1267)食糧不足。Yが空腹を訴える。頂上の小屋ではジュース類しか売っていない。パンか弁当持参できなかったのがまずかった。御岳平で仕入れたマンジュウで空腹をしのごうとするが思うにまかせぬ

 

 ○展望もきかないし時間もないので下山。鋸山から鋸尾根を経て奥多摩駅に出ることにする。Yが御前山にも行きたいというし、できれば・・・と考えながら、鋸山頂上で雨の心配もなさそうだし、時間的にもギリギリ何とかなりそうだと判断、御前山を目指すことに決断。元旦のコースなので熟慮の上での判断。時に3時半。

 

 ○大ダワから鞘口山を経て5時半少し前に御前山(1405)頂上。元旦は小河内峠から奥多摩湖に下山したが、今日は大ブナ尾根を通りサス沢山のマキ道を下山することにした。サス沢山頂上を経て下るコースもあるが、時間も遅いので湖畔に早くたどりつくため通常のコースであるマキ道を選ぶ

 

 ○昨年夏Tと二人で登り途中で引き返した道だから安心。ところが、何処まで来ても夏に来た道らしいところにたどりつかない。大分暗くなりはじめた頃、山頂みたいなところに達する。三角点らしきものがあるがYは否定。脳裏に「サス沢山ではないか」の考えがちらつく。

 

 ○山頂を下りはじめると急坂となる。サス沢山のコースに入りこんだとの確信が強まる。いずれにしても、下りきれば湖はまちがいない。猛烈な急坂で何度かすべって尻もちをつく。途中で道標があり、真っ直ぐの道が「サス沢山を経て奥多摩湖へ1時間20分」、左への分岐が「水久保を経て小河内ダムへ40分」となっていたのを思い出す。

 

 左への分岐がとるべきコースだったわけだが、右へとった(いや、直線コースをとった)。「サス沢山を経」るとは要するに、これを行けばさらに途中から頂上コースとマキ道にわかれるのだろうと考えたからだ。又、左への分岐がむしろ小道で通常コースではないだろうと早合点したのがいけない。

 

 ○結論的にいえば、知ったつもりをして地図をとり出して確認しないのがいけなかった元旦に小河内峠経由の時も途中の分岐を左に行ったため、遠回りした経験を繰り返したことになる。その時も地図を見ずに、どちらを行っても途中で合流するだろうと考えたのがいけなかった。

 

 ○考えてみれば、御前山からの下山コースは元旦とは異なり、初めてにもかかわらず一年前途中まで登って来たことがあるからとの安心感は、反省を要する初めてのコースは必ず地図を出して照合確認すべきことを教訓としたい今回のサス沢山コースは結果として近道だったわけであり、最後の急降下を除けば楽なコースであり、最初からその積もりで通れば面白かったことになる。

 

 ○とにかく、これで御前山からの下山コースを三つ覚えたことになる。小河内ダムに下山したのが7時40分。夕食をとり8時2分のバスで水根から奥多摩駅へ。8時32分発の青梅線で帰路へ。11時帰宅今日は反省すべきことが多い。帰宅時間が遅くなり過ぎたことも含めて

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【陣馬・高尾】1977(昭和52)年10月23(日) <Yと二人>

 

 ○朝7時出発。コロタン(人形)の誕生日なので、そのお祝いの意味も含め、コロタンを連れてYとママ子がブツブツ言いながらも、めずらしくにぎり飯をつくってくれる。

 

 ○7時40分京王線特急で新宿発8時20分京王八王子駅到着スタンプ帳を二人分もらう。8時30分発臨時増発バスに乗り、9時15分陣馬高原下で下車(スタンプ)。絶好のハイキング日和の日本晴れの天気。1時間後の10時30分和田峠着、10分間の休憩の後陣馬山へ直登。Yが数えたところ、木の階段は518

 

 ○20分で陣馬山(857)山頂。物すごく素晴らしい展望。奥多摩と丹沢の山並みが特に美しく、秀麗富士山も見える。直ぐ近くの権現山扇山、生藤山も綺麗だ。Yコロタンを白馬に乗せる秋の展望を心ゆく迄満喫すること一時間余。昼食をすませて12時5分名残を惜しんで下山。頂上から良く見えた景信山をめざす。(Y、カシコマリマシタ・コ

 

