秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

115回秀樹杉松坂めぐり(2018.12.19港区赤坂、六本木)~愛宕新坂、愛宕女坂、愛宕男坂、しいのき坂、不動坂、閻魔坂、フランス坂、福吉坂、サカス坂、さくら坂、稲荷坂(赤坂4丁目)〜虎ノ門ヒルズ、NHK放送博物館、愛宕神社、Bizタワー、TBS放送センター。

 

 東京23区内で坂が一番多いのは港区で、坂学会リストによればは130坂ある。(2位:文京区127、3位:新宿区114)。港区の坂で歩いていないのが結構あるので、最終チェックしたところ、31坂が確認できだので、早速行ってきました。初日の今日は、赤坂、六本木界隈の11坂を巡ってきました。 / Atelier秀樹

  

銀座線「虎ノ門(スタート)

 

虎ノ門ヒルズ

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愛宕新坂(あたごしんざか)(#843)

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 港区愛宕1丁目。愛宕神社の北から西に巻いて上る坂。坂下では西に,坂上では南西から南に向かって上る。 210m。かなり急な坂。109段の階段。標識なし

 愛宕山の西北をまいて上る舗装道路。上りつめたところにNHK放送博物館がある。坂は,明治19年(1886)に,ここにあったホテル愛宕館の申請によって開かれた。(「今昔東京の坂」より)

 参考文献:「今昔東京の坂」岡崎清記 日本交通公社刊 1981

編注> 

坂の説明文では「109段の階段」とあるが、いまは階段ではなくなっているが、さも“元階段”を思わせ道路ですね。

 

NHK放送博物館 

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愛宕神社(あたごじんじゃ)

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愛宕女坂(あたごおんなざか)(#844)

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 港区愛宕1丁目。愛宕神社男坂の北側を巻いて上る階段。北西に向かって上る。40m。急な坂。109段の階段。標識なし愛宕神社の主参道を“男坂”と呼ぶのに対して,緩やかなこちらは“女坂”と呼ばれる。

編注

 確かに緩やかとも言えるが、階段数は男坂の86段より多い109段。私にはアップアップでした。昔から女は男より強い?

 

愛宕男坂(あたごおとこざか)(#845)

 別名:愛宕石坂(あたごいしざか) 

 港区愛宕1丁目。愛宕山愛宕神社正面参道。西北西に向かって上る。25m。非常に急な坂。86段の急な階段。標識なし愛宕神社の北隣を上る緩やかな参道を“女坂”,急な主参道を“男坂”と呼ばれる。

編注

 階段数は女坂より少ないが、まっすぐ一気に登るので、クタクタでした。オノコの面目?にかけて、頑張りました。

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しいのき坂(#846) 

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 港区六本木1丁目。スウェーデン大使館の南。新築された仙石山レジデンスの北から南東に回り込む坂。坂下は北に向かい,途中で大きく左に曲がって,坂上では北西に向かって上る。280m。緩やか。“L”の字に曲がる。

 標識はないが,仙石山レジデンスの敷地内に設置された案内図に「しいのき坂」と書かれている。仙石山レジデンスは仙石山テラス・六本木ファーストビルなどと共に,2012年に開発された区画。その際にこの「しいのき坂」の道路が新設されたが,しばらく地図にも記載されない道路だった。命名時期:2012年

 参考文献:「仙谷山森タワーの緑」森ビルHP 2012-6

 

不動坂(ふどうざか)(#847)

 港区六本木3丁目。五大山不動院の前。丹波谷坂の南に平行して,西の六本木墓苑に下る坂。東に向かって上る。75m。急坂。直線の短い急坂。車の通り抜けができない道。標識なし。かつて坂下に不動院があったが,戦災で焼けて坂の南に移った。同寺の門前町不動院門前ととなえ坂名の由来となった。(「江戸東京坂道事典」より)

 参考文献:「江戸東京坂道事典」 石川悌二 新人物往来社 2003

 <編注

「不動坂」の写真は確かに撮ったのですが、帰宅後の写真整理で、うっかりデリートしてしまったようです。今日の坂めぐりは、朝出かけて夕方帰宅しました。

 港区内の坂の“落穂拾い”でもあったので、地図に坂名の記入はなく、標識も無い坂ばかりでした。そんなわけで、坂探しに苦労し、一日いっぱい歩き、スマホの歩数は3万に達しました。そんな事情で、不動坂の写真を消してしまったようです。不動坂さん、ごめんなさい。

 

閻魔坂(えんまざか)(#848)

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 港区赤坂4丁目と5丁目の間。六本木墓苑の西脇を通る坂。西南西に上る。110m。緩やか。直線。標識なし

 六本木墓地のあたりは崇厳寺の閻魔堂に因んだものである。崇厳寺は戦災で焼失し復興されなかったので,共同墓地として拡張したものである。(「東京の坂風情」より)

