秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

106回秀樹杉松坂めぐり(2018-11-15 北区)~御代の台の坂、狐塚の坂、八津観音の坂、車坂、モチ坂。~滝野川六小、石神井川、観音橋、寿徳寺、滝野川女子学園高・中。

 北区の坂が5つ残っていたので、落穂拾いに行ってきました。今日の注目は5番目の「モチ坂」です。(冒頭から少々硬い話ですみませんが)

 鉄道ができるとモチ坂の坂下に踏切や跨線橋が造られたそうです。これとの関連で、調べたところ、この坂について次の3つの見解があります。

 ①北区教育委員会作成の「坂標識」には、「急斜面を蛇行して下る坂道の跡が わずかに残されていると、坂道の痕跡を認めている。

 ②「坂学会」では「坂道の痕跡があるとは思えない。ここは「モチ坂跡」というべきだろう」としている。(編注:そう言いながらも、坂リストには「モチ坂」と書かれている。

 ③「日本坂道学会」では、「『番外』扱い坂道の総数にはカウントしません。」とあります。

 *私 (秀樹杉松)の見解は、 1) 公式の坂標識が設置されていること、2)その記述内容に合理性が認められること、3)「モチ坂跡」の見解を取る坂学会の坂リストに、「モチ坂」として項目が立てられ、解説や写真が付いる。そして、「坂」にカウントしていること、4)今日私が実際に現場を見て歩き、写真を撮ってきたこと、などの見地から、「坂標識」の見解、即ち「坂道の跡がわずかに残されている」に従います。

 どうぞ、本文の「モチ坂」の項の文章と、私の「編註」をお読みください。/Atelier秀樹

 

都営三田線「西巣鴨(スタート)

 

御代の台の坂(みよのだいのさか)(#814)

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 北区滝野川5丁目。中山道滝野川5丁目交差点から北東に入った先。小規模な商店街。西南西に向かって上る。130m。緩やか。ほぼ直線。標識なし

 旧中山道から滝野川村への旧道の一つ。坂の途中の八幡神社への参道の商店街を越えて,坂を降り切った所に子育地蔵が祀られている。

 

狐塚の坂(きつねづかのさか)(#815)

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 北区滝野川5丁目。中山道の“滝野川6丁目”交差点から北東方向,北区立滝野川第6小学校 に向かう道。坂下は西南西に,途中西に向かい,坂下は南西に向かって上り。160m。緩やか。ゆるく“く”の字に曲がる。

 坂上中山道近くに,北区が設置した標識が建っている。

→「狐塚の坂 滝野川第六小学校の南から 南西へ登る坂です。坂名は,坂を登った東にある 滝野川消防署三軒家出張所のところに狐塚 という塚があったことによります。ここから南西向かい側の 重吉稲荷境内にあった 寛政10年(1798) 造立の 石造廻国塔に,「これより たきの川べんてん・たきふとう・おふし・六阿弥陀・せんぢゅ みち」という道標名が刻まれ,岩屋弁天・正受院への参詣や 六阿弥陀詣での人びとが利用したことを しのばせます。 平成五月三月 北区教育委員会

 

滝野川六小

 「狐塚の坂」の南。滝野川5丁目。

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石神井川 / 観音橋

 「八津観音の坂」の南。滝野川4丁目/5丁目。

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津観音の坂(やつかんのんのさか)(#816)

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 北区滝野川4丁目。石神井川にかかる観音橋から北に向い,真言宗の寺・寿徳寺までの坂。北北東に向かって上り坂。50m。 緩やか。直線の短い坂。

 坂上の寿徳寺前に,北区が設置した標識がある。

→「津観音の坂  平成五年四月 北区教育委員会 この坂は,石神井川にかかる 観音橋の北から 寿徳寺へ登る坂です。坂名は,坂上にある寿徳寺に 谷津観音の名で知られる 観音像がまつられているからです。江今でも 谷津子育観音とも呼ばれる 谷津観音へお参りに行く人々などに 利用されています。」

 

寿徳寺(じゅとくじ)