 ○12時45分明王。約30分秋の明るく暖かい(暑い!)陽光を浴びながら休息、丹沢の山系を眺望する。堂所山は巻き道をさけて頂上を通る。2時15分景信山(727)山頂へ到着。奥多摩はもとより奥武蔵まで展望できる。3時5分出発、25分小仏峠、3時45分城山相模湖が綺麗だ。4時35分高尾山(600)到着。

 

 ○途中、Yがパパオ(父)を後ろから押して坂道を走らせては喜ぶ時間も余りないので、4時50分出発、5時5分薬王院、5時半ケーブルに乗り高尾山口駅5時45分着。6時2分高尾山口特急発車、新宿6時55分着。7時半帰宅。すごく楽しい一日であった。コロタン誕生日おめでとう !

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【陣馬から明王峠を経て相模湖へ】1978(昭和53)年正月2日(月)<Yと二人>

 

 ○新春元旦に初日の出を拝みつつ登山をと考えていたが、天候不良につき今日に延期。初詣でもあり、御岳、高山不動も候補にしたがYの希望で陣馬に決定。朝始発で出発も考えたが、結局起床が遅れるなどして普通のスタート。このため高尾山に出るコースは断念し、いつか行ってみようと思っていた相模湖に下りることになった。

 

 ○9時50分方南町発。10時20分新宿発京王線特急。11時5分京王八王子発バスで12時陣馬高原下到着。徒歩出発。気温も低くはなく、その上風が全然ないため、正月とは思えぬほど暖かい。衣類が余分なくらいだ。手袋なしで平気。バスで終点まで来た人は、我々のほかはたった一人だ。それも登山者ではない。閑散たるものだ。

 

 ○おそらく反対側の高尾山は人で賑わっているのだろうが、陣馬へ行く人は皆無に等しい。途中自動車が何台か通ったのみで、和田峠への道は閑静だ。これ迄はカメラがなかったため頭への記憶のみで写真が全然なかったが、今日からは違う。写真撮影という楽しみがふえた。

 

 ○1時5分和田峠着。陣馬から下山してきたと思われる家族連れや自転車の中高生もいる。やっと人に会った感じ。小休止、撮影の後陣馬へ直登開始。Yは例によって階段を数えながら登るパパオはそのYを撮ったり、和田峠の反対側に見える生藤山・醍醐丸等をパチリ。陣馬から下山する人に何人か合う。やはり今日は高尾山に初詣したのちに景信山を経て陣馬に足を伸ばす人が普通のようだ。

 

 ○1時30分陣馬山山頂(857)へ着く。Yは腹が減ったといって早速パンを食べ始めるパパオは天気が悪くならないうちにとパチリパチリ。Yを例によって白馬に乗せて待望の撮影コロタが居ないのがさびしいウマ年だから陣馬をもっと宣伝すればと思うほど人が少ない。(4組のうち、2組はハム族))

 

 ○3時15分明王着。相模湖に下る。すばらしいハイキングコースだ。左手には明王峠から景信山・城山・高尾へと続く尾根が美しく見える。とにかく絶好の道と風景だ。大明神山・子孫山あたりからの相模湖、或いは対岸の石老山の眺め、相模湖町の見おろしなど素晴らしい。

 

 ○しばらく急な下りののち、日本武尊をまつってある與瀬神社にたどりつき初詣(4時30分着)。4時45分神社を発ち相模湖駅に5時15分着き、5時37分発上り列車に乗り次の高尾駅で乗り換え、6時2分の快速で荻窪下車。地下鉄のりかえ7時30分帰宅満足な一日であった!

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【百蔵山・扇山】1978(昭和53)年1月15日(成人の日) <Yとコロタと>

 

 ○連休に来訪する予定だった足利の妹一家が、風邪のためで急に来られなくなったとの電話を前日に受け、急遽山行きを計画。かねて考えていた扇山と百蔵山への登山に決定、幸い予報では好天の見通し。早朝5時方南町始発の電車に乗る。あたりは未だ暗い。

 

 ○新宿5時35分発の高尾行(24分は休日は豊田行につき)に乗車。高尾中央本線小渕沢行始発(6時45分)を利用。日の出の時刻ともなり周囲はやっと明るさを見せている。車内から見る相模湖の付近は一面もやがたちこめている。列車は何回かトンネルをくぐる。上野原あたりから手前に扇山、向こうに百蔵山が見え始め、朝日に映えた山容は予想以上に美しく、カメラを急遽取り出してパチリ。

 