繁華街の中に残っている六本木墓苑は,戦後の道路拡張に伴って,崇巌寺の跡地に近隣の浄土宗5ヶ寺の墓地を集約した共同墓地。

 参考文献:「東京の坂風情」道家剛三郎 東京図書出版会

 

フランス坂(#849)

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 港区六本木3丁目。六本木通り三河台公園の筋向かい。ビルにはさまれた狭い階段坂。(六本木通り) 南南東に向って上り。25m。急な階段。狭く短い階段。標識なし。

 パリによく見かけるような小さな石段の坂道なので この坂名になった,という説があるが,詳しい事情は不明。

編注

 この坂を探すのに30分以上かかりました。

 

福吉坂(ふくよしざか)(#850)

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 港区赤坂2丁目。赤坂二丁目交番前交差点より西に50m。飲食店の入った雑居ビルの間に挟まれた狭い石段の坂。南南東に上る。30m。急坂。狭く短い階段坂。

 坂名を書いた標識はないが,坂上の壁面に「福吉坂石段の改修工事について」という説明板が掲出されている。

 福吉坂石段の改修工事について 私共地元の赤坂福吉町会は,永年の懸案として荒廃著しくなったこの福吉坂石段の改修工事を計画,土地所有者の(株)コクド様の全面的な御協力とともに港区役所の助成金と,地元の多くの方々の御協賛を得て完工したものであります。茲に氏名を明記し保存いたします。 平成九年三月吉日 赤坂福吉坂会 会長 伊勢英雄 福吉坂改修工事実行委員会 委員長 大野竹雄(協賛者氏名略)

 由来他:この辺りの旧町名“赤坂福吉町”にちなむ坂名。

 

赤坂Bizタワー

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サカス坂(#851)

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 港区赤坂5丁目。赤坂サカスの敷地内。赤坂Bisタワー赤坂BLITZの間。北北東に向かって上る。130m。緩やか。ごく僅かに左右に曲がる。

 由来他:TBS放送センターの再開発によって 2008年に造られた“赤坂サカス”の敷地内を南北に通る坂。坂上はさくら坂(サカス)にぶつかる。(「東京の坂と文学」より)

 参考文献:「東京の『坂』と文学」~文士が描いた『坂』探訪~ 原征男・瀧山幸伸 彩流社 2014

 

10.さくら坂(#852)

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 港区赤坂5丁目。赤坂サカスの敷地内。赤坂Bisタワーの北側からACTシアターの北側まで坂下は西方向に上り,途中南西に,坂上部分は南に登る。260m。緩やか。左右に曲がりながら上る。標識なし。

 TBS放送センターの再開発によって 2008年に造られた“赤坂サカス”の北端をを東西に通る坂。通りに沿って数種類の桜の木(関山,普賢象,河津桜など)が植えられている。(「東京の坂と文学」より)

 参考文献:「東京の『坂』と文学」~文士が描いた『坂』探訪~ 原征男・瀧山幸伸 彩流社 2014

  

稲荷坂(いなりざか)(赤坂4丁目)V(#853)

  別名:掃除坂(そうじざか)*注

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 港区赤坂4丁目。パークコート赤坂(旧 日本コロンビア本社跡)の南側から北東に下る急な坂。坂の下半分は西南西に,上半分は南西に上る。120m。急坂。途中“く”の字に曲がる。標識なし。

 薬研坂から黒鍬谷に下る坂。坂下一帯は江戸城の労役を担当する黒鍬組の屋敷があったため“黒鍬谷”と呼ばれた。坂名は末広稲荷があったことに由来。(「東京の『坂』と文学」より)

命名時期:江戸時代

 参考文献:「東京の『坂』と文学」~文士が描いた『坂』探訪~ 原征男・瀧山幸伸 彩流社 2014

 「稲荷坂」は港区に2つある。以前に行った赤坂7丁目と、今日行った赤坂4丁目に同名の「稲荷坂」がある。後者の坂の別名が「掃除坂」になっており、区設置の標識にもそう書かれている。従って、この赤坂4丁目の「稲荷坂」の別名はないとも考えられる。それとも、両方が同名坂なのだから、別名も同じなのか?要検討。

 この同名の2坂は、100mぐらいしか離れていないのみか、ほぼ同じ方向の坂で、南部が「赤坂7丁目の稲荷坂」、北部が「赤坂4丁目の稲荷坂」であるの。もしかして元々は1本の「稲荷坂」だった可能性もあるのでは?。だが、坂学会の坂説明にも、『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)」にも言及がないので、私の感想と問題提起にとどめます。

 

TBS放送センター

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丸ノ内線赤坂見附(ゴール)

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<編註>坂名、坂解説は、

「坂学会/東京の坂」sakagakkai,org 坂のプロフィール に依拠。坂名の直後の(#)は、坂めぐり累計の坂番号。写真撮影はAelier秀樹。

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『秀樹杉松』101巻2753号 2018-12-19/hideki-sansho.hatenablog.com #393