 「八津観音の坂」の北。滝野川4丁目。

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  新撰組隊長近藤勇菩提寺         弘法大師

 

バス停「中央公園」から「王子駅」へ。

京浜東北線で「王子」から「上中里」へ。

 

滝野川女子学園高・中

 「車坂」の西。上中里1丁目。

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車坂(くるまざか)(#817)

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 北区上中里1丁目。滝野川女子学園東脇から北脇へ曲がり下る坂。坂下に「車坂跨線橋」があり,JR線路を跨いでいる。坂下部は南東に,上部は南南西に向かって上る。60m。かなり急坂。“L”字状に曲がる短い坂。標識なし。

 由来他:車が通れる新しい坂の意。このあたりはJR線によって削りとられた崖地の上で,もとは崖下の水田や尾久方面へ通じていた坂道(モチ坂や蝉坂)があった。地域が鉄道敷地として占領される形となり,ここを横切っていた坂道は無くなるか迂回することになり,今は「車坂陸橋」が蝉坂とモチ坂の代替路となった。車坂陸橋に出やすくするために,女子学園脇のもとの細い坂を拡張して車坂が生れた。(「東京の坂風情」より)

 

 ⑤モチ坂(#818)

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 北区上中里1丁目。上中里駅からJRの線路に沿って南東に600m付近に標識があるが,坂の実態はない。“モチ坂の跡”。既に「消滅」した坂。上中里駅からJRの線路に沿って南東に600m進み,上中里1丁目と中里3丁目の境界付近に標識が建っている。

→「モチ坂 ここは坂の坂上に位置し,崕雪頽(がけなだれ)という 急斜面を蛇行して下る坂道の跡が わずかに残されている場所です。坂は 上駒込村から 上尾久村方面へと向う 上尾久村道の途中に位置していました。鉄道が通るようになると 坂下には踏切が造られ,大正時代の末から昭和の初期には跨線橋がつくられるにいたりました。モチの木が坂上にあったといわれ,明治10年代の『東京府誌・村誌』には モチ坂とありますが,この名称は後にはあまり使われなくなっていったようです。 平成七年三月 北区教育委員会」 

 由来他:坂名の由来は,モチの木が坂上にあったため。(標識より)。標識の説明には「急斜面を蛇行して下る坂道の跡が わずかに残されている」とあるが,JR線路側には金網が張られていて 真下を見ることができない。対岸から見ても全面がコンクリートで固められた崖になっていて,坂道の痕跡があるとは思えない。ここは「モチ坂跡」というべきだろう。「北区の歴史と文化財」にも,「かつて坂道が存在したところは、鉄道敷設部分にあたり、現在ではその様子を見ることができません。」と書かれている。

  

<編註>

 私が依拠している「坂学会」では上記のように、坂名(モチ坂)・解説・写真をつけているが、「『モチ坂跡』というべきだろう」、としてる。

 因みに日本坂道学会では「『番外』扱い。坂道の総数にはカウントしません。」とあります。

 秀樹杉松坂めぐりにあっては、両学会とも「モチ坂」をリストには含めており、坂学会は坂としてカウントしているのです。現に私は実際に行ってきたので、学会の「坂跡」論・「番外」論に挑戦する気はありませんが、今日の坂めぐりの回数に含めました。私はこの坂に関する限り、「切り捨て論」は取りたくないのです。

 「坂標識」が実在しているのですし、「痕跡すら無い」状態ではないので、拾ってあげるのが、これまで800以上の坂を巡ってきた私の考えです。「モチ坂」は存在したことは確かで、区の公式坂標識も建てられているのです。“現在の姿”に固執するあまり、亡き者にするがごとき見解に、私は組みしません。私は間違いなく「モチ坂」に会って、写真を撮ってきました。ありがとう、モチ坂!

 

<編註>坂名と坂解説は

「坂学会/東京23区の坂」sakagakkai.org に依拠。

  坂名の直後の(#)は『秀樹杉松』坂めぐりの通算合計坂数。写真撮影はAtelier秀樹。

 

 『秀樹杉松』100巻2728号 2018-11-15 / 

hideki-sansho.hatenablog.com #368