 ○7時23分猿橋に着く。百蔵山と扇山がすばらしく綺麗だ。改札を出る前に駅の跨橋からまたパチリ。切符を高尾迄しか買い求めてなかったため精算。その際係員が勘違いしてか20円多く請求。支払った後で引き返して返却させる。どうも朝からついてない感じが少々する。

 

 ○猿橋駅から百蔵山へのコースは吊橋経由(近道)と日本三大奇橋の一つ・猿橋経由の二つがある。両方見たいというYの希望もあり、遠回りではあるが後者を採る。猿橋と吊橋で写真撮影。吊り橋と百蔵山への登山路のことで通行中の中学生に尋ねる。

 

 ○8時30分吊橋を出発。間もなくパパオが我慢しきれず大きな用を足す市が造った百蔵山へのハイキングコースをたどる。百蔵山は近づくにつれ益々美しくなる。間もなく富士山が見えはじめ、やがて雪におおわれた秀麗な姿を全面的に見せるようになる。写真で見る富士以上の絶景だ。雲一つない。思わずカメラを向ける。

 

 ○さらに大菩薩小金沢連嶺道志山塊をはじめ、素晴らしい展望が次第に開けてくる。さて、ハイキングコース(舗装)はどこまで行っても続いている。しかも左折している。途中で何度かこのまま歩いていって良いだろうかという疑念を抱きながら、民家や通りかかる人もないので進んでいくうち、ついに行き止まりに突き当たる。

 

 ○完全に道を間違えたことになる。仕方なく引き返し、民家を訪ねて道を聞く。結局途中にあった「林業センター」の指標があったところを右に入ればよかったことがわかった。道を教えてくれた人の話だと、道路工事に当たったトラックが道標をこわしたまま改修していないことが原因のようである。

 

 ○この件を含め全体的に道標が不備の感が免れない。陣馬・景信・高尾は人気があり人出も多いせいか完備しているのと対照的だ。ともかくこれで約1時間無駄にした。腹も立つ。しかしこういうこともあるとあきらめる。事前の調査不足もある。10時30分、山の神社。1月の真冬とはとても思えぬ程の暖かさと、加えて快晴に恵まれる。

 

 ○年間を通じてみても今日ほどの登山日和はまず多くはないだろう。山登りを始めてから、これほどの好天はないと言ってもよい。富士山は高度を上げるにつれ素晴らしく、又四囲の山系の展望も見事だ。11時10分百蔵山西の肩にたどりつき、山頂を目前にする。このあたりから雪が残っている。

 

 水筒を持参しなかったこともあり、雪を食べてのどをうるおす尾根道をたどって11時25分百蔵山(1033)山頂に立つ。素晴らしい展望だ。頂上の樹林が若干邪魔をするものの、360度のパノラマという山の本の記述も妥当だ。これから行く扇山が直ぐ隣にどっしり構えている。昼食、撮影、展望を存分に楽しみ、12時20分下山開始。

 

 ○12時50分コタラ山通過、このあと地図に書いてあるとおりボサがうるさく、途中から手袋をはめる。バラなどで手にひっかき傷をおう。快適な尾根歩きも含みながら、1時25分カンバ沢の頭に到着。下りてきたばかりの百蔵山猿橋駅から見るのとは異なった山容を見せる。

 

 ○ほぼ反対側には、これから行く扇山とその前峰大久保山が立ちふさがる。カンバ沢の頭からの下り道は悪路だ。天気が良いため急な坂道にホコリがたちこめる。いよいよ扇山への登頂だ。扇山の西の肩ともいえる大久保山(百蔵山と同じ位の標高の1000m)への登りが非常にきつい。

 

 ○雪を口に含みながら、又、Yは杖をついての大奮闘。へばったYを背後から支えて押してやる場面も。振り返る百蔵山をカメラに収めようとするが樹林にはばまれ、なかなか思うにまかせない。2時25分やっとの思いで大久保山へたどりつく。ここまで来ればもう扇山の一部ともいえる。案の定2時35分には扇山(1138)頂上に達する。

 

 ○展望は、山頂に樹林がなく又広いため百蔵以上だ。これこそ正真正銘の360度のパノラマ展望だ。風はしかし猛烈に強い。広げた地図が凧のように飛びそうになるだけでなく、下に置いた荷物、特にコロタが吹き飛ばされそうな強風だ。多くのハイカーで賑わっていた百蔵山とはちがって、頂上で出会ったのは二組だけだ。

