秀樹杉松

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奥州三関(3)~ 鼠ヶ関=念珠関(ねずがせき:山形県)

 

 

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「鼠ヶ関」(ねずがせき)〜ウィキペディア(ja.m.wikipedia.org)より

 

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「近世念珠関跡」山形県HP(pref.yamagata.jp)より

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勿来の関(なこそのせき)、白河の関に続き、鼠ケ関=念珠関(ねずがせき)を取り上げます。なお、本稿にて「奥州三関 (奥州三大古関)」を終了します。ご愛読ありがとうございました。

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 ~以下は、ウィキペディア(ja.m.wikipedia.org)によります。

 

鼠ヶ関 (ねずがせき)

 

平安時代には白河関勿来関と共に、奥羽三関と呼ばれ、東北地方への玄関になっていた。当時の文書には根津とする表記もある。1968年(昭和43年)に発掘調査が行われて存在が確認され、鶴岡市指定史跡古代鼠ケ関址」となった。

 

江戸時代には「念珠関」「念珠ヶ関」と表記されており(読みは同じく「ねずがせき」)、現在の県境より1kmほど北にあって、1872年(明治5年)に廃止されるまで北国街道と羽州浜街道の境になっていた。

 

1924年大正13年)頃に「史跡念珠関址」として内務省指定史跡に認定。その後、古代鼠ヶ関址の発掘によって、

1989年(平成元年)に鶴岡市指定史跡「近世念珠関址」となった。

 

「念珠関」の表記は1889年(明治22年)から1954年(昭和29年)まで存在自治体「念珠関村」の名も使われていた。海に突き出した弁天島は、源義経東下りの縁の地である。現在は鼠ヶ関灯台は設置されており、付近を航行する船舶の目印になっている。

 

関所跡

古代鼠ヶ関址

 奧羽三代古関に一つ。鶴岡市指定史跡に指定されている。

近世念珠関址

 江戸時代、酒井氏が当地に入部して以降、移転・整備されたもの。市指定史跡。

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 ~以下は、山形県 HP pref.yamagata.jp山形漫歩「鼠ヶ関」による。

鼠ケ関(ねずがせき)

 

 

蝦夷防備のための最前線基地として鼠ヶ関に関所が設けられたのは1300年前。国道7号沿いに位置する「近世念珠関跡」は、庄内藩主として酒井氏が入部した1622年以後に移転・整備されたもので、古くは山形と新潟の県境付近に関所があったことが、発掘調査で確認されています。

 

近世念珠ヶ関跡

 

この念珠関跡は、「白河関」「勿来関」と並び、「奥州三大古関」の一つとされています。一説によれば、1186年、兄の源頼朝に追われた義経一行は、義経が青春時代を過ごした奥州平泉を目指し、京の京都から琵琶湖を渡り、越前、越後と日本海を北上、念珠関に入ったといわれ、海岸近くには直木賞作家で長編小説『源義経』の著者・故村上元三氏の筆による「義経上陸の地」碑が立てられています。

 

歌舞伎の名場面勧進帳の舞台となったのは、一般には石川県の安宅関(あたかのせき)と伝えられているが、勧進帳』の関所は実は念珠関ではないかと、ともいわれている。(観光協会

 

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写真 / Atelier秀樹

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『秀樹杉松』133巻3992号 2022.9.23/ hideki-sansho.hatenablog.com #1032