坂めぐり(第23回=18/1/15) 団子坂、狸坂、きつね坂、むじな坂、動坂、森鴎外記念館、六義園 etc.
有名な団子坂、獣の名がつく3坂(狸・狐・狢)、動坂などを巡り歩いてきました。また、鴎外の旧居跡に建てられた森鴎外記念館、六義園、駒込天祖神社の写真も撮ってきました。 / Atelier秀樹
<坂めぐりのコース>
(地下鉄千駄木駅)~団子坂~森鴎外記念館~アトリエ坂~大給(おぎゅう)坂~狸坂~狐坂~狢(むじな)坂~動坂~天祖神社~稲荷坂~六義園~神明坂~(地下鉄千石駅)
<坂のメモと写真>
団子坂(潮見坂、千駄木坂、七面坂)
千駄木2丁目と3丁目の境を東へ下る坂。坂ノ下に団子屋があったから、悪路なので転ぶと団子のようになったから、団子のような石ころの多い坂だった、などの諸説あり。漱石の『猫』にも団子屋の話が出てくる。江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』のD坂はこの団子坂。この坂を有名にしたのは森鴎外。鴎外はこの坂の坂上に住居を構えた。東京湾を遠望できる住居を「観潮楼」と名付け、ここで狩や山椒大夫などの小説を書いた。
森鴎外記念館
千駄木1丁目。鴎外が誕生して150年目の2012年、2008年より改築のため休館していた「文京区立本千駄木2丁目郷図書館鴎外記念室」が、新たに「文京区立鴎外記念館」として生まれ変わった。文京区千駄木は、鴎外がその半生を過ごした地で、記念館が立つ場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は明治22年から大正11年までここで過ごした。
アトリエ坂
千駄木3丁目。標識なし。坂名の由来は不明。
大給(おぎゅう)坂
千駄木3丁目。標識はあることになっているが発見できなかった。住民の話では、最近住宅の改築があった由。撤去された?かつて、坂上に大給豊後守の屋敷があったことから、大給坂と名付けられた。
狸坂
千駄木3丁目。このあたりは、旧千駄木林町で、昔は千駄木山といって雑木林が多く坂上の一帯は、俗に「狸山」といわれていた。その狸山に上る坂なので狸坂と名づけられた。
狸山の坂下は根津の谷で、昔は谷戸川(藍染川・現在暗渠)が流れて田んぼが開け、日暮里の台地と向かいあっている。この日暮里に諏方神社があり、8月27日の祭礼が終わっても、どこからともなく「里ばやし」が毎夜聞こえてきた。
土地の人たちは、これを千駄木山の“天狗ばやし” “馬鹿ばやし”といって、狸山にすむ狸のしわざといい伝えてきた。民話にちなむおもしろい坂名である。
狐坂
標識なし。千駄木4丁目。狸坂の北に位置する坂。このあたりでは、不忍通りから「千駄木山」に上る坂が、南から「大給坂」「狸坂」「きつね坂」「むじな坂」「動坂」と並んでいる。狸、きつね、むじなと並ぶのは面白いですね。
狢(むじな)坂
動坂
本駒込3丁目。江戸時代に駒込神明宮と称され、駒込村総鎮守とされた。空襲で焼失し、昭和29年に新築した。地元の人たちからはかつては”神明さま”と呼ばれていた。
稲荷坂
本駒込3丁目。
神明坂
本駒込5丁目。このあたりは、旧町名が駒込神明町といった。駒込の総鎮守の天祖神社(旧称神明社)にあやかったものである。
現在この坂道は通称不忍通りにあるが、道路の開設は新しく、大正十一年である。町内の坂ということで神明坂と名づけられた。大正の坂、東京の坂である。
六義園(りくぎえん)
本郷6丁目にある都立庭園。綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園。
*註=坂名の由来等は、標識、tokyosaka.sakura.ne.jpなどに拠った。
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『秀樹杉松』90巻2536号 18/1/15 # blog <hideki-sansho> 176
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