 

 ○時間が遅いせいもあるだろうが、陣馬や高尾の割にはPRが足りないようだ。もっとも、陣馬・裏高尾は初級向きであるのに比して、扇山・百蔵は健脚向きということも作用しているかも知れないが、もっと多くの人に登られて然るべき山のように思えてならない。これから下る大野貯水池を眺め、時間もないので3時扇山下山開始。

 

 ○梁川への分岐を右に分けたのち犬目丸から右へ犬目峠に下る。下りはものすごく急で、かつ悪路だ。荻ノ丸への分岐の途中で気がつかなかったため、自動車道路に下りきっても尚、犬目丸から下りたのか荻ノ丸を経由したのか判然としなかった。人に尋ねて犬目峠であることを確認。車道を進み、荻ノ丸からの下山路との三叉路を右に折れて高速道路を横切り、大野貯水池にたどりつく。

 

 ○あたりはもう暗い。湖面が月光(上弦)に映えて光っている。バス停の「大野貯水池」に5時10分着く。既に真っ暗だ。電灯つけて駅までの30分を歩く。5時50分四方津駅(しおつ)着。6時15分四方津駅発新宿行中央本線に乗り、7時36分新宿着。8時過ぎ帰宅予定変更して足利の一家来ていて、Y大喜び

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【伊豆ヶ岳】1978(昭和53)年6月18日(日)父の日  <Yと二人>

 

 ○久しぶりの山行。天気も好く奥武蔵の正丸峠、伊豆ヶ岳、子の権現のコースを選ぶ。最初からの計画ではなかったため、出発が遅くなる。9時45分方南町発、池袋10時30分発の特急むさしに乗車、Y喜ぶ長い正丸峠を過ぎて次の駅の芦ヶ久保下車(11時48分)約30分待ち、下り普通で隣の正丸駅に戻る(時既に12時30分)。

 

 ○真夏を思わせるような陽光を浴びながら8時間近くに及ぶ日程の第一歩を踏み出す。1時、正丸峠と伊豆ヶ岳への分岐を通過、さらにガーデンハウスへの分岐を右に見送り、かなりきつい直登で正丸峠へ1時25分到着、軽い昼食。30分休憩ののち伊豆ヶ岳へ向かう。間もなく樹間を通して右手に武甲山、武川岳が見え隠れする。

 

 ○武甲山は武川岳の背後にあるため全容は望めない。やがて左前方に深緑におおわれた伊豆ヶ岳の特異な雄姿が現れる。一昨年12月に訪れたときは木の葉が落ちた後だったため、山の色彩は灰色だった。頂上近くのクサリ場の石が見える。茶屋を過ぎたあたりから急に展望が開け、武川岳、武甲山がはっきりと姿を現し、

 

 ○やがて二子山も見えるようになる。奥武蔵のグリーンラインの山並みが美しい。

いよいよYが楽しみにしていた男坂の頂上急登のクサリ場だ。大分山にも慣れたY、クサリ伝いに頂上を極めるパパオは写真撮影に忙しい。3時前、伊豆ヶ岳(851)山頂。360度の展望、絶景この上ない。

 

 ○コロタモモ達も揃って記念写真、Yも嬉しそう何しろ真夏のような猛暑、汗をかき水分を要求。パパオの方がYより早く参った感じ展望を満喫したのち3時半下山。急降下ののち再び急登して、すぐ隣の古御岳に3時50分着。伊豆ヶ岳は見えない。次第に疲れが激しくなる、

 

 ○奥多摩奥武蔵の山並みの素晴らしさとウグイスと山鳩の啼き声、あたりの深緑の美しさと香りが足を前へ前へと運ばせる。4時25分高畑山を経て登り降りをを繰り返し、5時5分天目指峠到着。マイカー族も二組来ている。さて峠の車道を横切って今度は子の山を目指すことになる。なかなかにきつい登り道だ。

 

 ○峰を三つばかり越したら、やっと「子の権現」(ねのごんげん)だ。冷え切ったジュースがおいしかったのは忘れられない。大きなワラジと下駄の写真を撮ったあと“平和の鐘”をつく子供は禁止とあるが、Yも撞くこれで目的を果たしいよいよ帰路につく。子の権現に6時から6時半までおり、吾野駅へ向かう。

 

