秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

リストとその音楽 (No.3)【完】

 

 

 

 ◯”リスト研究”に熱中したのか、気がついたらNo.3を迎えましたが、この第3号で完結します。

先ずは、写真をご覧ください。

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◉以下は、『一冊でわかるクラシック音楽ガイド』(後藤真理子監修、成美堂出版)から。

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以下は、NAXOS CD から

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 ◯最終回のテキストは『一冊でわかる クラシック音楽ガイド』(後藤真里子監修、成美堂出版)です。

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社交界でもてはやされたピアノの貴公子

 

 ◯音楽史上もっとも女性にモテた音楽家ということになれば、真っ先にリストの名が挙がる。

そのピアノ演奏でパリやロンドンの聴衆をうならせ、「かわいい奇跡」ともてはやされた時、リストはわずか12歳だった。パリ上流階級の子女たちがこぞって「かわいい奇跡」にピアノを教えてもらいたがったからだ。超絶技巧も軽々とこなすピアノの腕前に加えて、生来利発、端正な容姿が人気に拍車をかける。

 

 ◯初恋の相手とは破れて終わったが、1833年に知り合った6つ年上の伯爵夫人で作家のマリー・ナグーとはしばらく同棲し、三人の子供が生まれる(その一人がワーグナーの2度目の妻コジマ)。彼女と別れた後のザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人もまた才媛で、リストの評論文には彼女の手が入っているともいわれる。

 

 ◯彼女の夫は離婚に応じなかったため、夫人はローマで神と生きる道を選んでしまう。悲嘆にくれたリストもまた、教皇のもとで宗教生活を送ることにきめ、1865年にはアベ(大修道院長)の称号を得て、生涯独身で過ごしたのである。

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詩と音楽の結合を目指し、新たなジャンルを創始

 

 ◯リストは単に19世紀を代表するピアノのヴィルトオーゾというだけではない。ベルリオーズの《幻想交響曲》を聴けばその表現力豊かな管弦楽の効果をピアノに生かそうとし、パガニーニのヴァイオリン演奏を聴けば、その超絶技巧を自分のピアノ演奏に取り入れる工夫を考え、ショパンを聴けば、その繊細な音色に感動するといった具合に、ピアノのもつ可能性に常にチャレンジしていった。さまざまな曲をピアノにアレンジして、原曲をポピュラーにしたことも功績の一つである。

 

 ◯リストはまた交響詩という新しいジャンルの創始者でもある。当時すでに交響曲ベートーヴェンの作品をもって最高峰に達したと考える音楽家は多く、偉大な先人を超えようとしたリストは「詩的なものと音楽的なものとの結合」として、音楽独自の形式よりも音楽ではなく言葉で表現される「標題」に基づく内容を優先するものとして交響詩を考えた。

 

 ◯それにはベルリオーズの《幻想交響曲》の影響が大きく、リストやベルリオーズ、その信奉者らは「新ドイツ楽派」の名で呼ばれる。シューマンブラームスは彼らの主張を「音楽の本質に反する」として論陣を張り、19世紀最大の音楽論争が繰り広げられたのである。

 

 ◯1848年から58年までワイマル宮廷楽長を務めたリストが、ゲーテゆかりのこの古都にゲーテ財団を設立し、文学、美術、音楽の各分野でのコンクールを開こうと試みたことなどは、芸術全般に深い関心をもっていたことの表れといえる。彼が新しい芸術の中心地にしようと考えたワイマルは、現在EUの「欧州文化首都」に選定されている。

 

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写真=Atelier 秀樹

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『秀樹杉松』140巻4130号2023.4.24

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