ブルックナー
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根岸一美『一冊でわかる クラシック音楽ガイド』
~作曲家◎人と作品シリーズ(成美堂出版) より
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○ブルックナーの交響曲ブームが続いている。今日、ブルックナーの何がそれほど多くの人を惹きつけているのだろう。早熟の才能を発揮した音楽の巨匠の中にあって、ブルックナーは珍しく大器晩成というか、晩生(おくて)であった。宗教曲をいくつか作曲していた30代後半になっても、まだウィーンの有名教師から通信教育を受けていたので、「万年生徒」のあだ名があった。
○地方に生まれた不遇の中で音楽の道を歩み続けた苦労人のせいか、作曲をしてもなかなか発表せず、ようやく描いた交響曲に「0番」などとつけるに至っては、謙遜にも程があるように見える。それでも結局交響曲を9番まで書き、これに習作のヘ短調のものを加えると、交響曲作品は全部で11曲あることになる。
○彼は「巨匠の中の巨匠」と呼んでほとんど崇拝の域であったワーグナーの影響をもろに受けていたから、その作品は大規模編成の上に長大である。交響曲第7番の第2楽章は「我々の忘れ難い巨匠(=ワーグナー)のための葬送音楽」と書き記している。
○しかし音楽面を見ると、ブルックナーは資質的にはむしろブラームスと近いものがあり、ワーグナーが目指した文学や哲学も含めた「総合芸術」という考え方にはあまり関心がなかったようである。ブルックナーは生涯独身であった。
○長らく田舎のオルガン奏者として不遇の日々を過ごし、ひょっとしたら一生陽の目を見ないで終わったかもしれないブルックナーは、功なり名をとげたあとまでも、社会的な名誉や肩書きに弱かった。1891年にウィーン大学から名誉博士号が授与されて、ようやく永年の望みを果たしたといえよう。
○今日のブルックナー人気一方で、演奏上の大きな問題となっているのが、作曲家本人による改訂版の多さである。他人から何か言われるとその通りに従って直したため。どの版が正統かという原点版の問題がややこしくなってしまった。だが、これもまたブルックナらしい不器用さの現れかもしれない。(後藤)
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<写真=Atelier 秀樹>
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『秀樹杉松』140巻4132号2023.4.28
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