 ○7時頃途中の小川で頭、顔、上半身、足を冷やし洗う。周囲もやっと暗くなりかけ、月が見える。陽は完全に沈んだが、月明かりで歩く。テレビは巨人・ヤクルト戦がうつっている。吾野駅近くで暗くなり、用意した電灯を灯すYが少々こわがる8時吾野駅に着き、8時11分乗車、10時半帰宅。例によって、ママゴンうるさい

 

 ○書き残したこと---パパオの大事な用(正丸峠にて)、天目指峠から子の山への入口に大きな大きな山盛りのモノがあり、Yがたまげる閑話休題。実に楽しい山登りハイキングであった。山を撮る技術も開発、写真の出来上がりが楽しみだ。(写真機のキャップを紛失)。

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大菩薩峠1978(昭和53)年7月15日(土)~16日(日) <Yと二人>

 

 ○Yの11回目の誕生日を記念し、前々から憧れている大菩薩峠へ夜行日帰りで登山することになり、15日23時55分新宿発の普通最終列車で16日2時23分塩山着。接続するバスをアテにしたが運行なく、バス停で仮眠し、6時25分始発で6時55分大菩薩峠登山口着。日本晴れの絶好の登山日和。海に行かず山を選んで良かった。

 

 ○時刻も早いし山でもあるので、最初のうちは涼しい感じもするが直ぐに汗をかきはじめる。7時35分地蔵茶屋仙石茶屋に到着。アシクラ沢の冷たい流れで一服。西瓜が一個つけてあるのをYが発見。此処から本格的な登山コースに入る。8時第一展望台南アルプスが雲の上に霞んで見える。8時25分第二展望台

 

 ○前夜山荘に一泊して来たというかなり年輩のグループが朝食の準備中。山に連れてきてくれるお父さんを持って幸せだね」とYに言う人あり旧道を経て福ちゃん荘へ直行しようかとも考えたが、やはり少々遠回りでも上日川峠の長兵衛山荘で朝食をとったのち、福ちゃん荘昨年会った「大」先輩に一年振りで再会することにする。

 

 ○そのためには、長兵衛山荘で「腹ごしらえ」する必要がどうしてもあるからだ。そうすれば場合によってはYも「大」先輩に紹介できるかも知れない--。上日川峠で30分過ごす。南アルプス連峰が雲間に垣間見られる。甲斐駒が一段と雄姿を見せている。

 

 ○9時30分出発、50分には福ちゃん荘にたどりつき、予定通りYと二人で「大」先輩に会う蝿が多くてY悲鳴をあげるその上「カミ」「カミ」と神様を呼ぶ声がうるさい。10時10分、再会を誓い「うん、この次までサヨウナラと別れる。他の登山者はご多分に漏れず、大菩薩峠への直通コースをとる。

 

 ○「急坂」と標示されている雷岩から大菩薩峠への左のコースをとる人はいない。予定通り左のコース即ち雷岩へのカラマツ尾根を選ぶ。その名の通り唐松林を通り抜け、やがて草花の生い茂る美しい草原帯を、次第に高度を増し急坂となる道をたどる。間もなく展望が開け、背後に目をやれば富士山が頭を見せている。

 

 ○さすが真夏でもあり、雪をいただいてはいない。青いといおうか黒いといおうかその雄姿は実に感動的だ。しかも近くで見る富士山は予想以上に高い。下半分が雲におおわれているせいもあり、地球の山というよりは天から舞い降りようとしているかの如くである。一方右手には大菩薩小金沢連嶺が見えはじめてくる。

 

 ○急登の疲れも吹き飛ぶ。途中からYが左のコースをとり、やや不安そうな「パパオ!」という声が聞こえる。息を切らし汗を拭きふきたどりついたのが展望雄大雷岩。時に11時5分。直ちにすぐ隣の大菩薩連嶺に向かう。コロタモモを忘れたYが連れ帰るために引き返す。11時15分三角点のある嶺に着く。

 

 ○早速三角点でYたちきょうだい(?)三人の記念撮影標高2057mは木陰では涼しい位だが、木立におおわれた嶺から抜け出ると再びカンカン照りの太陽はまぶしく、肌を灼きつける程だ。雷岩からほんの少し峠よりの草原で展望を楽しみながら、喉と空腹をうるおす。11時55分いよいよ峠に向け出発。

 

