今日の坂めぐりは、東京荒川区の西日暮里と台東区の谷中界隈へ行ってきました。下調べは十分したはずなのに、幾度か道に迷い、何人もの通行人や地域の皆様にお世話になりました。結局5時間近く歩き通しで、地図とのにらめっこと写真撮影に明け暮れました。しかしそれだけに、由緒ある坂歩きで、実り多い一日でした。/ Atelier秀樹
<坂めぐりコース>
(地下鉄西日暮里駅)~道灌山坂~向陵稲荷~向陵稲荷坂~開成学園〜ひぐらし坂~間の坂~高村光太郎「正直親切」記念碑、「富士見坂~地蔵坂〜日ぐらしの布袋(修性院)〜夕焼けだんだん~岡倉天心記念公園~宗林寺~蛍坂~七面坂~御殿坂~羽二重団子(改築工事中)~芋坂~芋坂跨線橋~道灌山(地下鉄西日暮里駅)
<坂めぐりメモと写真>
ハイライトは西日暮里の「道灌山」と「ひぐらしの里」でした。ネットから二つの文献情報を引用します。
www.siromegu.com/castle/tokyo/doukan/doukan.htm
この公園を含む台地上に広がる寺町あたりは、ひぐらしの里と呼ばれていました。 道灌 山の地名の由来として、中世、新堀(日暮里)の土豪、関道灌が屋敷を構えたとか、 江戸城を築いた太田道燗が出城を造ったなどの伝承があります。ひぐらしの里は、江戸時代、人々が日の暮れるのも忘れて四季おりおりの景色を楽しんだところから、「新堀」 に「日暮里」の文字をあてたと言われています。 道灌山・ひぐらしの里は、荒川区内で最も古い歴史をもつ所です。…
www.ndl.go.jp/landmarks/sights/dokanyama/
現住所: 荒川区西日暮里、北区田端 ; 解説: 地名の由来については、太田道灌の出城があったためとも、谷中の感応寺(現天王寺)の開基、関道観の居所であったためとも言う。山手台地の最高地点にあり眺望が良い。江戸時代には虫聴きの名所として知られ、秋になると文人たちが訪れ、月を見ながら松虫や鈴虫の音に聴き入った。付近の浄光寺、 本行寺、青雲寺は、文人趣味でそれぞれ雪見寺、月見寺、花見寺と呼ばれた。
道灌山坂
荒川区西日暮里4丁目と北区田端1丁目の間の坂道。開成学園のある高台は”道灌山”と呼ばれる。
向陵稲荷
この辺りにあった秋田藩主佐竹氏の抱屋敷内に、江戸時代初期より祀られていたが、その後町の鎮守となり、大正15年に現在地に移った。
向陵稲荷坂
ひぐらし坂
開成高校の正門脇から、途中左方に曲がり、開成学園グラウンド脇に上る。延長約180mの坂。1990年に地元からの要望で、「ひぐらしの里」に因んで、「ひぐらし坂」と名付けられた。
間の坂
JR日暮里駅から諏訪大地に上る坂。階段状。
富士見坂
地蔵坂
日ぐらしの布袋(修性院)
夕焼けだんだん
この一風変わった名称は、一般公募による命名で、名前の通りこの階段からは美しい夕焼けを眺めることができる由。買い物客で賑わう谷中銀座に通じる階段。
岡倉天心記念公園
江戸十大祖師のひとつ。
蛍坂
このあたりは江戸時代の蛍の名所。坂名はこの辺りにあった「螢沢」に由来するらしい。
七面坂
御殿坂(ごてんざか)
羽二重団子(改築工事中)
190年余の歴史をもつ団子、佐賀市の老舗。きめの細かさが羽二重のようだと賞されたことが「羽二重団子」の由来。あいにく改築工事中であった。
紅葉坂(もみじはし)
昔の紅葉坂の位置にかけられらた「もみじはし」。階段。
芋坂
芋坂跨線橋でJRと京成電鉄の線路を挟んでい、谷中霊園と善性寺をつなぐ。
芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一度行って食ってごらん。柔らかくてやすいです。.......(夏目漱石『我が輩は猫である』)
芋坂跨線橋
道灌山
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『秀樹杉松』91巻2547号 18/2/6 #blog<hideki-sansho>187
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