 ○これから訪れるがよくみおろすことが出来る。(あとで判明したが、実はそれは峠の一つ手前の旧峠、サイの河原であったが)。尾根道は素晴らしい。突起もあり、ケルンが多く見られる。思ったより「頭」が多い。妙見の頭に登る。Yは疲れたらしく、此処だけは不機嫌展望が優れ、とくに北側の奥秩父連峰が美しい。

 

 ○すぐ眼下の大菩薩峠の茶屋を目指して降りたところが何と旧峠のサイの河原。そこをのぼると親不知の頭。いよいよ峠がすぐ下に見える。介山荘、介山文学碑も見える。富士山が熊沢山のカゲにまさに隠れようとする所が待望の大菩薩峠(2057)だ。全く素晴らしいの一語に尽きる。

 

 ○展望を満喫、記念撮影、食事で1時間半を過ごし、奥多摩のバス時刻の関係上、名残を惜しみつつ峠に別れを告げたのが2時20分(到着は12時50分)。当初Yの希望は丹波のコースであったが、調べてみるとバスの時刻や帰宅時間のことを考えると、小菅コースが無難であるとの結論を出し、途中白糸の瀑を見るのを楽しみに小菅大菩薩路をたどる。

 

 ○3時フルコンバ。その前2時45分昔の荷渡し場を通過、途中から一気に300m位高度を下げるため急坂できつい。林道に出るまで大変だ。時計を見ると林道に出るまでの所要時間1時間と地図に出ているのに1時間半かかった。この調子だと残り時間と地図の所要時間がドンピシャリということは、最終バスに間に合わないこととなる。

 

 ○先を急がなければ!歩きや易い林道に出てから猛烈にスピードアップ、もしかしたら白糸の瀑も立ち寄れないかも知れない。疲れた足をひきずるようにして、「ウン」「コラ」の話を繰り返しながら「コ」のつく言葉を連発して疲れを吹き飛ばし、白糸の瀑の案内標示が出ている所にさしかかったのが5時15分。

 

 ○地図に書いてあるとおりの時間だ。ということはスピードダウンは出来ないことになる。しかし此処まで来て「白糸の瀑」を見ずに帰る気持にもなれない。道の左手にのぼって5分という案内に引かれてたどりついたのが、予想以上の見事な滝だ。Yも満足気だ。裸足で滝壺に入り「冷たい」を連発時間が少ないのが残念だ。

 

 ○5時20分出発。6時40分のバスまであと1時間20分。地図の所要時間と全く同じだ。重い足を引きずってバス停の小菅へ着いたのが6時20分。どれだけ急いだかが分かる。バスに乗ったら寝不足と疲れでYはグッスリと眠る奥多摩駅についたので「終点だ。降りるんだから起きろ」というと、ネボケて「何故降りるんだ」と寝言をいう位。

 

 ○7時49分の立川行きの電車に乗る。Y相変わらずグーグーよく眠る。立川、荻窪中野坂上乗り換えの時、Yを起こすのに一苦労10時過ぎ帰宅。疲れはしたものの、実に楽しい山登りであった。風呂に入り夕食を済ませたY、満足しきり。又、わが家にたどりついた安心感でぐっすりと寝込む。

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【丹沢表尾根縦走】1978(昭和53)年12月10日  <Yと二人>

 

 ○奥多摩の六ツ石山から鷹巣山(or逆コース)も予定したが、日没も早い初冬を考慮して、結局Yにとって想い出の多い丹沢表尾根を歩くことになった。朝出発前は、三の塔辺りまでとし塔ヶ岳は無理しないつもりであったが、これも結果的には塔ヶ岳迄登り、しかも成功裡に日程は終了した。

 

 ○朝5時方南町始発の地下鉄は間一髪で乗り遅れ5時18分発に乗車、新宿始発の小田急急行5時31分もタッチの差で間に合わず6時1分発の急行大秦野7時11分着。前日が曇り後雨という天気予報にも拘わらず好天だったが、本日も予報は同様の内容。従って何となく晴天を期待した。

 

 ○夜は星空で、起床した4時半頃も星がまたたいていたので、天候は心配せずに済むと判断した。ところが大秦野に着いた7時頃は周囲は霧におおわれ遠くの山は見えない。バスの車窓から眺めているとそれでも次第に明るさを増してくる。明け方のモヤならやがて上昇して山塊も姿を現すだろうとの期待のうちに、7時半蓑毛に着く。

 

 ○7時50分、9時間以上に及ぶ山歩きのスタートを切る。ヤビツ峠への途中近道をとったため一旦元の位置へ引き返すなどパパオ「大」先輩」にお邪魔したため若干時間をロス。9時20分ヤビツ峠に到着。9時50分富士見山荘、途中二ノ塔を覆っているモヤが風に流されて雄姿を見せるが、頂上は直ぐまた見えなくなる。

 

 ○風邪が非常に強く、この調子だと好天になるのではないかとの期待に胸がふくらむ。生憎富士見山荘は閉店。山荘前で小休止、愈々二の塔を目指して登山を開始。急登を一登りすると菩提峠への車道に出る。この車道から二ノ塔への登り口のところで前回パパオがYを見失ったハプニングがあったので、Yが是非もう一度行ってみたいと言っていた待望の場所

 

 ○記念撮影してから二ノ塔への急登コースを息をはずませて登る。背後には岳の台がくっきりと姿を見せ、その左隣には秀麗な大山が現れてくるがモヤのため全容は見られない。然し高度を上げるにつれて上空のモヤも強い風に吹き飛ばされる様になり、大山の雄姿の全体像が明らかにされ頂上の一部のみが雲に隠れるだけとなる。

 

 ○朝日をあびて綺麗に見える大山に何度もパチリ。きつい登りもその瞬間忘れる程だ。そのうちに念願がかなって大山の最頂上を覆っていたモヤもすっかりとれてくる。11時5分二ノ塔(1144)頂上に達する。直ぐ三ノ塔に向かう。この頃は周囲のモヤもすっかり晴れ展望は絶景だ。

 

 ○11時15分三ノ塔(1205)に着いたが猛烈に風が強く凄く寒い。1205mの頂上だから当然ともいえるが、何か急に天候が悪化してきた感じがする。それでも烏尾山行者ヶ岳などの尾根は良く見え、大倉尾根などもダラダラと長い尾根筋が確認できる。塔ノ岳はモヤで見えないが花立や三ツ峰も望まれ、全体としては天気は好くなっていると思われる。

 

 ○三ノ塔頂上の寒さと強風に圧倒され、とてもこのまま表尾根を縦走するのは危険ないしは冒険であるのではないかと懸念されてくる。もともと朝の出発時の予定は三ノ塔まで行って様子を見ることになっていたこともあり、一旦は三ノ塔尾根を戸川にくだる決意をする。

 

 ○折角来たからというYの希望もあり、とにかく前進を開始(11時15分)、外へ出て歩き出してみるとさほど寒くはない。三ノ塔をくだりきって直ちに烏尾山(1136)へ、12時20分着。風は依然として強い。12時40分行者ガ岳、展望が絶佳だ。クサリ場を二ヶ所経たのち1時10分に新大日のカイサク小屋

 

 ○昨年昼食をとったところ。急にモヤが立ちこめたり又晴れたり変化が激しい。1時25分新大日の茶屋で軽食をとっていたところ、NDLのU氏らの一向(子供連れ)5名が塔ヶ岳からやって来たのに出遭う。政次郎尾根をくだって水無川沿いの林道を大倉へくだるところだとのこと。

 

 ○天気も再び悪化しそうだし時刻も遅いので、塔ヶ岳行きは止めて一緒に下山しようかとも考えたが、Yの強い望みもあり、同行を断って前へ進む。1時50分新大日小屋出発。モヤが立ちこめる中を2時5分木又大日を通過、2時25分待望の塔ヶ岳(1491)山頂に立つ

 

 ○時あたかも頂上は猛風が吹きまくり立っていられない有様。Yは喜んで風と戯れるコロタを連れてきて放り投げたらガスと共に千丈の谷に吹き飛ばされたかも知れないが運よく寝坊して留守番しているから助かった2時35分下山を開始。この頃より天候も回復、青空が美しくまた展望もよい。3時10分立山

 

 ○大倉尾根の下りは相変わらずキツイが、丹沢表尾根、鍋割尾根その他眺望を楽しみながら3時45分堀山の家、4時5分駒止茶屋見晴茶屋4時40分。次第に暗くなり、電灯を取り出して照らす伊勢原市秦野市の夜景が美しい。5時30分大倉着。45分のバスで渋沢へ。6時22分渋沢発の急行で新宿7時45分。8時半帰宅随分と疲れたが、満足できた山歩きであった!

                               以上

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』131巻3952号/2022.6.29/hideki-sansho.hatenablog.com  No.992